When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

best albums of 2022

今年は不作だった。 いやまあ、レコード買った量が減ったかってーと減ってないとは思ふが (昔のやうに記録を取ってゐるわけではないが、毎月の請求額見ればね)、 JPEGmafia の LP! みたいに 1 年經った今でも聽きまくってるアルバムがあるのに、 今年はさういふアルバムがあるだらう豫感がしない。 bandcamp daily のチェックをサボった所爲かな…。 年明けたら、チェック再開するぞ。 それと、Boomkat に出てる色んな人のランキングもチェックしないと。 今年はチェック漏れ多そうだから。 なんたって、去年あれだけあったヒップホップが今年は 1 枚もない!  別に聽いてないわけぢゃないのになあ。Kendrick Lamar の新譜とかもあったのに。

Björk: Fossora

まづは Björk の新譜。 いやあ、壓倒的でしたね。 かつて Björk のことを書いたことがあるが、 そこでおれは、Björk を好きな理由として 「こんな曲が出てくるなんてどんな腦味噌してんの?」とか、 さういった意外性があるから と書いた。 いやあ、今囘の新譜もさうした驚きに滿ちてゐる、まさに Björk といったすばらしいものだった。

このアルバムのテーマは低音といふことで、 確かに最初の 2 曲はベースとキックが力強く入ってゐるが、 それ以外の曲は曲調こそ暗いものが多いものの、 前作 Utopia の延長線上にあり、 期待は裏切らず、豫想を上囘ってくれる見事なアルバムになってゐる。

Eric Chenaux: Say Laura

Eric Chenaux の音樂は特異だ。 曲としてはシンプルに繰り返されるギターによるコードと歌のみで成立するのに、 そこへ過剰ともいへるぐにゃぐにゃのギターが絡みつく。 そして、それこそが Eric Chenaux の獨自性だ。

録音が存在する前の音樂は、基本的に曲のよさに偏ってゐた。 曲のよさだけでなく、音そのものの質が問はれるやうになったのは録音以降であり、 そこへ電氣樂器が登場してやうやく音響を意識した作品が生まれるやうになった。

しかし、それでも音樂の本質は曲(音韻)だと看做されてをり、 音響を主とする音樂はエレクトロ・アクースティック作品ぐらゐだ。 エレクトロ・アクースティックはその名の通り音響要素が壓倒的に強いから (といふよりも、わかりやすい音の流れがあれば人間は容易にそちらへ意識を割かれてしまふため、 音韻要素の強度がそもそも高すぎるのだが)、 結果として、音樂はどちらかの要素が強いものばかりになってゐる。

そこへくると、Eric Chenaux の音樂は、敢へて曲の要素をシンプルなものにすることで、 音響要素を目立たせた音樂、と云へる。 そのバランス感覺が稀有で、同じやうな曲が多いが飽きずに聽けてとてもよい。

Dickey Landry: Solos

ジャズも例によっていろいろ聽いたが、これが拔群によかった。 これまで Fifteen Saxophones ぐらゐしか流通してなかった Dickie Landry のアルバムを、 Unseen Worlds が唐突にすべてリイシューしたうちの 1 枚(Fifteen Saxophones を 10 年前にリイシューしたのも Unseen Worlds)。 Fifteen Saxophones はアンビエント風ミニマル作品で、 Dickie Landry が Philip Glass の作品にも參加してゐる人だと知ったときはさもありなんと思ったものだが、 この Solos は完璧にフリージャズ。 しかも、同時に再發された外のアルバムはどれもミニマル寄りなのに、これだけがごりごりのフリージャズなのである。

參加してゐる面子は寡聞にしてちっとも知らないのだが、 Dickey Landry と同じく Philip Glass Ensemble にゐた人たちっぽい。 Philip Glass の作品を演奏してたとは思へないほど、現代音樂っぽさはないが、それが逆にすばらしい。

同時に再發されたこれ以外の Dickey Landry のアルバムにはそれほど惹かれなかったが、 このアルバムが再び世に出たことは喝采を送りたい。リマスター擔當が Stephan Mathieu なのも嬉しい。

Kali Malone: Living Torch

まだ買ってないアルバムをここに擧げるのもどうなの、とは思ふが、 レコードが再プレスされたら絶對に買ひますのでご容赦願ひたい。 中身については ele-king のレヴューが、 おれの感じてゐた、「普段の Kali Malone はそこまで好きぢゃないのに、このアルバムはなんでめっちゃいいの?」といふ疑問を完全に解消してくれるすばらしいものだったので、 そちらをご覧ください。

106: DTP01 / DTP02

Phew の夫婦ユニット。DTP はデスクトップパンクの略なんださうな。 01 と 02 の 2 作が發表されたが、どちらもよかった。 電子音樂ぢゃない Phew を久しぶりに聽いた感じ。

パンクなんて滅多に聽かないのだが、 Phew がすっかり自分の樂器にしてしまったシンセがたっぷり入ってるのが實にいい。

パンクを聽かない理由は單純で、 要するにどれもこれも變り映えしないからだ。 シンプルな曲、シンプルな編成、速いテンポで構成されるパンクは、 勢ひ、どれもこれも同じやうな味はひの曲ばかりで、 もう、さういふ、微細にしかない差の中から、己の好みのものを見つける作業にはうんざりしてゐるのだ。

でも、106 はパンクといふにはかなり凝った曲の作りだし、 シンセのお蔭で彩りも華やか。 twitter でもぼやいたが、カセットの癖に値段が高かったのだけ不滿。 カセットに 3000 圓弱は高すぎだろ…。

Ann Eysermans: For Trainspotters Only

ディーゼル機関車のエンジンとハープを組み合はせたといふ、説明だけではわけのわからない作品。 なんでディーゼルエンジン?

幼い頃に列車に乘ったときの記憶をもとにしてゐるらしいが、 それにしたって普通ディーゼルエンジンの音を使はない。 それは、現代ならばイヤホンが自動でキャンセリングする音であり、 現代でなくとも、われわれは無意識のうちに不要な音の音量を下げて周囲を知覺してゐるからだ。

しかし、このアルバムではディーゼルエンジンと樂器の音が見事に竝列されてゐる。 詳しいレヴューは、これまた ele-king でのデンシノオトさんによるレヴューが的確なので、 そちらを讀んでもらひたい。デンシノオトさん、ほんとレヴューうまいな。

MF Robots: Break the Wall

BBE からリリースされたファンク・アルバム。 アシッド・ジャズを經由したことがわかるベースラインもすばらしい。

Derek Bailey: Domestic Jungle / Domestic Jungle DAT

かつて John Zorn が自身の Naked City のアルバムを出すためにディスク・ユニオンと設立したレーベル Avant Records から Derek Bailey が 1996 年にリリースした Guitar, Drums 'n' Bass といふアルバムがある。 その名の通り、Bailey がドラムンベースをバックに即興演奏を披露するもので、 云ってみればそれだけなのだが、Bailey の數あるアルバムの中でも好きな 1 枚である。

これは、そのアルバム以前に、Bailey が海賊ラジオから流れてくるジャングルに合はせて即興演奏を練習してゐた頃の記録である。 Guitar, Drums 'n' Bass が録音されたのは、 Bailey がかねてからさうした練習をしてゐたからだといふのは Wikipedia にも書いてあるのだが、 まさか實際にそのテープがリリースされるとは思はなかった。 なんたって、Bailey は自宅の臺所で録音したテープがかなりあるらしいので、 わざわざこれがリリースされるとは思ってなかったんですよ。

めちゃくちゃいい。

Derek Bailey の即興演奏は、よく知られてゐる通り、 あらゆる既存の音樂的イディオムから外れた地平を探究してゐるわけだが、 その外れに外れた音が、イディオムのみで成立してゐるジャングルのリズムにがっちり合ってゐるのが信じられない。 かつて山本精一が Derek Bailey の音樂を評して「あれはふりかけみたいなもんやから、何にかけても合ふ」と云っていたが、 ふりかけすごすぎだろ…。

Sergiu Celibidache: Orchestre National de l'ORTF

2020 年に出たボックスを 2022 年のベストに選ぶのは不適切だとわかってはゐるが、 買ったのが 2022 年なんだから許して。

それでなくとも、Celibidache といへば、2022 年には東武から傳説のリスボンでの Bruckner 8 番が正規リリースされたり、 LSO とのボックスが再發されたりしてゐるので、 そっちを選ぶべきなのかもしれないが、 後者はまだ買ってないので何も云へないし(そんなポンポン、ボックスばかり買へない)、 前者はまあ、おれが何か云はなくても、世のクラシックファンが絶賛しまくってくれるだらうから別にいいかなって…。

このボックスのすばらしさは、若い Celibidache が堪能できるところだ。 Celibidache の音源で手に入りやすいのは晩年のミュンヘンフィルのものだが、 その録音は最も早いもので 1979 年であり、ほとんどは 80 ~ 90 年代のもの。

それに比べてこちらはなんと 1973 年と 74 年の録音のみ。 晩年のじっくりと音樂を解剖し、隅々まで魅力を傳へてくれるやうな演奏もいいが、 こちらの疾走感溢れる勢ひのある演奏もまた格別。

Celibidache の叫びがちょいちょい入ることも、 これらの演奏の烈しさや高揚感を高めてくれる。 Celibidache 本人も振ってて樂しかったんだらうなあ。

Toru Takemitsu: Complete Works

ある日ふと、氣づいてしまったんですよ。 武満さんの全集って、圖書扱ひだから、貸してくれる圖書館があるのでは?って。

いやあ、ありましたねえ。うひひひひ。

おれは、武満さんの現代音樂曲はそれほど好きなわけではない惡いファンなのだが、 それ以外の武満さんの曲はどれもこれも好きだ。 映畫音樂やドラマに提供したもの、ポピュラーソングまで、武満さんは幅廣く音樂を作ってゐて、 そのどれもが、獨特の品のよさみたいなものを漂はせてゐてすばらしいんですよね。

特に好きなのは映畫音樂で、 これは随分と昔にやはり圖書館から借りた映畫音樂全集でほとんど知ってはゐたのだが、 改めて聽いてもやっぱり最高。

驚いたのはマジカル・パワー・マコと共演した音源があることで、 どうやらそのつながりで灰野さんとも交流があったらしく (灰野さんはマジカル・パワー・マコの 1st に「けいちゃん」とクレジットされてるほどの仲である)、 クレジットにはなかったが、どう聽いても灰野さんとしか思へない聲の入った曲もある。 クラウトロックみたいな曲が始まったと思ったら、しばらくして灰野さんらしき歌聲が聞こえてきたときにはホント驚いた。 武満さんがマジカル・パワー・マコの 1st を絶賛したのは有名だが、こんな録音が殘ってたんですねえ。感動だ。

Meredith Monk: The Recordings

80 歳おめでたうございます。特に新しい音源が收録されてゐるわけではないが、 拔けてるものもあったのでまとめてボックスにしてくれると助かります。

Les Rallizes Dénudés: '67-'69 Studio et Live / '77 Live / Mizutani

最後はやっぱりラリーズ。 これに關しては、正規リイシューされたことが奇跡に近い。 やっとラリーズが聽けるんだ!なんて感動はもちろんない。 都内近郊に住んでゐれば今はなきジャニスから借りれば濟むことだったし、 さうでなくともダウンロードが違法でなかった時代にこの音源はインターネットで簡單に見つけることができた。 いや、それどころか、ラリーズの音源がかうして正式な人の手に渡るまでは、 TSUTAYA や Spotify にすら海賊盤が溢れてゐたのだから、幻でもなんでもなかった。

だから、おれもこれらのアルバムの中身には、久しぶりだな~ぐらゐの感想しかない。 寧ろ、改めて聽くとラリーズの下手な部分に氣づかされてちょっとがっかりした瞬間すらある。

でもまあ、そんなのは大したことではない。 正式に再發されただけでありがたい。 山口冨士夫さんとやってる頃のも出してください。お願ひします!

La Monte Young: Trio for Strings

https://www.diaart.org/shop/books/trio-for-strings-lp-box-set-media

これは番外。このボックス、3 萬もしたのだが、いまいちだった。 La Monte Young の作品の中では、Just Stompin' に次ぐ駄作。 どんだけ改訂したところで、やっぱ大學院生のときに作った曲だもんなあ。 なんつーか、深みに缺けるんですよね。 もったいない金の使ひ方をしてしまったと思はなくもないが、 買ってなかったらそれはそれで氣になって仕方なかっただらうから儘ならぬ。

と、2022 年に買ったものでよかったのはこれぐらゐです。 本來なら昨日のうちにアップするつもりだったのだが、 なんやかんやで今日になってしまった。 今年もいろんな音樂に巡り會へますやうに。

steam replay 2022

なんか Steam が steam リプレイなる機能を實裝したらしく、 メールが來てゐたので確認してみたら、 今年どんだけ steam でゲームしたかをまとめたものが送られてきてゐた。

いやー、プレイ時間が割合でしか出ないのありがたいですね、ワハハ。 A Robot Named Fight! やりすぎだろ。 最長連続プレイ日数 118日は少ない印象。 なんでって、基本的に毎日 Don't Starve Together にログインしてるから。 所謂、ログポ集めですね。途切れまくっとるやんけ。 まあ、缺かさずもらはなきゃいけないわけぢゃないけど。

Tangledeep はここんとこ忙しくて遊べてないが、 1 月もまだまだ遊ぶ豫定。

No Man's Sky はこの前の大型アップデートでインベントリの仕樣が大幅に變更されたから觸ってないんだよなあ。 これまであったタブがまるまる消えるらしいので怖くて…。 不滿も多かったから取り消しアップデート來るかなと思って寢かせてたんだが、どうもこの儘進むっぽい。 來年、また共同探檢來たら再開しますわ。

Barotrauma はやってないうちにけっこうアップデート入ったっぽいからまた再開したい。

Barotrauma と同じくマルチ枠の Children of Morta は非常にいいアクションゲームだったが、 けっこうサクッとクリアできてしまったのでリプレイ畫面では大きく扱はれてゐない。 見下ろし型 2D アクションの中ではかなり面白いのでおすすめ。

まあ、そんなとこですかね。正月は 2 日までは暇だから Tangledeep するぞう。

Macha Potato Salad: Animation Tripping

取り敢へず、何の情報も仕入れず、 このアルバムを聽いてほしい。 アルバム情報とか絶對見ちゃだめ。 いいから再生ボタンだけ押せ (再生ボタン押すと 9 曲目から再生されてしまふので、 1 曲目のタイトルをクリックするのがベスト)。

と、強くアピったのは、これからおれが書く悔恨に由來してゐる。

いろいろな素材がハイテンションで目まぐるしく切り貼りされるこの音源は、 bandcamp から届く「おまへのフォローしてる連中がこんなアルバム買ってたよ!」といふ、 怒涛の情報の洪水から見つけたものなのだが、 聽きながら畫面をスクロールしてひどく後悔した。

まあ、ネタばらしってほどのことではないが(スクロールすれば誰でも見られるので)、 何に參ったかって、トラックリストの下にあるアルバムの紹介文冒頭、 構想一年、制作二年。三年(=高校生活全て)を費やし完成させたマッチャポテトサラダの五作目のアルバムってやつだ。

高校生なのかよ!!!!!!!!!!

もうめちゃくちゃ損した氣分だ。いや、別に高校生ごときの音樂なんて聽くに値しねーぜ、とか思ったわけぢゃない。

ではなくて、それを讀んだ時點で、おれの中に「高校生なのにすごい」といふ、拭ひ難いバイアスが生成されてしまったからだ。 ああああああ、もっと純粋にこの音樂を味はひたかったのにいいいいいいい。

實際、高校生であることが問題にならないぐらゐこのアルバムの音樂は面白い。 だから、學割ならぬ高校生割引みたいなものを己の頭から取り去りたいのだが、 殘念ながらこれはほぼ不可逆な變化なので、おれにはどうしやうもない。 面白いゲームを評するときに、「記憶を消してまた 1 からやりたい」と云はれることがあるが、 ホントそんな氣分。 なんで高校生活全てとか書くのよおおおおおおおお。

まあ、そんな思ひをしてしまふ最大の原因は、 自分の中にある、「若い=大したことない」といふ侮りがあるからであって、 常日頃から作品に年齢は關係ないと思ってゐれば、 こんな思ひを感じることもなかったわけだ。 自分が無駄に齡を重ねてきたわけではない、と信じたい心の裏返しですかね、ハハハ…。

それにしても、高校生がこんな音樂を作れるなんて、未来明るすぎる。 タワレコの運營するレヴューサイト Mikiki でのレヴューは、 タイトルで作者が高校生であることをバラした擧げ句、 アルバムに諦念が漂ってる、みたいなことを書いてゐたが、 アルバムにどれだけ諦念が漂ってゐようが、 正直、こんな若い才能がゐるってわかって、おれにとっては希望しかないっすね。 それに、このアルバムも高校生の視點が感じ取れて、興味深いんですよ。 そのことだけは、作者が高校生であることを知らないとわからないから、得したといへば得した。

ああ、でもできるなら、記憶消して聽きてえ~。

shopping in bandcamp 2022

よかったアルバムのことを書かうにも、どうせ年末に今年のベスト書くしな…と思ってしまひ、 なんとなく書くことがなくなってしまってゐるので、 今年 bandcamp で買ったものの中で、年間ベストに擧げるほどではないもの (あるいは、今年リリースでないもの)をいくつか紹介することにする。 なんたって、ちょろっと確認したら、今年 bandcamp で買ったものが 150 枚を超えてゐたのだ。 今年はあんまり買はなかったなあと思ってたのに、2 日に 1 枚は買ってる計算になるやんけ!

まづは今年デジタルでどさっと再發された Alexander Turnqusit。 最新のものでも、リリースは 10 年前だ (その後、2 枚ほどアルバムをリリースしてゐる模樣ではある)。 12 弦ギターを主體とするミニマル寄りの曲が多く、 ブルーズやフォーク系の多い VHF ではちょっと珍しいタイプか。 かういふ、綺麗な音樂はあんまり買はないから VHF にももしかしたらたくさんあるのかもしれないが。

12 弦ギターといへば、同世代に James Blackshaw がゐるので、 目立たないといふか、ほとんど知られてゐないと思ふ。 James Blackshaw のが曲いいもんね。 ただ、個人的には Blackshaw の流麗すぎる曲より、 「おれは自分の好きなミニマルを探究するんだい!」って感じの Turnquist のはうが好みである。

こちらは昨年急死した Pita こと Peter Rehberg のトリビュート作品。 樣々なアーティストの曲を電子ものコンピになってゐる。 NPVR は Peter Rehberg がやってゐたデュオだから未發表曲なのだと思ふが、 ほかは曲名を見てわかる通り、このコンピのための新録だらけ (まあ、未發表曲に慌ててそれっぽいタイトルつけただけかもしれんが、ここで初お目見えなのは確か)。

EditionsMego は今さら云ふまでもないほどの、 ヨーロッパにおける、(現代音樂ではない系統の)電子音樂の總本山とも云ふべきレーベルだが、 やはりかうして見ると壓卷である。

收録されてゐる音樂の幅も廣く、 一口に電子音樂といっても、グリッチだったりノイズだったり即興だったりアンビエントだったり、 EVOL や Painjerk のやうな莫迦にしてるのかと勘違ひしさうになるものまで百花繚乱。 ただし、エレクトロニカやテクノ、ハウスに分類されるタイプの曲はほぼないので、 Peter Rehberg が好きな人には文句なしのおすすめ作品だが、 さうでない人にはただのきついアルバムでしかないかも…。

個人的には去年たまたま Superpang からのリリースで名前を知った Luminous 'Diamond Ben' Kudler が 元 Emeralds の John Elliott と一緒に曲を作ってゐたのに驚いた。 おれの見る目、すごくない?

尚、タイトルの Get This は、 Pita を追ってゐた人なら誰でもわかるが、彼のアルバムタイトルのもじりである (Get OutGet DownGet OffGet InGet On と 5 枚もある)。

コンピといへば、戰爭が始まってしまったため、反戰コンピもいろいろ出たやうだ。 おれが買ったのは We Have No Zen! レーベルからリリースされたやつで、 理由はもちろん好きなアーティストが多數參加してゐたからだ。 いやまさか、Ashtray Navigations の名前を反戰コンピで見るとは思はなかったよ。 おまへら、らりぱっぱサイケバンドやんけ。

hiroshi-gong さん一推しの Steven R. Smith や Richard Youngs、工藤冬里や Arnold Dreyblatt に Sean McCann なんて名前もある中、 Expo '70 や Valerio Cosi、Peter Wright といった、おれが追はなくなって久しいアーティストの名前を久々に見ることになった。 サイケだらけ! いやー、懐かしい。 Peter Wright の曲は、かつておれが大好きだった曖昧模糊としたギター・レイヤーものでなくなってゐたのはちょっと殘念。 まあ、もう追っかけてないからいいんだけどさ。

デジタルオンリーのリリースは、上に書いたやうな特殊なコンピぐらゐしか買はないのだが、 これはリリースされた瞬間に買ってしまった。 なんでって、Other Kinds Run が收録されてゐるからだ!!!!!

この曲、次に出た Wet Tuna のライヴ盤 にも收録されてゐるから、 最近はよくライヴでやってくれてるっぽいのだが、 これはおれが The Tower Recordings のアルバムの中でも最も好きな The Galaxies' Incredibly Sensual Transmission Field of the Tower Recordings のラストを飾る曲なのである。 そんなの、買ふしかないぢゃあああああん。しかも 16 分もやってる!!!!  これ、生で聽いてたら絶叫して轉げ囘ってるよ。 フィジカルはリリースしないんですか。早くしなさい。買ふから。はよ。

Room40 はそこそこ好きなレーベルで、 ちょこちょこアルバムを買ふのだが、いかんせんレーベル主宰者である Lawrence English の音樂が おれの好みからちょっと外れてゐて、Room40 はフォローしてゐるくせに、 Lawrence English のアルバムは 1 つも持ってゐない、といふ状況だった (15 年ほど前にリリースされたこれとか、うちのどっかに CD 轉がってるのに)。

そんなおれが珍しく、豫約注文で買ってしまったアルバムがこれ。 改めて聽くといつもの Lawrence English としか思へないのだが、 どこに惹かれたんだったかな…。

Rafael Toral のリリースもまめに買ひ續けてゐる。 これは出たばかりの新作で、レコードもそのうちリリースされるとあったので、 それまで待つつもりだったのだが、 CD のはうに「Contains extra live material not included in the LP. 」と書かれてゐたので、 CD で買った。 まあでも、bandcamp で買へばデジタルでその音源は手に入るわけで、 それほど意味があるわけではない。

Space Quartet は、長らく自作樂器の演奏を、ほぼソロで續けてきた Rafael Toral が滿を持して組んだジャズ・バンドで、 やっと Toral の自作樂器の魅力がわかりやすくなったので、 おれは非常に好きなのだが、人氣は全然ない。 このアルバムも、サポーターたった 8 人!  孤高の實驗を繰り返しまくってる間に、かつてのファンがほぼ離れてしまったんやな…。

Space Quartet によるこれまでのアルバムに鑑みると、 このアルバムはドラム控へ目なのが殘念なポイント。 普段はドラムなんて最もどうでもいい樂器ぐらゐに差別してゐるおれだが、 やっぱジャズはドラムですよ。あるとないとで大違ひ。まあないのも好きだけど。

だから、もっとドラムたっぷりの激しいやつ出して。

Death is not the End は變なアルバムをたくさん出してゐる。 英國の海賊ラジオの番宣集なんかがその最たるものだが(海賊ラジオのくせに宣傳するんだから圖太い)、 これは 1980 ~ 90 年代のロンドンで、朝のハウスパーティー(そんなのあるの?)でかけられてゐた、 個人編集のソウルを中心としたカセットの寄せ集めらしい。 どうやってそんなの集めてきたんだって話である。 英國にもハードオフ的なところがあって、そこのワゴンとかから見つけてくるんだらうか。 おれが今年すっかりチェックをサボってゐる bandcamp daily でそんな音樂が紹介されてゐたやうなゐなかったやうな…。

中身は、その説明に違はぬもので、 よくわからん MC、すぐ終はってしまふ謎のソウルがぼんやりと流れる、 なんとも不思議な聽取體驗を味はふことができる。 わけわかんなすぎておもろい。

Death is not the End といへば、こちらのはうが知られてゐるだらう。 イランのピアニスト Morteza Mahjubi が、國營ラジオでやってゐた Golha なる番組で披露してゐた、 即興ピアノ演奏を集めまくったコンピ。 vol. 2 も出てゐる(もちろん買った)。

おれの大好きな電子音樂作家 Sote こと Ata Ebtekar もイランで活動してゐる人だが、 Ata Ebtekar 名義のものにほんのり漂ふペルシャ風味が、 當然ながらこの Morteza Mahjubi のアルバムでは前面に出てゐる。

唯一の缺點は音質の惡さだが、 自分が親しんでゐない別の秩序で紡がれる音樂ってのは、いやあ、いいですねえ。 これでペルシャ音樂への造詣を深めるんぢゃ。

こちらは先日の Transversales Disques の 5 周年記念セールで買ったアルバム。 フランスの作曲家 Maurice Lecoeur による作品集で、 Transversales の軸の一つである、サントラ音源集。

Transversales から再發されるサントラは、大抵は映畫のサントラがその儘再發されるのだが、 これは珍しくコンピレーションだ。 映畫だけでなく、テレビ番組や CM 音樂からも選ばれているらしい。

discogs で見ても、この Maurice Lecoeur によるアルバムはほかに 1 枚しかなく、 知る人ぞ知るであるのは間違ひなささう (なんたって、iMDb 見てやうやくどんなサントラ手掛けたかわかるレヴェル)。 よく 22 曲も集めてきたな…。

アルバム・タイトルに 1969-1985 とある通り、かなりいろんなサントラから採られてゐるのが明らかで、 オーケストラもの、フレンチ・ポップス、モンドに輕いファンクと、 サントラといふかモンド・ミュージックを好んで集めてゐる人には馴染み深い感じの曲が わんさか詰め込まれてゐる。

無名の人だから印象に殘り辛い毒にも藥にもならない音樂を作ってゐるといふわけでもなく、 正直もっとコンピ出して?と思ふぐらゐ、かうした音樂の中では質も高い。 いやほんとに、もっと音源殘ってるでせう?

と思ったら、90 年代初頭に彼のスタジオで火災があり、 その際にほとんどが失はれてしまったんだとか。無念。 もったいねえ~。

つい先週買ったばかりのやつ。 Feeding Tube がちょこちょこリリースしてくれる、クソみたいなサイケものだ。 ぐるぐるさせときゃいいだろ!って感じの投げやりなジャケ、たった 26 本しかダビングされないカセット、 やる氣があるとは思へないドローン、どこをとっても完璧だ。 やっぱ、世の中かういふクソみたいなのがないとだめですよ。何がだめだかわからんが。

正直、なんでこれに金拂ふの?ってレヴェルのクソ音樂なのだが、 かういふのを買ってこそのサイケ者。 ちゃんとお金を出して保護しとかないとね、なくなっちゃふからね。

昨日買ったばかりのがこれ。 Everest Magma は Rella the Woodcutter の變名プロジェクトで、 Rella the Woodcutter およびおれの大好きなサイケ・ユニット Heroin in Tahiti をリリースしてゐる Boring Machines から 3 枚、 Boring Machines とは J.H. Guraj のアルバムを出してゐることが共通してゐる Maple Death から 1 枚のリリースがあるのだが (今囘のこれは、Maple Death と Black Sweat の共同リリース)、 どのアルバムも全くスタイルが違ふ。 今囘のはこれまでのソロのどれとも全く違ふが、 フォーク要素が強いので、Rella the Woodcutter 名義の作品に近い。

といっても、Rella the Woodcutter の音樂がもっと暗くて、ディストーションの効いたガビガビサウンドであるのに對し、 こちらは爽やかさすら感じるサイケなフォークで(アシッド・フォークではない)、 めちゃくちゃ好みだったので、ちょっと聽いてすぐ買ってしまった。 なんでって、ただのフォークぢゃなくて、要らない音がたくさん入ってるから。 かういふ、本人にしかわからない必然性で入る謎の音がある音樂、滅法好き。 さっぱりわからない他人の世界を感じ取れるのがいいんですよ。

我ながらアホぢゃないかと思ふんだが、 この記事を書いてて買ふ氣まんまんになってゐるのがこれ。 まあ、bandcamp ぢゃなくて CD を直に買ふつもりなんだけど、 アシッド・フォーク!!

Mattia Coletti のリリースを調べてたら、たまたま 3 組のアーティストで出してゐるスプリットシングルを見つけて、 ほかの 2 組は誰やねん、と調べて行き當たった(スプリットシングルはもちろん注文した──サポーター、おれを含めてたった 4 人!)。 いやいやマジかよ。この叙情性こそ日本のアシッド・フォーク。 ゑでぃまぁこんを思はせる優しさとあどけなさに、Mattia Coletti がちょっとした暗さを加へてるのがもう最高。 めちゃめちゃいいぢゃないですか。 くっそー、買ひ物するつもりでこれ書いたわけぢゃないのに。くっそー。

しかし、150 枚ってけっこう買ったなーと思ふんだが、bandcamp で他人のコレクションを見ると、 1000 枚を超えてゐるやつらがゴロゴロゐる。 そりゃ、うちもレコードやカセット、CD を全部合はせれば 1000 枚は餘裕であるはずだが、 bandcamp だけで 1000 枚って、どんなペースで音樂聽いてんだよ。 戰慄するわ。 でもこれ、もしかしておれが買ふやうになったのが去年からだからってだけで、 この 2 年で 350 枚ほど買ってゐるわけだから(2020 年以前に買ったのはたった 15 枚で、一番古いのは 2011 年)、 あと 5 年もしたら 1000 枚超えてさう…。こわ。

The Plumber Thing

Environmental Station αBaba Is YouNoita と傑作を連發するクリエイター Hempuli が新作をリリースした。 その名は The Plumber Thing(「配管工もの」とでも譯すのが適當か?)。

ゲーム自體は Automaton をはじめとして、いろいろなゲーム系メディアで紹介されたので、 ゲーム全般にアンテナを張ってゐる人たちは既にご存知だらう。

しかし、どこのメディアもマ○オそっくりな點ばかりに焦點を當ててゐるため、 このゲームの本質はちっとも紹介されてゐないと云っても過言ではない。

一體、このゲームはどんなゲームなのか。

これは、メトロイドヴァニア形式のパズルゲームである。 何云ってんの?と思ひますよね。いやでも、さうとしか云ひやうがないのだ。

そもそも、メトロイドとはどんなゲームか(Environmental Station α が ほとんどメトロイドクローンだったやうに、このゲームもキャッスルヴァニア要素は特にない)。 メトロイドヴァニアのジャンル名に含まれる「メトロイド」が意味するのは、 「探索型の 2D アクションゲームであり、先に進むために變形機構を入手する必要があるもの」であると云へよう。

ただし、メトロイドの大きな特徴として「シーケンスブレイク」がある。 これは、本來なら進むのに必要なアイテムをスキップして先に進んでしまふことだ。 探索型のゲームは數あるが、このシーケンスブレイクの存在こそメトロイドの華であり、 スピードランの目玉でもある。

The Plumber Thing は地下に落っこちてしまった配管工のおっさんが、 地上に戻るために地下をうろうろする、といふだけのゲームなので、敵は出てこない。 おいおい敵が出なかったらメトロイド要素ねーだろ、と思ふかもしれない。

でもこれは、敵の出ないメトロイドだ。 先へ進むのに新しいギミックが必要であり、 そこそこ廣いマップと探索要素が用意されてゐる。 シーケンスブレイクだってできる。 メトロイドとの違ひは、見た目と敵が出ないことぐらゐ。 敵が出ないから、武器のパワーアップみたいなのもない。

しかし、やってみればわかるが、これはもうメトロイドだ。

いやまあ、メトロイドのメインは敵(特にボス)を倒すことであり、 探索要素などはまあオマケである。 それがゲームの魅力を大いに高めてゐることは間違ひないが、 決してメインではない。

それに對して、この The Plumeber Thing のメインはパズルで、 とにかく毎部屋どうやって先に進むんだ?と考へさせられる。 「へえ、あんなナリでメトロイドなのか。ならやってみやう」なんて思ひで手を出すと、 その期待は完全に裏切られる。

しかし、逆にパズルゲームなんだと思って始めると、 メトロイド要素の多さにちょっと驚くはずだ。 大體、エンディングで completion percent が表示されるパズルゲームってなんだよ?!

Baba is You は自由なやうに見せかけて、 進めば進むほど自由度がなくなり、想定された動きをしないと解けないきついパズルゲームだったが、 The Plumber Thing はかなりゆるく作られてゐる。

解く順番はそれほど重要ではないし、解答もいろいろ考へられる。 なんたってシーケンスブレイクできるほどだから。 かく云ふおれも、どう考へても想定されたのと逆(!)の順番で解いてしまったな、といふ瞬間が何度かあった。

そもそも、メトロイド形式なので、 探索を續けてゐると一旦クリアした部屋を何度も通ることになったりする。 しかし、そのときに手にしてゐるギミックの數でクリアの仕方は變はる。 先に進めば進むほど、かつて苦勞した部屋に全く苦勞しなくなる。

普通、パズルゲームは一度解いたパズルを再びやらされることはない。 でも、このゲームはさうではないし、 同じステージ(パズル)の難度が使へるギミックによって變化するといふのは、實にメトロイド的だ。

手に入るギミックはどれも面白いが、 できることが一擧に増えるといふ感じはなく、 少しづつ進める箇所が増えていくのも樂しい。

それでゐて、最後に手に入るギミックは、 このゲームをプレイすれば恐らく誰もが「ああああ、かういふ能力さへあれば!」と考へるもので、 これを手に入れたあとの無敵感・全能感はすごい。

Hempuli 氏がメトロイドヴァニアもパズルゲームも作れる人なのは知ってゐたが、 まさかその 2 つを融合してくるとは思はなかった。 短いゲームではあるが、お値段たった $2 だし、 暇つぶしには最適である。 ちょっとでも氣になったら、是非プレイしてみてほしい。

Shakedown Hawaii

しばらくゲームの話を書いてゐなかったが、 ちょっとマイナーなゲームをやったので紹介しよう。 その名は Shakedown Hawaii。 steam でリリースされたのは 2020 年 10 月だが、 PC 版は epic game store で先行獨占販賣されたので (同時に PS4 や Switch 版も出た)、 正式なリリースは 2019 年 5 月である。 おれは發賣前からチェックしてゐたが(見た目が好みだったので)、 買ったのは steam でセールになってからだから、 今年の 1 月だ。だいぶ遅い。

實は、おれが書くまでもなく天下の(?)ファミ通に紹介記事があったりするのだが、 日本語で讀めるのはせいぜいこれぐらゐで、 おれの紹介したい方向性とはちょっとズレがあるので、 氣にせず紹介させてもらはう。

さて、ファミ通の記事を讀めばゲーム性はほとんどわかるのだが、 一應このゲームは見下ろし型クライムアクションゲーム、といふことになってゐる。

が、アクション部分は全く期待しないやうに。 アクションゲームといふのは、何かしらの難しさがあり、 それを乘り越える樂しみをメインにしてゐるのだが、 このゲームにそんなものはない。 難易度設定がめちゃくちゃゆるいのである。

じゃあこのゲームの樂しみはなんなのか。 それは、ギャグである。

このゲーム、生意氣にもストーリーがあるのだが(ちなみに、おれはゲームにストーリー要らない派である)、 そのことごとくがギャグなのだ。

ゲームの基本骨子は、「惡どい商賣をして稼ぎ、ハワイを手中に收める」といふものなのだが、 主人公のおっさんはまるで商才がなく、いつも行當たりばったりでビジネスを決めるのだ (お蔭で、プレイヤーは毎囘しぶい顏をする秘書のおっさんを眺めることになる)。 そして、そのきっかけになるのは、いつもおっさんの日常生活における些細なムカつきである。

不滿その 1。昨今のソフトはサブスク形式ばっかり!

このゲーム、下らない内容の割にはそこそこ長く、 普通にプレイしてもクリアには 10 時間ほどかかる。 つまり、10 時間の間、おっさんの不滿をさんざん聞かされるわけだ。

一例が、上に擧げたやつ。 廣告を作るために畫像ソフトを買はうとして、サブスク形式しかないことに憤る圖である。 めっちゃわかるわ…(惡徳経営者なのに、かういふところはちゃんと金を拂ふのも笑ってしまふ)。

と、こんな感じで、何をするにも頭の古いおっさんが新型ビジネスにムカつき、 それをパクる、といふ流れでゲームは進む。

店に行くたびに店ごとのクレジットカードを持ってゐるか訊かれて自分の店にも導入したり、 オンラインショッピングの所爲で自分の店の賣上が下がったら運送トラックを襲ったり、 オーガニック志向のふりして食料を高く賣ったり、 なんてことない作物をスーパーフードと稱して賣ったり、 上げ底容器を作って量を削減したり…。

うちも量を減らして賣るぞ!

確かに惡どいビジネスではあるのだが、 やることなすこと間拔けでセコいし、姑息(誤用ではなく本來の意味)。 でもこれ、現實にやってる企業があるから強烈な皮肉になってんですよね…。

息子もとんでもなくバカで、 32 歳なのにニートでゲームばかりしてをり、親の金でガチャ囘しながら、 ギャングスタになってラップで一發當てることを夢見てゐる。

もうおまへも 32 なんだぞ!

それだけなら可愛いものだが(?)、 なんとこの息子、親のコネでラッパーとしてデビューしただけでは飽き足らず、 ギャングスタになってこのカセット(!)を賣りまくるぜ!ってんで、 町のギャングスタの子分になり、 嬉々として使いっぱしりをやるのだから始末に負へない (しかも仕事に失敗して、中盤からは命を狙はれまくる)。

ゲームのタイトルになってゐる shakedown は、「脅迫して奪ふ」といふ意味の單語だが、 實際にゲーム内でも shakedown することが目的の一つになってゐる。 ハワイにたくさんある店に押し入り、みかじめ料を要求するのが shakedown だ。

で、この際の脅しもすごい。 店を荒らしたり、そもそもその店の後ろ盾になってゐるギャングと抗爭になったりするのは普通だが、 店によっては惡評をばら撒いたり(しかも、わざわざお手製のビラを自分でせっせと撒く)、 「おらおら、口コミ評價で星 1 つけるぞ!」と脅したりするのだから (そんな現代的な脅しなのに、Netscape か IE ですか?みたいな UI のブラウザ使ってるのもウケる)、 やってることは惡質なクレーマーでしかない。 そんなんでハワイを牛耳るとか云ってんすか…。

ボタン押しちまふぞ? いいのか、ああ~ん?

とまあ、そんな感じで、ゲーム全篇に亙って、 現代を生きてゐれば容易に遭遇する、 ちょっとモヤモヤする商賣に對する皮肉に溢れてをり、 それを見てニヤニヤするのがこのゲームの樂しみ方であらう。

殘念ながら日本語に對應してゐないため、 日本での人氣は全くないどころか、そもそも存在すらほぼ知られてゐないと思ふが、 別に英語がわからなくても、畫面見てれば「あー、このやり口腹立つよな!」と共感できるはずだ。 世の中、さういふせこいビジネスに溢れてますからね。

そんな Shakedown Hawaii および、 前作 Retro City Rampage は現在 steam でセール中。 ゲームとしてすごく面白い、ってわけではないんだけど、 くだらねーワハハ、と笑って暇が潰したい人にはいいんではないでせうか。 あ、車は簡單に盜めて好きなところを走れるので、 「歩道が廣いではないか、行け」って DIO 樣ごっこもできますよ!

Kanye West: My Beautiful Dark Twisted Fantasy

ドラゴンボール Z の ED 曲って、こんなベースかっこよかったのか! と衝撃を受けたのは、昨日のことだ。

先日、全音源の販賣を停止してしまった Stephan Mathieu のアルバムのサポーターの中から、 なんとなく日本人っぽい人の名前を見つけたので、 その人のコレクションを覗いてゐたら、 やる夫(ビート会議)と DJ badboi のスプリットカセット『ス​ー​パ​ー​ギ​ャ​ル​ズ 〜​ウ​チ​ら​極​上​DJ​伝​説​〜』 なるものを見つけた。

やる夫なんて名前で活動してる人がゐるのかよ、と思って聽いてみたら、 これが古い(といっても、昭和末期ぐらゐ)日本の曲によるミックステープで、 和モノ DJ なる人たちがゐることをここで知った。

で、A 面を擔當してゐる DJ badboi 氏の別のアルバム『秘密の道具箱』を聽いてみた、といふ流れ。

アルバムの中身に驚かされたのは最初に書いた通りだが、 ジャケットにも驚かされた。 なんと、日本人なら誰でも知ってゐる『日ペンの美子ちゃん』を描いてゐる人だといふではないか(6 代目らしい)。 しかも、その仕事をすることになったのは、パロディである『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』を描いてゐたからだとか。

そんなこと書かれたら、氣になるぢゃないですか、『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』。

で、twitter や pixiv で公開されてゐるものをいくつか讀んでみました。

おもろい!  もともと日本語ラップに詳しかった作者が、 數年前の日本語ラップが流行った時期に慌てて公開したらしいが、 確かに中身はマニアック(日本語ラップで何がメジャーかなんて知らないが、「マキのペニ皮」は確實にメジャーではあるまい)。 にも拘はらず、ミスマッチなはずの昭和末期少女漫畫の繪柄を使ふことで、逆におもしろおかしく日本語ラップを紹介することに成功してゐる。 おれもこんな風にスマートに自分の好きな音樂を紹介したい…。

でも、讀んでみて、やっぱりなと思った部分もある。 タイトルが『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』だから當たり前といへば當たり前なのだが、 書かれてゐるのはラップの話ばかりで、音樂の話はほぼ皆無なのだ。 「ラップが今日本でもっともまともな音楽よ」って云ってるのに、音樂の話はなし!

これはかつて、Kendrick Lamar のすごさがわからず、 ググったときの不滿と同じものだ。 誰も彼も、Kendrick Lamar のリリックがすごい!って話しかしない。アホかよ。

何度も書いてゐる通り、おれは音樂において歌詞はほぼ價値のないものだと考へてゐる。 歌詞がわからずともいい音樂はいいし、クソな音樂はクソだ。

ラップを用ゐる音樂は、その特性上、歌詞が非常に大きく扱はれるが、 ぢゃあ英語が堪能かんのうでなければ、 Kendrick Lamar や Kanye West のすごさはわからないのか?

全然そんなことはない。 おれのやうに、歌詞を全くといっていいほど聽かない人間にすら、 彼らの音樂のすばらしさはわかる。 といふわけで、Kanye West のすごさについて、ちょっと書く。

ヒップホップとは、もともと他人の音樂を借りてきて(サンプリングして)作られる音樂である。 現代はヒップホップも非常に發展してゐるため、 他人の音樂を借りるのではなく、自前で優れたトラックを作ってゐる人たちもたくさんゐる (おれの大好きな clipping とか)。

しかし、Kanye West のすごさは、 サンプリングチョイスの見事さと、それらの組み合はせ方のうまさである。 とにかく、Kanye West は素材の選び方がうまいし、 その素材を使ふ構築力もずば拔けてゐる。

Kanye West に特徴的なのは、メジャーな曲でも全く氣にせずサンプリングしてしまふことだ。

例へば、Kanye West の名を一躍有名にした Jay-Z の Izzo (H.O.V.A.)

この曲でサンプリングされてゐるのは、 R&B やソウルにそれほど詳しくなくても知ってゐる超有名曲、 Jackson 5 の I Want You Back だ。

まあ、この曲でのサンプリングはまだ地味だ。 超のつくほど有名な曲ではあるが、Michael Jackson の歌が入ってゐる部分ではないから、 そこまで印象的なわけではない。 そこ持ってきたか~、ぐらゐのもんである。

ソロデビューしてからはもっと大膽で、 2nd の Late Registration に收録されてゐる Touch the Sky では、 Curtis Mayfield の名曲 Move On Up がサンプリングされてゐる。

かうした超有名曲を使ふのは、普通はダサい行爲である。 引用といふのは、マニアックなものを採り上げるからヒップなのであって、 誰もが知る有名曲をサンプリングするのは、俄か感が高く、 中學生でも恥ぢてやらない行ひである。 有名曲は、使ふにしてもリズムの部分だけで、 その曲を決定づけるフレーズは使はないものなのだ。

なのに、Kanye West は躊躇なく使ふ。 最高傑作 My Beautiful Dark Twisted Fantasy からの 1st シングルなんかこれだ。

King Crimson の 21st Century Schizoid Man!!! しかも、思ひっきりサビのとこ!!!! 曲名云っちゃってるよ!!

この曲の、「21st century schizoid man」と唄ふところだけをサンプリングして曲にばっちりはめ込むなんて、 Kanye West 以外の誰にできるといふのだらう。

Cold Grits の It's Your Thing からドラムをパクってくるのは、まあわかる。 いかにもヒップホップでサンプリングされさうなドラムだから。 でも、その上で Afromerica をループさせ、 21st Century Schizoid Man のサビで締める構成。 天才かよ。いや、天才なんだけどさ。

My Beautiful Dark Fantasy は本當に凄まじいアルバムで、 最初から最後までほぼ隙がない。 Kanye West のよさがわかり始めた頃、 「Kanye West album ranking」でググったことがあるのだが、 2 位以下は全く統一性がないのに、1 位はどのサイトでも判で押したやうに My Beautiful Dark Fantasy だ。

これは、Aphex Twin の名曲 Avril 14th の短いフレーズ (ラストにちらっとだけ現れるやつ!)で 8 分弱を押し切る Blame Game

Aphex Twin の元曲にドラムは入ってゐない。純粹にピアノだけの曲である。 それにドラムを入れて、違和感なく別の曲に仕立て上げてしまふのだから參る。 このフレーズは、この曲のために用意されてゐたのではないかとすら思ふほどだ。

前年(2009 年)にビルボードで 16 位まで昇った Bon Iver の Woods の歌の部分をほぼまるまる使った Lost in the World なんて曲もある。

ヴォーカルパートにそれほど大きな變化はないのに、受ける印象は全く別物だ。 もともとの曲がほとんどアカペラに近いことも印象をガラッと變へる原因にはなってゐるが、 テンポの變更も曲調を新たなものにすることに寄與してゐる。

しかも、それを Gil Scott Heron の朗讀につなげるなんて、どうやったら思ひつくわけ?  Gil Scott Heron はヒップホップでさんざんサンプリングされてゐる人だとは思ふが、 それは彼がファンクをバックに朗讀したり唄ったりする人だからであって、 ファンクなしで朗讀だけサンプリングするとは思はんよ。

かねがね、電子音樂を作ってる人間の頭の中身はさっぱりわからんと思ってゐたが、 Kanye West を聽くと、ヒップホップ作ってる人間の腦の構造もさっぱりわからんな、と痛感する。 どういふ姿勢で音樂を聽いてゐるのか。 おれがさらっと聽いてゐる音樂の一部を、 「これはあれと組み合はせてかうしたら面白いな」みたいに捉へられるわけでせう? どうなってんだよ…。

ほかにも、Black Sabbath の Iron Man のメロディが顏を出す Hell of a Life や、 Carole King、Gerry Goffin による名曲 Will You Love Me Tomorrow の Smokey Robinson によるヴァージョンをサンプリングした (合計 10 秒ぐらゐだけ!) Devil in a New Dress なんかも紹介したいところだが、 最後に Enoch Light and the Glittering Guitars による The Turtles You Showed Me のカヴァー(マニアックすぎる!)をサンプリングした Gorgeous を貼っつけておく。 いやほんと、なんでたった 10 秒ぐらゐのフレーズで 1 曲作れるわけ? すごすぎるわ。

あ、ところで、全部聽いてくれた人に訊きたいことがあるんですけど、 これだけ聽いて、Kanye West のラップ、印象に殘りました?  リリックすごいなーって思ひました?

正直、おれは Kanye West の音樂で、もし要らないものがあるとしたら、それは Kanye West のラップだな、と思ってゐます。 だって、あってもなくてもいいもん。そう思ひません?

Lionel Marchetti: Planktos

購讀してゐるブログのサムネがくらげだったので、 くらげがジャケットになってゐるアルバムを紹介する。

この Planktos といふアルバムは、 2020 年にリリースされた數多のアルバムの中でもトップクラスの名盤で、 未だに愛聽してやまないのだが、 そんなアルバムを今に至るまで紹介しなかった理由は單純である。 それは、このアルバムが、ミュジーク・コンクレート作品だからだ。

ミュジーク・コンクレート(musique concrète)のコンクレートは、「具體的な」を意味する形容詞で、 まあ、英語の concrete と同じである。 音樂といふ抽象的な藝術の中でも一際抽象度の高い電子音樂のサブジャンルに、 「具體音樂」なんてのがあるのはちゃんちゃらおかしいのだが、 一應、かつては本當に具體音、つまり自然の音だの樂器以外のものが出した音(サイレンとか石とか)を使った音樂だった。

ただまあ、いくら音樂が「人間によってオーガナイズされた音」を指すとしても、 さういった音の使ひ道なんてそれほどなく、 現代では「フランスの作家が作った電子音樂で、現代音樂寄りのもの」全般がミュジーク・コンクレートと呼稱されてゐるやうに思ふ。

Lionel Marchetti の作品も、ほとんどはミュジーク・コンクレートといふことになってゐるが、 大部分はシンセサイザーであったり、加工された樂器の音だったりで、 自然音を加工して作ったやうなものは(恐らく)全然ない。

この Planktos は 2015 年から 2020 年にかけて作曲およびリアライズされた作品で、 なんとおよそ 4 時間弱に及ぶ大作である。

ともあれ、どんなものなのか、實際に聽いてみてほしい。

いや~、おれが紹介を躊躇してゐた理由、おわかりいただけたらうか。

先にも書いた通り、音樂といふのは具體性に缺ける藝術である。 もちろん、音階や和音、リズムといった要素だったり、調性やポリフォニーといった形式も存在してはゐるし、 多くの曲にはタイトルもついてゐる。

しかし、それらは別に強固に現實世界の何かと結びついてゐるわけではない。 恋愛の歌があったとして、言葉がわからなければ、一體その曲が恋愛の何を唄ったものなのかはさっぱりわからないはずだ。 當然、恋愛を表すリズムや和音などといったものも存在しない。 音樂の具體性とは、大抵の場合、さうした強辯でしかない。

それでも尚、多くの人が音樂に親しんでゐるのは、 われわれがさうした見せかけの具體性を受け容れてゐるからである。 では、その具體性が感じられない音樂があった場合、人はどう感じるのか。

さういった、具體性の感じられない音樂の代表例が、電子音樂である。 なんたって、2020 年にリリースされた音盤でトップクラスのものと絶賛したおれですら、 何がそんなにいいのか、全く言葉にすることができないのだ。 そもそもこれは五線譜に書き表すことができる音樂なのか?

實際に聽いてゐるときは、 あらゆる瞬間に「ああ、なんてすばらしい音なんだ」と、恍惚としてしまふのだが、 この感覺を説明するのは困難を極める。 自分でもなぜ恍惚とするのかわからない。

豫想や期待といったものが成り立たない音樂であるのに、 好きな音が、好きなタイミングで、好きな位置から聞こえてくる。 もちろん、實際は逆で、そのときどきに鳴ってゐる音が好ましいものであるだけなのだが、 自分でも知らない好みを云ひ當てられてゐる氣分になってしまふのだ。

Planktos とタイトルがついてゐるため、 bandcamp で感想を書いてゐる人たちは、 深海がどうのかうのと云ってゐるのだが、 この音樂に深海要素は特にない。 プランクトンの何かを録音して使ってる、とかでもないやうだし。 まあ、確かにぼんやり聽いてると海中を搖蕩ってゐる心持ちにならなくもないが、 それはタイトルやジャケットに引っ張られてゐるだけで、はっきり云って氣の所爲だ。

近年の Lionel Marchetti の音源は bandcamp のみでリリースされることが多く、 この作品もその例に洩れないのだが、 お蔭でどの程度賣れてゐるかはかなりきっちりわかる (コレクションから隠してゐる人が存在する可能性もあるので、完全にわかるわけではない)。 それによると、なんとこの作品、たった 83 人のコレクションにしか登録されてゐない。 好意的に見て全世界で 100 人ほどしか買ってないってのは寂しい話である。

その少ない購入者の中に Stephan MathieuLasse MarhaugJos Smolders の名前があるのは嬉しいが、 電子音樂ってマジで賣れねえんだな…。 おれの中で好きなジャンルトップ 3 に入る音樂なんだけども。

まあ、電子音樂が樂しめるかどうかは慣れの部分も大きいので、 今度、電子音樂入門のための記事でも書かうかと思ひます (ずっと前から考へてはゐるんだけど、最良の入門コンピが廃盤なんですよね…)。

ではまた。

jaimie branch

去る 8 月 22 日、jaimie branch が亡くなった。39 歳だったらしい。 夭逝といふ言葉が相應しい、才能に溢れたミュージシャンだった。

jaimie branch がミュージシャンとしてデビューしたのは 2006 年頃だが、 彼女の名前が知られたのは、2017 年に Fly or Die をソロ名義で出してからだ (それまではバンドの一員として演奏者のところにクレジットがあっただけで、 自分の名前を前面に出したアルバムはこれが初)。

リリース元はシカゴの International Anthem で、 branch はこのほかに FLY or DIE II (2019)FLY or DIE LIVE (2021) の計 3 作を自身の名義でリリースしてゐる。

それ以外の近年のリリースとしては、やはり International Anthem から Jason Nazary とのデュオ Anteloper で Kudu (2018)Tour Beats vol. 1 (2020)Pink Dolphins (2022) の 3 作がある。

まあ、Anteloper は電子音 + トランペット + ドラムといふ、 Chicago Underground Duo と丸被りの構成で、 正直 Chicago Underground Duo のはうが壓倒的にいいのだが、 ソロ名義のはうはジャズ史に殘る傑作なので、 ジャズ好きを自稱する人間なら、須らく聽くべきだ。

jaimie branch のカルテットは、編成がちょっと變だ。 ベース(Jason Ajemian)、ドラム(Chad Taylor、Chicago Underground Duo の!)はともかくとして、 もう一人がチェロ(1st は Tomeka Reid、以降は Lester St. Louis)なのである。

そもそもチェロがジャズどころかポピュラー・ミュージックであまり使はれることのない樂器だが、 違和感は全くないどころか、 このカルテットはこの 4 人でベスト、とまで思はされてしまふのだから見事だ (Tomeka Reid がリーダーの Tomeka Reid Quartet も チェロ、ベース、ギター、ドラムといふ、やはりちょっと變はった編成だが、 このカルテットもめちゃくちゃかっこいい──しかも、ギターはなんと Mary Halvorson!)。

バンド編成以外で特徴的なのは、 やはり jaimie branch がヴォーカルを務める曲があることだらう。

全體を見れば、ヴォーカルの入った曲は多くない。 それでも、それらの曲が印象に殘るのは、 それが叫びであり、禱りであるからだ。

最初に貼った jaimie branch の寫眞を見てほしい。 あの寫眞の彼女のスタイルは、ジャズミュージシャンといふより、ヒップホップアーティストやパンクロッカーである。 やってゐる音樂こそジャズだが、精神的にはパンクやヒップホップに近いのだらう。 尤も、フリージャズだってかつては黒人の公民權運動と連動した、社會的なムーヴメントだったわけだが。

jaimie branch の音樂には、さういふ、弱者を鼓舞する響きがある。 鼓舞、などといふと偉さうに聞こえるかもしれないので、 聯帶と云ったはうがいいかもしれない。

ただ、ここで敢へて鼓舞といふ言葉を使ったのは、 jaimie branch の音樂が、どことなく Albert Ayler を思はせるものだからだ。

Ayler の音樂は、まさしく鼓舞であった。 單純なフレーズと明るさを持った、行進曲のやうな Ayler の樂曲群は、 恐らく Ayler が軍樂隊に所屬してゐた影響が大きいのだと思ふが、 行進曲っぽさが全くない jaimie branch の曲も、 單純なテーマを何度も繰り返す構成のものが多く、 そこがそこはかとない Ayler らしさを感じさせるのだ。

殘念ながら、jaimie branch は Albert Ayler と同じく、若くして亡くなってしまった。 今後、どんな音樂を作ってくれるのか樂しみにしてゐたアーティストの一人だったので、 彼女の死はとても悲しい。 おれの好きなアーティストは既に亡くなってゐたり、 たっぷり作品を出してくれてゐたりするアーティストばかりなので、 jaimie branch のやうな、まだまだこれからといった感じの人は貴重だった。 安らかに眠れ、と云ふのが適切なのはわかってゐるが、 なんかの間違ひで黄泉がへってきてくれんもんかなあ。

合掌。

Garrett List

Tommy Flanagan といふジャズ・ピアニストがゐる。 Sonny Rollins の Saxophone Colossus や John Coltrane の Giant Steps といった、 下手するとジャズを聽かない人ですら知ってゐる有名アルバムでピアノを彈いてゐる人で、 ジャズ・ファンからは「名盤請負人」として知られてゐる。

しかし、おれにとっての名盤請負人は、Garrett List その人である。

え、誰だって?

Garrett List は 1972 年にデビューしたトロンボーン奏者で、未だ存命。 近年は World Citizens Music なるプロジェクトや Orchestral ViVo! のディレクションを精力的にやってゐるやうだが、 音源が少なく(CD などでリリースされてゐるものはなく、 Garrett List の公式サイトに mp3 がいくらかアップされてゐるだけ)、 いまいちどんなものなのか摑めない。

デビュー作は Your Own Self。 内容はドローンとミニマルの混じった現代音樂作品。 ドローンとは書いたが、Garrett List の作品はどれも幾許かのポップさを備へてをり、 このアルバムでは特にベースの動きにそれが顕著に現れてゐる。 現代音樂で、かういった動きの、ソウルあるいはジャズ寄りのベースを入れる人はほぼゐない。

このデビュー作はたった 2 曲で、しかもレコードといふメディアだったから A 面と B 面にわかれてゐるだけで、 1 曲として聽けてしまふ内容だが、Garrett List の作品として、かういふ形態のものは珍しい (旋律面では、既に List らしさが垣間見えてはゐるが)。 List の作品は、寧ろ現代音樂には珍しく、小品をたくさん收録した歌入りのアルバムばかりである。

幸ひ、List の作品の多くは bandcamp で聽けるやうになってゐるので (Guy Segers がたくさんアップしてくれてゐる)、 List らしさのわかるアルバムを適當に 1 枚、貼っておかう。

List の作品の多くはこのやうなアルバムで、 現代音樂とジャズを融合させつつ、歌が入っても全く不自然でないポップさを合はせ持った、 輕快で聽きやすいものばかりだ。

さて、しかし、Garrett List の本領は、List 自身のアルバムにあるわけではない。 最初に名盤請負人と書いたが、List は客演してゐるアルバム、 つまり演奏者として參加してゐるアルバムに、 List 自身のアルバムよりもずっとずっと有名なものがいくつもあるのだ。

その中で最も有名なのは、La Monte Young の Dream House 78'17" だらう。 La Monte Young と Marian Zazeela による Pandit Pran Nath 仕込みの kirana gharana(歌唱法の名) が聽けるあれだ。 あのバックでトロンボーンを吹いてゐるのが、Garrett List なのである (違法アップロードだらうものしかないので、動畫などは貼りません)。

ドローンといへば、Yoshi Wada の自作パイプホルンを使った大作 Earth Horns with Electronic Drone にも參加してゐる。 マニアックなアルバムに參加してんなあと感心するが、 たぶんこれは La Monte Young つながりなんでせうな。

下書きで眠ってゐたこの記事を書き上げる氣になったのは、 hiroshi-gong さんが Black Sweat Records から出てゐる Goose の Som Folk Är Mest を紹介してゐたのがきっかけなのだが、 この Black Sweat Records は、最初に舉げた Garrett List のデビュー作を再發してゐるほか、 Musica Elettronica Viva(以下、MEV)の創設者の一人である Frederic Rzewski のアルバムも再發してくれたりしてゐて (このアルバムのことは過去の記事にもちょろっとだけ書いた)、 この Rzewski のアルバムにも List が參加してゐる (ミニマルの作曲家として有名な Jon Gibson や、MEV の同僚 Alvin Curran も參加)。

先日の記事で名前を出した Merce Cunningham 舞踏團のための音樂を集めたボックス、 Music for Merce にも 1 曲だけだが List の名前がある。 Christian Wolff の Burdocks といふ曲をやってゐるのだが、 ヴィオラは David Behrman、パーカッションが John Cage、Gordon Mumma がホルンとコルネット、 バンドネオンに David Tudor、ピアノは Frederic Rzewski と、豪華すぎる面子である。しゅごい…。

現代音樂もの以外なら、上に名を舉げた MEV のアルバムもいい。 特に、MEV の結成 40 周年を記念してリリースされたボックス MEV 40 なんて、 Garrett List の參加してゐる 3, 5, 6, 7 曲目のすばらしさ!  この 4 曲は、おれの大好きな Steve Lacy も參加してゐて、 正直、メンバーの名前見てるだけで腦汁出るレヴェル。

ジャズのアルバムにだって參加してゐる。 Willem Breuker Kollektief の名盤 To RemainKurt Weill でトロンボーンを吹いてゐるのは List だ。

その Willem Breuker が創設者の一人でもある ICP Orchestra にも參加してゐて、 ICP が實驗的なジャズの曲を作ったことで知られるピアニスト Herbie Nichols の曲を演奏した Extension Red, White & BlueICP Orchestra plays Herbie Nichols in Nijmegen, 1984Two Programs: The ICP Orchestra Performs Nichols - Monk に Steve Lacy とともに參加してゐる (最後のは Herbie Nichols の曲をやってゐる B 面のみ參加)。 どれも名盤である。

どうです、この幅廣い活躍。 どれもこれも名盤で、おれは全部愛聽しまくってゐるのだが、 別に Garrett List が存在感を放ってゐる、ってわけぢゃあないんですよね。 好きなアルバムを眺めてゐたら、たまたま Garrett List の參加アルバムが多かったってだけで。

上に名を出したアーティストたちのアルバムには、 Garrett List が參加してをらずとも名盤であるものもたくさんある。 でも、Garrett List が參加してゐるアルバムにはずれがないってのがすごい。 トロンボーンなんてさして目立つ樂器でもないのに。

さて、あんまり客演ものばかり紹介するのもなんなので、 最後に Garrett List 本人のすばらしい曲が聽ける上、 ほかにも豪華な曲が目白押しのアルバムを舉げて終はりにしよう。

それが、New Music New York 1979 である。 Philip Glass の音源リリースをメインにする Orange Mountain Music から、 From the Kitchen Archives の第 1 作としてリリースされたのが本作。 The Kitchen といふのは、ニューヨークにある有名なアートスペースで、 これはそこで 1979 年に行はれたイヴェント、New Music New York の記録である。

ここに收録されてゐるのは、Garrett List のみならず、當然 Philip Glass の曲はあるし、 Meredith Monk、先も名前を出した Jon Gibson、Gordon Mumma、Pauline Oliveros、Phill Niblock、Steve Reich、David Behrman、 Charlemagne Palestine、Tony Conrad といった、當時のアメリカ現代音樂の旗手たちによる樂曲で、 これを聽くだけで、當時のアメリカ現代音樂シーンでどんな音樂が主流になりつつあったかがわかってしまふ超絶お得コンピだから、買ふしかないですよ。

實際、おれが初めて Garrett List の名前を意識したのはこのアルバムで、 それまで Garrett List のことなんて全く知らなかった。 いちいち自分の持ってるアルバムの演奏者なんて見ないし。

でも、ここで Garrett List の曲として收録されてゐる Where We Are が非常によかったのだ。 それもそのはず、タイトルこそ違ふが、これは Fly Hollywood のタイトルで、 何度も Garrett List のアルバムに收録されてゐる、List お氣に入りの名曲なのだ (前半に即興と思しきパートが追加されてゐるのが理由でタイトルが違ふのだと思ふ)。

作曲家としても演奏家としても、恐らく知る人ぞ知る人だらうし、 Garrett List のことをこんなに高く評價してゐる日本人もほかにゐるのかどうか怪しいほどだが、 それはちょっと殘念だ。 この記事で、ちょっとでも Garrett List に興味を持つ人が現れてくれれば嬉しい。

ところで、あなたにとっての名盤請負人は誰ですか?