When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

best albums of 2022

今年は不作だった。 いやまあ、レコード買った量が減ったかってーと減ってないとは思ふが (昔のやうに記録を取ってゐるわけではないが、毎月の請求額見ればね)、 JPEGmafia の LP! みたいに 1 年經った今でも聽きまくってるアルバムがあるのに、 今年はさういふアルバムがあるだらう豫感がしない。 bandcamp daily のチェックをサボった所爲かな…。 年明けたら、チェック再開するぞ。 それと、Boomkat に出てる色んな人のランキングもチェックしないと。 今年はチェック漏れ多そうだから。 なんたって、去年あれだけあったヒップホップが今年は 1 枚もない!  別に聽いてないわけぢゃないのになあ。Kendrick Lamar の新譜とかもあったのに。

Björk: Fossora

まづは Björk の新譜。 いやあ、壓倒的でしたね。 かつて Björk のことを書いたことがあるが、 そこでおれは、Björk を好きな理由として 「こんな曲が出てくるなんてどんな腦味噌してんの?」とか、 さういった意外性があるから と書いた。 いやあ、今囘の新譜もさうした驚きに滿ちてゐる、まさに Björk といったすばらしいものだった。

このアルバムのテーマは低音といふことで、 確かに最初の 2 曲はベースとキックが力強く入ってゐるが、 それ以外の曲は曲調こそ暗いものが多いものの、 前作 Utopia の延長線上にあり、 期待は裏切らず、豫想を上囘ってくれる見事なアルバムになってゐる。

Eric Chenaux: Say Laura

Eric Chenaux の音樂は特異だ。 曲としてはシンプルに繰り返されるギターによるコードと歌のみで成立するのに、 そこへ過剰ともいへるぐにゃぐにゃのギターが絡みつく。 そして、それこそが Eric Chenaux の獨自性だ。

録音が存在する前の音樂は、基本的に曲のよさに偏ってゐた。 曲のよさだけでなく、音そのものの質が問はれるやうになったのは録音以降であり、 そこへ電氣樂器が登場してやうやく音響を意識した作品が生まれるやうになった。

しかし、それでも音樂の本質は曲(音韻)だと看做されてをり、 音響を主とする音樂はエレクトロ・アクースティック作品ぐらゐだ。 エレクトロ・アクースティックはその名の通り音響要素が壓倒的に強いから (といふよりも、わかりやすい音の流れがあれば人間は容易にそちらへ意識を割かれてしまふため、 音韻要素の強度がそもそも高すぎるのだが)、 結果として、音樂はどちらかの要素が強いものばかりになってゐる。

そこへくると、Eric Chenaux の音樂は、敢へて曲の要素をシンプルなものにすることで、 音響要素を目立たせた音樂、と云へる。 そのバランス感覺が稀有で、同じやうな曲が多いが飽きずに聽けてとてもよい。

Dickey Landry: Solos

ジャズも例によっていろいろ聽いたが、これが拔群によかった。 これまで Fifteen Saxophones ぐらゐしか流通してなかった Dickie Landry のアルバムを、 Unseen Worlds が唐突にすべてリイシューしたうちの 1 枚(Fifteen Saxophones を 10 年前にリイシューしたのも Unseen Worlds)。 Fifteen Saxophones はアンビエント風ミニマル作品で、 Dickie Landry が Philip Glass の作品にも參加してゐる人だと知ったときはさもありなんと思ったものだが、 この Solos は完璧にフリージャズ。 しかも、同時に再發された外のアルバムはどれもミニマル寄りなのに、これだけがごりごりのフリージャズなのである。

參加してゐる面子は寡聞にしてちっとも知らないのだが、 Dickey Landry と同じく Philip Glass Ensemble にゐた人たちっぽい。 Philip Glass の作品を演奏してたとは思へないほど、現代音樂っぽさはないが、それが逆にすばらしい。

同時に再發されたこれ以外の Dickey Landry のアルバムにはそれほど惹かれなかったが、 このアルバムが再び世に出たことは喝采を送りたい。リマスター擔當が Stephan Mathieu なのも嬉しい。

Kali Malone: Living Torch

まだ買ってないアルバムをここに擧げるのもどうなの、とは思ふが、 レコードが再プレスされたら絶對に買ひますのでご容赦願ひたい。 中身については ele-king のレヴューが、 おれの感じてゐた、「普段の Kali Malone はそこまで好きぢゃないのに、このアルバムはなんでめっちゃいいの?」といふ疑問を完全に解消してくれるすばらしいものだったので、 そちらをご覧ください。

106: DTP01 / DTP02

Phew の夫婦ユニット。DTP はデスクトップパンクの略なんださうな。 01 と 02 の 2 作が發表されたが、どちらもよかった。 電子音樂ぢゃない Phew を久しぶりに聽いた感じ。

パンクなんて滅多に聽かないのだが、 Phew がすっかり自分の樂器にしてしまったシンセがたっぷり入ってるのが實にいい。

パンクを聽かない理由は單純で、 要するにどれもこれも變り映えしないからだ。 シンプルな曲、シンプルな編成、速いテンポで構成されるパンクは、 勢ひ、どれもこれも同じやうな味はひの曲ばかりで、 もう、さういふ、微細にしかない差の中から、己の好みのものを見つける作業にはうんざりしてゐるのだ。

でも、106 はパンクといふにはかなり凝った曲の作りだし、 シンセのお蔭で彩りも華やか。 twitter でもぼやいたが、カセットの癖に値段が高かったのだけ不滿。 カセットに 3000 圓弱は高すぎだろ…。

Ann Eysermans: For Trainspotters Only

ディーゼル機関車のエンジンとハープを組み合はせたといふ、説明だけではわけのわからない作品。 なんでディーゼルエンジン?

幼い頃に列車に乘ったときの記憶をもとにしてゐるらしいが、 それにしたって普通ディーゼルエンジンの音を使はない。 それは、現代ならばイヤホンが自動でキャンセリングする音であり、 現代でなくとも、われわれは無意識のうちに不要な音の音量を下げて周囲を知覺してゐるからだ。

しかし、このアルバムではディーゼルエンジンと樂器の音が見事に竝列されてゐる。 詳しいレヴューは、これまた ele-king でのデンシノオトさんによるレヴューが的確なので、 そちらを讀んでもらひたい。デンシノオトさん、ほんとレヴューうまいな。

MF Robots: Break the Wall

BBE からリリースされたファンク・アルバム。 アシッド・ジャズを經由したことがわかるベースラインもすばらしい。

Derek Bailey: Domestic Jungle / Domestic Jungle DAT

かつて John Zorn が自身の Naked City のアルバムを出すためにディスク・ユニオンと設立したレーベル Avant Records から Derek Bailey が 1996 年にリリースした Guitar, Drums 'n' Bass といふアルバムがある。 その名の通り、Bailey がドラムンベースをバックに即興演奏を披露するもので、 云ってみればそれだけなのだが、Bailey の數あるアルバムの中でも好きな 1 枚である。

これは、そのアルバム以前に、Bailey が海賊ラジオから流れてくるジャングルに合はせて即興演奏を練習してゐた頃の記録である。 Guitar, Drums 'n' Bass が録音されたのは、 Bailey がかねてからさうした練習をしてゐたからだといふのは Wikipedia にも書いてあるのだが、 まさか實際にそのテープがリリースされるとは思はなかった。 なんたって、Bailey は自宅の臺所で録音したテープがかなりあるらしいので、 わざわざこれがリリースされるとは思ってなかったんですよ。

めちゃくちゃいい。

Derek Bailey の即興演奏は、よく知られてゐる通り、 あらゆる既存の音樂的イディオムから外れた地平を探究してゐるわけだが、 その外れに外れた音が、イディオムのみで成立してゐるジャングルのリズムにがっちり合ってゐるのが信じられない。 かつて山本精一が Derek Bailey の音樂を評して「あれはふりかけみたいなもんやから、何にかけても合ふ」と云っていたが、 ふりかけすごすぎだろ…。

Sergiu Celibidache: Orchestre National de l'ORTF

2020 年に出たボックスを 2022 年のベストに選ぶのは不適切だとわかってはゐるが、 買ったのが 2022 年なんだから許して。

それでなくとも、Celibidache といへば、2022 年には東武から傳説のリスボンでの Bruckner 8 番が正規リリースされたり、 LSO とのボックスが再發されたりしてゐるので、 そっちを選ぶべきなのかもしれないが、 後者はまだ買ってないので何も云へないし(そんなポンポン、ボックスばかり買へない)、 前者はまあ、おれが何か云はなくても、世のクラシックファンが絶賛しまくってくれるだらうから別にいいかなって…。

このボックスのすばらしさは、若い Celibidache が堪能できるところだ。 Celibidache の音源で手に入りやすいのは晩年のミュンヘンフィルのものだが、 その録音は最も早いもので 1979 年であり、ほとんどは 80 ~ 90 年代のもの。

それに比べてこちらはなんと 1973 年と 74 年の録音のみ。 晩年のじっくりと音樂を解剖し、隅々まで魅力を傳へてくれるやうな演奏もいいが、 こちらの疾走感溢れる勢ひのある演奏もまた格別。

Celibidache の叫びがちょいちょい入ることも、 これらの演奏の烈しさや高揚感を高めてくれる。 Celibidache 本人も振ってて樂しかったんだらうなあ。

Toru Takemitsu: Complete Works

ある日ふと、氣づいてしまったんですよ。 武満さんの全集って、圖書扱ひだから、貸してくれる圖書館があるのでは?って。

いやあ、ありましたねえ。うひひひひ。

おれは、武満さんの現代音樂曲はそれほど好きなわけではない惡いファンなのだが、 それ以外の武満さんの曲はどれもこれも好きだ。 映畫音樂やドラマに提供したもの、ポピュラーソングまで、武満さんは幅廣く音樂を作ってゐて、 そのどれもが、獨特の品のよさみたいなものを漂はせてゐてすばらしいんですよね。

特に好きなのは映畫音樂で、 これは随分と昔にやはり圖書館から借りた映畫音樂全集でほとんど知ってはゐたのだが、 改めて聽いてもやっぱり最高。

驚いたのはマジカル・パワー・マコと共演した音源があることで、 どうやらそのつながりで灰野さんとも交流があったらしく (灰野さんはマジカル・パワー・マコの 1st に「けいちゃん」とクレジットされてるほどの仲である)、 クレジットにはなかったが、どう聽いても灰野さんとしか思へない聲の入った曲もある。 クラウトロックみたいな曲が始まったと思ったら、しばらくして灰野さんらしき歌聲が聞こえてきたときにはホント驚いた。 武満さんがマジカル・パワー・マコの 1st を絶賛したのは有名だが、こんな録音が殘ってたんですねえ。感動だ。

Meredith Monk: The Recordings

80 歳おめでたうございます。特に新しい音源が收録されてゐるわけではないが、 拔けてるものもあったのでまとめてボックスにしてくれると助かります。

Les Rallizes Dénudés: '67-'69 Studio et Live / '77 Live / Mizutani

最後はやっぱりラリーズ。 これに關しては、正規リイシューされたことが奇跡に近い。 やっとラリーズが聽けるんだ!なんて感動はもちろんない。 都内近郊に住んでゐれば今はなきジャニスから借りれば濟むことだったし、 さうでなくともダウンロードが違法でなかった時代にこの音源はインターネットで簡單に見つけることができた。 いや、それどころか、ラリーズの音源がかうして正式な人の手に渡るまでは、 TSUTAYA や Spotify にすら海賊盤が溢れてゐたのだから、幻でもなんでもなかった。

だから、おれもこれらのアルバムの中身には、久しぶりだな~ぐらゐの感想しかない。 寧ろ、改めて聽くとラリーズの下手な部分に氣づかされてちょっとがっかりした瞬間すらある。

でもまあ、そんなのは大したことではない。 正式に再發されただけでありがたい。 山口冨士夫さんとやってる頃のも出してください。お願ひします!

La Monte Young: Trio for Strings

https://www.diaart.org/shop/books/trio-for-strings-lp-box-set-media

これは番外。このボックス、3 萬もしたのだが、いまいちだった。 La Monte Young の作品の中では、Just Stompin' に次ぐ駄作。 どんだけ改訂したところで、やっぱ大學院生のときに作った曲だもんなあ。 なんつーか、深みに缺けるんですよね。 もったいない金の使ひ方をしてしまったと思はなくもないが、 買ってなかったらそれはそれで氣になって仕方なかっただらうから儘ならぬ。

と、2022 年に買ったものでよかったのはこれぐらゐです。 本來なら昨日のうちにアップするつもりだったのだが、 なんやかんやで今日になってしまった。 今年もいろんな音樂に巡り會へますやうに。