When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Green Hell

ここしばらく、Green Hell といふゲームを友人と遊んでゐた。 ジャングルの中でサバイバルするゲームで、タイトルはそのことを表してゐる。

もともとサバイバルゲームは大好きで、 これは 2019 年 12 月にもらったので、そのときも同じ友人と遊んだのだが、 途中で行き詰まったか飽きたかして、放置してゐた。

ただ、このゲームは精力的にアップデートが續けられてゐるのは知ってゐたから、 機會があればまた遊びたいと思ってゐて、 ちょうど Palworld を遊び終へたので、 なら次はこれやるか!と久々に起動したのである。

いやあ、もう、めちゃくちゃ面白かったですね。

とにかく、サバイバルゲームとしての出來がすばらしい。 大抵のサバイバルゲームは SF 要素(ゾンビは特に多い)やファンタジー要素が入ってゐて、 現實とは明確に別の世界で生き延びるので、 死の原因も、逆に生き延びる方法も、それほどリアルなわけではない。

しかし、このゲームは舞臺がジャングルである。 死の要因は感染症だったり餓死だったり毒だったり肉食動物だったりと、かなりリアル。 地圖だって、序盤で手に入りこそするが、現在地が表示されたりはせず、 いちいち GPS と照し合はせなくてはならない。

もうホント死ぬ。死んで、死んで、死にまくる。 サバイバルできねえ~。

しかも、ゲームの都合上當然なのだが、主人公はろくにサバイバルに必要なものを持ってゐない(ライターすらない!)。 だから、ふとした油斷で簡單に死ぬ。 セーブも儘ならない。 以下にこのゲームをやってゐてよくあることを記す。

  • 水を飮む→寄生蟲に感染
  • 適當にその邊のものを食べる→食中毒になり、ゲロ吐いて體力激減
  • その邊で寝る→體内に蟲が入り込む
  • 迂闊に歩く→ガラガラヘビや蠍、蜘蛛から毒を頂戴する
  • 迂闊に歩く→肉食動物(ジャガーピューマ、ワニ!)に襲はれる
  • 迂闊に歩く→迷子になって餓死
  • 傷を負ふ→汚れた手で処置したために感染症にかかる

めちゃくちゃ細かくないですか? でも、云はれてみればそりゃ死ぬよ、と思はされることばかり。 だっておまへ、汚い手で傷口觸っちゃあねえ。だめだろ。

しかもこのゲーム、正氣度なんてのもあって、 上に書いた寄生蟲、蟲に加へ、蛭もゐるのだが、 こいつらはこちらの正氣度をじりじりと削ってくる。 正氣度が減りすぎると、幻聽、幻覺に惱まされることになり、 ゲームをやる上でもかなりストレスになるが、 なんと幻覺として出てきた原住民に攻撃されて死んだりするのだ。 思ひ込みで死ぬなよ!!

デバフを全部受ける實績を解除したときのゲロを吐いてる樣子。左下のアイコンは左から不眠症、榮養不足、蛭・蟲・傷など體の異状、汚れ、毒、發熱、寄生蟲、食中毒を表す

もちろん、上記したことはどれも對策がある。

  • 水→煮沸して飮む
  • 食べ物→調理して食べる
  • 睡眠→葉っぱでいいので、ベッドを用意して寝る
  • 敵對生物→ちゃんと唸り聲やカサカサ音が聞こえる

毒、食中毒、發熱、傷、正氣度の減少などもきちんと對策があり、 それらを知ってゐて備へがあれば、滅多に死ななくなる。 ゲームを始めた頃は似た景色ばかりで憶えられなかった道も、 (GPS に頼る部分はあるが)いつの間にか憶えてしまふ。 武器である弓矢も、慣れるまでは全く役立たずだが、 慣れれば頼もしすぎる武器に變貌。

しかし、それはあくまで慣れた人の話。 慣れないうちは火を起こすことすら一苦勞で (なんたって、火起こしは木をキコキコやる原住民式だ!)、 これほど普通に生きることが大變だと思ひ知らされるサバイバルゲームはなかなかない。

そして、適度な愼重さを身につけてしまへば、 あれだけ過酷だったジャングルが、 生きていける資源がたっぷりあるヌルい環境に思へてくるのが見事。 一度死んだら終はり、といふ難易度 Green Hell でクリアする實績もあるのだが、 正直ゲームに慣れてれば餘裕で、2 日で一發クリアしてしまったほど。

現在は一人で實績解除のために追加ストーリーをやってゐるが、 これはミニゲーム的なものが過剰でいまいち。 ストーリーなしのサバイバルモードもあるのだが、 こちらは逆に必要な資源が多すぎてあまりに大變。 結局、ストーリーのバランスが最もよかった。

ストーリー自體はひたすら暗く、グッドエンドも、ほんとにグッドか?と疑ひたくなるやうなものだが、 ゲームを進める推進力としてはよかったので問題なし。 そもそも、おれはゲームのストーリーなんてほぼ氣にしないし (だって、やりたいのはゲームであって、お話を讀みたいのではないのだ)、 なんならストーリーは友人がゴリゴリ進めてくれて、 おれはサバイブできる環境を整へることに夢中だったので…。

とにかく、サバイバルゲームとしてはかなり上質で、文字通りサバイバルを味はへる名作である。 だって、マゴットセラピーで傷を治すサバイバルゲーム、やったことあります?  そんな傑作が、なんと今ならスプリングセールで PC 版は半額!  Switch 版なんてたった 250 圓だ(かなり長くアップデートされてないっぽいのでおすすめはしないけど…)。 買ふっきゃないよ。

best albums of 2023

年末にその年のよかったアルバムを列擧してゐて思ふのだけれど、 これ、12 月にリリースされたアルバムって損ぢゃないすか?  だって、1 ヶ月も聽き込んでないうちに、その年のベスト級かどうかを判定されるわけで、 どうしたってそれまでに聽き込まれたアルバムと比べて公正な評價をすることができない。

あと、他人のベストを見て初めて知るアルバムなんかもあって、 これは自分のリストからは取りこぼされることになるのだが、 取りこぼされたらもう永久に紹介されることはなくなってしまふ。 いやまあ氣にせず紹介すればいいんだけど、結局のところ、それはよそで既に紹介されてるアルバムだと思ふと、 いまいち積極的に紹介する氣になれない。

そんなわけで、今囘はどうにもならない前者はともかく、 後者の昨年のベストから取りこぼしてしまったアルバムを先にいくつか舉げる。

John Also Bennett: Out there in the middle of nowhere

これはまさに、去年末に發賣された所爲で取りこぼされてしまったアルバム。

ドローンといふ音樂は、そもそもが「一つの音を長く伸ばす」といふものだから、 それほどヴァリエーションがあるわけもなく、 結局のところ音色(使用樂器でほぼ決まる要素)と音律(音高だけでなく、調律理論や殘響なども關はる)の違ひぐらゐしかない。

そんなわけで、ドローンといふ音樂を聽き始めて四半世紀ほどは經つおれにとって、 それほど目新しいドローンはほとんど存在しないのだが、 ラップスティール・ギターとシンセサイザーを主體とする John Also Bennett のこのアルバムは、 出した音そのものではなく、出されたあとの音による調和を聞かせる、 ドローンとしては珍しい作品だ。

殘響音にスポットを當てたものとしては、 有名どころだと Pauline Oliveros の Deep Listening があるが、 あちらが音を發すると同時に殘響音が生じてゐたのに對し(さういふ場所で演奏してゐるのだから當然だ)、 こちらのアルバムでは彈き終はったあとの音を加工することで、全く違った、新たな音響效果を生み出してゐる。

John Also Bennett の他のアルバムは、 下記の ele-king の記事にもある通り、 かなりアンビエント寄りでおれの好みではないので、 まさかこんな傑作を出してくるとは豫想してゐなかった。 ドローンの新たな可能性を提示した見事なアルバムだ。

Lucrecia Dalt: ¡Ay!

これは 2022 年 10 月のリリースなので、去年のベストに入れようと思へば入れられたのだが、 おれのアンテナが鈍くて見逃してゐた。

といふのも、Lucrecia Dalt がおれの中ではそれほど重要なアーティストではなかったからだ。 このアルバムのリリース元でもある RVNG Intl. は昔から大好きなレーベルの 1 つなので、 彼女の新譜も出たら一應は一通り聽いてゐたのだが、 今ひとつ物足りなさを感じて、惡くはないんだけどのめり込めないアーティストの 1 人だった。

だから、このアルバムを初めて聽いたときもあまり印象に殘らず、スルーしてゐたのだ。

しかし、昨年末に公開されたいろいろなベストアルバムを見てゐたら、 このアルバムを舉げてる人(やサイト)がかなりたくさんあったので、 慌てて再度聽いてみた。 おれの昨年のベストアルバムに入れられなかったのは、そんな理由だ。

で、改めて過去作と比べながら聽いてみたんだけど、全然違ふぢゃん!!

Lucrecia Dalt のこれまでの作品は、電子音と聲を中心とした、幻想的かつ靜謐なもので、 おれはそこにスノビズムを嗅ぎ取ってしまひ、 それこそがおれのいまいちのめり込めなかった理由なのだが、 このアルバムは生樂器による演奏が中心になっており、 これが Lucrecia Dalt の紡ぐ音樂の雰圍氣と極めてマッチしてゐる。

さう、彼女の作る音樂の雰圍氣が變はったわけではない。 表現方法が變はったため、こちらに與へる印象がガラリと變化してゐたのである。

まづ、何より音が増えたことでこれまで感じてゐた物足りなさがバッチリ埋められたのが大きい。

Lucrecia Dalt のこれまでのアルバムは電子音が中心だったわけだが、 それら電子音は雰圍氣を形成するために散りばめられてをり、 さういった使ひ方は決して惡いことではないのだが、 本當に雰圍氣を形成するだけに留まってゐたところがある。

しかし、生樂器ではさうはいかない。 現代音樂やフリージャズでもない限り、 生樂器による曲は旋律を必要とし、 これまで見せてこなかった Lucrecia Dalt の作曲能力が思ひがけず露はになる形となった。

おいおい、こんな見事な曲が書けるんなら最初から教へといてくれよ。

このアルバムに收録された曲の下敷きになってゐるのは、 彼女が幼少の頃に親しんだ樣々なラテン音樂らしいが、 Lucrecia Dalt の幻想的な曲調とラテン音樂がこれほどうまく調和するとは思はなかった。

装飾的な電子音の使ひ方もさすがの一言で、 Lucrecia Dalt のこれまでの全てが結集した大傑作。

They Hate Change: Finally, New

いやこれ、2022 年 5 月リリースですよ。見逃してたにも程があるでせう。 しかも、去年はヒップホップ不作だったなーとか云ってんすよ。 何が不作だよ。おまへのアンテナが腐り落ちてるだけだよ。

Deathbomb Arc から Jagjaguwar に移籍してリリースされたアルバムで、 音樂性自體は Deathbomb Arc 時代と變はらないのに、なぜかこのアルバムはやたらいい。

特徴的なのはトラックで、ラップ拔きにしても良質なテクノおよびハウスになってをり、 しかもジャングルやグライム、フットワークといった、 近年とみに勃興著しいサブジャンルを巧みに取り込んでゐるのがすばらしい。 本人たちもトラックに自信があるのか、11 曲目の Perm なんかはなんとラップなしである。

個人的にはあまりヒップホップといふジャンルの普通のものは聽かないのだが、 これはかなりポピュラーなヒップホップに近いと思ふ。

Lisel: Patterns for Auto-Tuned Voices and Delay

さて、ここからは 2023 年リリースのものになる。 1 枚目は Lisel といふ人のアルバム。 なんでもニューヨークフィルと一緒に Meredith Monk のオペラを演ったりした人らしい。

そんな人だけあって、このアルバムはヴォーカル・ハーモニーがメインの作品なのだが、 かうした作品には珍しく、 なんとオートチューンを使った聲を使って曲が作られてゐるのである。

日本ではオートチューンを使ふと聲がケロるなどと云はれてゐるが、 オートチューンでヴォーカルを補正することは特に珍しくもないことになってゐる。 が、それは手放しに歡迎されてゐるわけではもちろんなく、 音を外すよりはマシな手段と捉へられてゐるに過ぎなからう。

Lisel は、さうした、決して前向きに使はれてゐるとは云へないツールを、 逆にメインに使ふことで、全く新たなヴォーカル・パフォーマンスものを作り上げた。 いや、これはかなり衝撃的だった。

聲といふ、これ以上ないほどに自然な樂器を使ってゐながら、 聞こえてくるのはバリバリに加工された人工的な音。

しかも、タイトル通りそれらはパターン化され、 サンプリングされた音のやうに分割され、繰り返される。 ヴォーカルものでありながら、ヴォーカルそのものを加工するといふ、 禁忌とすら思へる所業に果敢に斬り込み、斬新な結果を殘した革新的な傑作だと思ふ。

なのにこのアルバム、どこのベストアルバム見てもまるっきりスルーされてんだよなあ。 なんでだ。bandcamp daily でも紹介されてたのに、 bandcamp の年末リストにもなかったし。

Noname: Sundial

今年のベスト・ヒップホップは間違ひなくこれ。 JPEGMAFIA の新作なんかもありはしたが、 それは思ったより全然大したことなくて、LP も買はず仕舞ひ。

こちら Noname の 2018 年以來の新作は、ブラック・ミュージックのいいとこ取りを成し遂げた快作。

なのだが、ラップを含む音樂はとかくその歌詞が評價の中心になることが多く、 このアルバムも 3 曲目 balloons にフィーチュアされた Jay Electronica の唄ふヴァースが原因でめちゃくちゃ炎上してしまった。 いやいや、そんなことどうでもいいぢゃん。 寧ろ、その曲で語るべきことは、Jobim の超名曲 Waters of March を想起させる Noname のヴァースだろ???? 莫迦かよ。

ただ、歌詞がいいから名盤!みたいなことになることもあるヒップホップといふジャンルにあって、 このアルバムは歌詞の内容がなんであれ、音樂的に最高!の一言。 ブラック・ミュージックのいいとこ取りと最初に書いたが、 曲の雰圍氣は 70 年代初頭の所謂ニューソウルに近い。 ラップ一邊倒でなくコーラスや歌もちょいちょい入るので (4 曲目の boomboom とか初っ端から思ひきり唄ってゐるし、 10 曲目の gospel? のコーラスの美しさといったら!)、 ヒップホップに分類するかソウルに分類するか難しいところだ。 トラックはループものが多いのだが、7 曲目の beauty supply のやうに ベースラインが凝ってゐてめちゃかっこいい曲もあったりする。

で、このアルバム唯一の難點は、このレコードが Noname から直に買ふしかなささうなところ。 2 枚組でもないのに 5800 圓とお高く、これに送料もつくんならかなりきついお値段。 瞬殺される JPEGMAFIA みたいな例もあるから、買へるうちに買っておくのがいいんだらうけど、むむむ。

Liv.e: Girl in the Half Pearl

Liv.e の新作も相變はらずすばらしかった。 同じブラック・ミュージックでも、Noname と違ってこちらは前衞を切り裂く感じ。

なんといっても曲の作りが現代的だ。 音の繋ぎかたが獨特すぎて 1 曲を聽いてゐるだけなのにザッピングしたかのやうな感覺が味はへるし、 曲の終はりも全く未練なく唐突に訪れたりする。 バッキングとメロディもマッチしてるんだかしてないんだかの際どいラインで、 アルバム全體を通して常に不安定な氣分に苛まれる。

そもそも、最初にブラック・ミュージックと書いたし、 實際に聽けば構成要素は R&B のものでしかないのだが、 あまりに前衛的すぎて、これを R&B だと云って聽かせたところで、 多くの人は納得できないのではないか。 しかし、といって R&B 以外の何なのだ、と云へば返答に窮する音樂である。

これらの刹那的な不安定感こそが Liv.e の魅力であり、 今作はその魅力が遺憾なく發揮されてゐる。 今後の活動も樂しみだ。

MV & EE: Green Ark

おれは新しい音樂を常に求めてゐるので、 一年のベストを發表する際には昔から知ってゐるアーティストはあまり入れないぞ、 といふ氣持ちで選んでゐる。 なんでって、活動が長い人たちは、あんまり音楽的に新しいことをやってくれないからだ。

もちろん、歳を重ねても新たな面ばかりを見せてくれるアーティストはたくさんゐて、 どうせ買ふならさういふアーティストを優先してしまふため、 選んでみたら結局昔から知ってる人のはうが多かった、 なんてことになったりもするが、 まさか、MV & EE を今さら選ぶことになるとは思はなかった。

かつてリリースされた Wet Tuna のデビュー作なら選ぶ理由はあった。 Matt Valentine と P. G. Six が一緒にやるなんて The Tower Recordings 以來だったし、 アルバム自體も The Tower Recordings とは全く違ったけれども、 それでゐてこちらの期待を裏切らない名盤だったからだ。 でもあれはこのブログを始めた年にリリースされたアルバムで、 當時はまだ年間ベストなんてのを書いたりもしてゐなかった。

でも、MV & EE は違ふ。 もうずっと二人で活動してゐるし、 なんなら Wet Tuna だって P. G. Six がゐなくなってしまって、 もうほとんど實質的には MV & EE だ。 だから、このアルバムがリリースされたときも、 まーたいつものやつか、ぐらゐの氣持ちだった。

なのに、MV & EE はこちらの豫想を見事に裏切ってくれた。 hiroshi-gong さんもわざわざ記事にしてゐたが、 MV & EE 名義では久々の傑作と云っていい。

なんといってもサイケデリック感が違ふ。 これまでの、フォーク色が強い MV & EE だって惡くはなかったが、 おれたちが求めてるのはこれなんだよ!と大聲で云ひたくなるほどのドープ感。

ワウの效かされまくったギター、意味不明なシンセ、ぼんやりしたヴォーカル、弛緩した空氣。 これだよ、おれはずっと、これが聽きたかったんだ!

The Tower Recordings 時代に比べればそれでも音樂はかなりかっちりしてゐて、 あの頃の聽いてゐるだけで涎が垂れそうな雰圍氣ですらないものの、 腦味噌は充分にでろでろにされる。 カヴァー曲である Dancin' in the Street もメロディしか殘ってゐない。

いひひひ、これがサイケデリックってやつなんすよお。うへへへ最高。

Edsel Axle: Variable Happiness

bandcamp daily の best albums A-E を片っ端から再生してゐて知ったアルバム。 全然知らない人だけどめちゃくちゃいいな!と思って調べたら、Rosali Middleman の變名だった。 Rosali っておれが 2021 年のベストに 2 枚入れたあの Rosali ぢゃん! おれの好みを的確についてくるとは…。さすがだ。

中身はサイケデリック・ギターソロ集で、 音樂的に新しいことは特にないが、 おれのフェティシズムに直撃したからね。仕方ないね。

Emily Robb: If I Am Misery Then Give Me Affection

フェティシズム直撃といへば、このアルバムもよかった。

何がいいって、 昨年リリース 20 周年だった秋山徹次の大傑作 Don't Forget to Boogie を髣髴とさせるブギー・ギターものだってところ。 前にも書いたが、おれはブギーを偏愛してゐるのだ。

Emli Robb のギターは秋山さんほど苛烈にブギーで攻めたててくるわけではないが、 逆にそれ以外のギターもたっぷり入ってゐるところがいい。

おれがロックと呼ばれる音樂のほとんどを聽かなくなって久しいが、 それは、ロックと呼ばれる音樂が、反骨精神の表現として扱はれることが多いのに對して、 實際の音樂は決まりきった型を繰り返すばかりのものであることにうんざりしてゐるからだ。 よくもまあ、あんな類型的な音樂を聽いて「これぞロック!」などと云へるものだ。

さういふやつらに云ってやりたい。よく聽け。このアルバムこそがロックだ、と。

DJ Ramon Sucesso: Sexta dos Crias

自分の中で未だに音樂の評價軸が定まってゐないこともあり、 好きなアルバムや音樂に順位をつけるのはあまりに困難で毎年サボってゐるのだが、 もし順位をつけるなら、おれにとって 2023 年の 1 位はこれ。

おれが聽いたことのない音樂を追ひ求めて音樂を聽いてゐることは常々書いてゐる通りだが、 これは本當にわけがわからなかった。 bandcamp にある唯一のユーザーレヴューが ?????????????!!!!!!!!!!!!!!!! huh ? ?????? whuh ?????!!??!?! ?!!?!! ?????? buuhhhh?????? であることはそれを如實に顯はしてゐると云へやう。

meditations で「破格のバイレファンキ傑作!」と紹介されてゐたが、 ほんとにこれ、バイレファンキでいいのか?

ヒップホップ全盛の今、サンプリングを驅使した作品は珍しくないが、 切り取る單位はやたら短いし、それでゐて執拗に繰り返すし、 無駄な音や效果を入れまくるし、 サンプラー手に入れたばっかりの子どもが遊んでんのか?!みたいな勢ひでアルバムまるまる突き進むのだから凄まじい。

もうね、Nyege Nyege レーベルに初めて出會ったときのやうな衝撃でしたよ。 かういふのがあるから未知の音樂を探し續けてしまふんだよなあ。

various artists: The NID Tapes: Electronic Music from India 1969​-​1972

電子音樂は 2 つも重要な發掘ものがあった。 あの David Tudor が設立を支援したインドの電子音樂スタジオ National Institute of Design で録音された作品集であるこれ (ちなみに、何年か前にリリースされた David Tudor の Monobirds もこのスタジオで録音された)と、 Vinyl on Demand から出た Anestis Logotethis のボックスだ(まだ買ってないのでランクには入れず)。

いやあ、やっぱこの時代の電子音樂はたまらんね。 取り敢へず何ができるか試さうぜ!みたいな曲があるのもご愛嬌。

電子音樂のすばらしさの一面は、緻密に構築された音響美で、 優れた電子音樂と看做されてゐるものは、どれもその側面を持ってゐる。

しかし、このアルバムに入ってゐる曲は、 電子音樂スタジオができてはしゃいでゐる樣子が強く傳はってくるものばかりで、 緻密さだったり美しさだったりは全然ない。

それよりも、新しいおもちゃが使へることに夢中で、 とにかくいろんな音を出したい!といふ欲望が結實したものばかり。 バカっぽい音が遠慮なしにたくさん鳴らされ、 曲の構成も、構成と呼べるほどのものなんてないものがほとんど。

目玉であるはずの Tudor の作品も、Tudor であることを感じさせない、手遊びのやうな曲である。 でも、それは別にこのコンピの價値を減じるものではない。 Tudor のかうした曲は珍しくて新鮮だし、アルバムの統一感にも寄與してゐる。

今年もいい發掘音源が出ますやうに。

Ghost Train Orchestra & Kronos Quartet: Songs and Symphoniques

これについては既に書いたので追加で書くことはない。最高。

nomoneynohoney.hatenablog.com

Joseph Shabason: Welcome to Hell

ベストに入れるかどうか迷ったアルバム。

なんでって、別に音樂的にはおしゃれな現代アンビエント・ジャズって感じで、新しさなんかはないからだ。 かつ、ジャズ・アルバムとしても、特に傑作!といふわけでもない。

それなのに、なぜこのアルバムを選んだかといふと、 一番大きな理由はギャップ萌えである。 だって、このアルバム・タイトル(Venom かよ)の上、ジャケもちゃんと惡魔っぽくしてあるのに、 中はあざとさすら感じるほどのシャレオツなジャズ。どう見ても狙ってる。

あとなんか、普段フリージャズ寄りのばっかり聽いてて意識してなかったんだけど、 普通にこのアルバムの曲、めっちゃ好みですわ。 自分でも忘れてゐた好みを思ひ出させてくれたから長く聽けそう。

それもこれも、この頭の惡いタイトルとジャケあってのこと。うまい作戰だ。 いやまあ、中がおれの好みに合致してたのはたまたまだけど。

2023 年のベストはこんなとこかな。 年始に書いてだいぶ放置してたので、また取りこぼしありさうだけど、 もう 2 月も終はってしまふので、もう公開しときます。

John Zorn's Documentary & Cobra

見てきましたよ、John Zorn のドキュメンタリーを (巻上さんがプロンプターを務めた Cobra ももちろん堪能したが、 それについても書くと長くなるから今囘は割愛)。

いやあ、チケット發賣されてけっこうすぐ買ったつもりだったのに整理番號が 216 番だかで (新文芸坐のキャパは 264 席)、え、John Zorn ってそんな人氣なの?!と驚いたんだが、 なんとチケットは即日完賣だったらしい。 巻上さんが「今日來られた人はラッキー」と仰ってゐた。マジかよラッキー!

肝心の内容は、上に貼ったサイトで紹介されてゐるあらすじ通り。 ドキュメンタリーといへば、普通は本人や周囲の人間のインタヴューが多いのに、 このドキュメンタリー、さういふのほとんどなし!  大半は練習風景で、あとたまにライヴ本番の樣子があるぐらゐ。

で、まづ思ったのは、Masada めちゃくちゃ活動しとる!  Zorn I から Zorn III までの全てに Masada の演奏風景があったから、 少なくとも 2018 年まではあの面子でやってたってことだ。 見られた人、羨ましいいいいいいいいい。

なんたって、おれは John Zorn の活動の中で Masada がトップクラスに好きなのだ。 Dave Douglas、John Zorn、Greg Cohen、Joey Baron のあのカルテットをこよなく愛してゐるのだ。

なのにさあ、Masada 關聯の音源は、New Masada Quartet だったり Masada Books をいろんなアーティストに演奏させたりで、 おれの聽きたいオリジナル Masada による演奏は皆無。 もうさあ、餓ゑてんだよ、こっちはさあ。 しかも John Zorn親日家のはずなのに、日本に全然來ないし!

巻上さんによると、誰も呼ばうとしないらしい。 Masada も巻上さんが 1 囘呼んだだけなんださうな。 嘘だろ~~~~~~。 ドキュメンタリーやるってだけで即日完賣やぞ? 大人氣やぞ?  誰か呼んでくれよ。 まあ、おれもそんな人氣あるって知らなかったけどさ…。

Masada 以外で驚いたのは、作曲の緻密さ。 John Zorn はもともとジャズの人だし、 Derek Bailey 以降の、もはや何でもありみたいな即興を得意とする人だから、 作曲作品を多くリリースしてゐるのはもちろん知ってゐたが、 あんなに厳密にやってるとは思はなかった。

いやもう、練習風景がクラシックさながら。 指揮者がオーケストラに指示してる樣子となんら變はらない。 樂譜の×小節目はかう演奏してくれとか、ここはもっとこんな雰圍氣でとか、 とにかく細かく指示を出す一方で、演奏者のことも演奏のこともめちゃくちゃ褒める。 あんだけ樂しそうに聽いてくれたら、演奏する側も嬉しくなってがんばっちゃふよ。

さうした John Zorn の一面に特にクローズアップしたのが Zorn III で、 それまでの 2 作が Zorn の多彩な活動をいろいろ紹介してゐたものだったのに對し、 Zorn III はほとんどが Jumalattaret といふ作品がお披露目されるまでの樣子になってゐる。

Jumalattaret は ピアニストの Stephen Gosling とソプラノ歌手の Barbara Hannigan のたった 2 人で演奏される曲だが (これ、歸ってから調べて知ったのだが、Barbara Hannigan とこの映畫の監督 Mathieu Amalric は男女の付き合ひをしてるらしく、 その縁で Barbara Hannigan と John Zorn は知己を得たんだとか *1)、 數多くの現代音樂で初演を務めてきた Barbara Hannigan をして、 「うまくできなくて惱んでゐる」と、弱氣なメールを John Zorn 宛に送ってしまはせるほど、 超絶技巧が要求される曲。

いやいや、現代音樂なんて超絶技巧の曲だらけですやん。 そんなのをばんばんこなしてきた Barbara Hannigan をして、 「自分の力量を超えてゐた」って云はせる曲なのかよ!

でも、練習に練習を重ねて難曲に取り組んでいく樣は、月次ではあるが、ドラマチックで感動的だった。 殘念ながら、この曲は未だにライヴでしか披露されてゐないらしい。 CD でリリースしてくれえ(John Zorn はレコードをプレスすることが滅多にない)。

John Zorn は大好きなアーティストだし、だからこそ映畫まで見に行ってるわけだが、 いかんせん作品數が膨大すぎて(なんたって discogs に登録されてるアルバムだけで 273 枚もある!)、 追ふのが大變すぎるから、ここ 10 年ぐらゐちゃんと聽いてなかったんですよ (適當につまみ食ひはしてゐたので、全く知らないわけではない)。

かつては、烏鵲さんといふ方が、烏鵲の娯楽室といふサイトを運營されてゐて、 そこでかなりの數の John Zorn のアルバムが紹介されてゐたのだが、 そのサイトも何年か前に閉鎖されてしまった。

一應、烏鵲さんはブログを續けてをられて、 アルバム紹介も讀めはする。

ただ、ブログ形式になってしまって、 以前のやうなジャンル分けがなくなってしまったので、 例へば現代音樂っぽいの聽きたい!と思っても、 どのアルバムがさうなのか調べるのが難しくなってしまった (いやまあ、Concert Music シリーズなのは知ってるんだけど、 なんかあれ、表向きは別のシリーズで、帯の裏を見ないとわかんないのに、 ネットで買ふときって帯の裏は見えないから…)。 しかもどうやら烏鵲さんも最近はそれほど John Zorn を買ってゐないっぽい。 うおおん、おれはどうやって John Zorn のアルバムの中身の見當をつければいいんだ!  discogs とか Tzadik(John Zorn が長年やってゐるレーベルで、彼の作品はほぼここから出る)で演奏者を見るしかないの?

とまあ、そんな具合で、久しぶりに John Zorn をしっかり聽きたくなる、すばらしい映畫だった。 いや、まあ、III だけではそこまで氣分も盛り上がらなかったかも。 斷片的だったし、あそこで描かれてるぐらゐの John Zorn は知らないってほどではなかったから。 やっぱ、III がすごく大きかった。

そして、もう一つ印象に殘ったのは、John Zorn が 「腦内にある音を出したくて曲を書いてるんぢゃない。 聽いた人を驚かせたいんだ」って云ってたこと。 同じく多作で、ジャンル分けが難しい曲を書きまくった Frank Zappa とは對照的だ。 Frank Zappa のドキュメンタリーでは、Zappa が己の耳の奴隷だった、と何人かがインタヴューで答へてゐたし、 Zappa 本人も腦内で鳴ってゐる音樂を實際に聽きたいんだと云ってゐた。

でも、John Zorn は聽いた人に「What the fuck??!!」と云はせるために音樂を作ってゐる(作曲も、即興も)。 最近は音樂を聽いてさう思ふことも少なくなってしまったが、 あの偉大な John Zorn がそんな氣持ちで音樂を作ってくれてゐるといふなら、 ウキウキで拜聽させてもらへる音樂はまだまだ世の中にあるってことだ。 いやあ、嬉しいですね。

最後に、おれの大好きな 2001 年のアルバム Songs from the Hermetic Theater から、 最後の曲と最初の曲を貼っておきます。 いやあ、John Zorn 最高! 70 歳の誕生日おめでたうございます! 長生きしてください!!  ちなみに、今囘の 3 部作、年明けにまた調布で上映されるとのこと。 見逃した人は是非行きませうね。

それと、John Zorn の音樂を知りたい人は、 今日の Cobra の演奏にも参加してゐた大友良英NHK のラジオで紹介してゐたみたいなんで、是非そちらをどうぞ。

ところで、Jim O'Rourke がぼろぼろの緑のカーディガン着てなくてびっくりしたんだけど、どうしたの???

*1:New York Times の記事にさう書かれてゐる

Ghost Train Orchestra & Kronos Quartet: Songs and Symphoniques

Moondog

Moondog の新しい作品集が出た。しかも演奏に Kronos Quartet が參加してゐる(下に貼った動畫の 2 つ目は、 なんと 1 時間 40 分あたりのところで、ゲストとして David Byrne が出てきて Be a Hobo をやる!)。 聽くのは Spotify でも Amazon でも Apple Music でも bandcamp でも可能だが、 これは是が非でもレコードでほしい。早くどっか入荷してくれ。

Moondog は「6 番街のヴァイキング」の異名で知られる、盲目の作曲家だが、 有名なのは初期ばかりで、70 年代なかばにドイツに移住して以降の曲は、 それほど知られてゐない印象がある。

その原因としてはリリース元の影響が少なくないはずで、 ニューヨーク時代の Moondog のアルバムが Epic、Prestige、Columbia と名だたるレーベルから出てゐるのに對し (しかも Prestige 時代のやつなんて Rudy Van Gelder がマスタリング擔當である)、 ドイツ時代の Moondog のアルバムは大半が無名の Kopf といふレーベルから出てゐたため、 世に出囘ってゐたレコードおよび CD の數は、壓倒的にニューヨーク時代のものが多かったのだ。

だが、今は違ふ!(ギュッ) Spotify なり bandcamp なりでドイツ時代のものも簡單に聽けるんだ!

そこへ來て、Ghost Train Orchestra のこのアルバムである。 いい時代になったものだ。

このアルバムのいいところは、演奏の質が高いところはもちろん、 ニューヨーク時代、ドイツ時代のどちらからも滿遍なく曲が選ばれてゐるところだ。

正直、ニューヨーク時代のオリジナル音源は、演奏がショボいものが多い。 樂器は少ないし、演奏能力もいまいちである。 演奏時間も短いものが大半で、ニューヨーク時代の Moondog ばかりが有名だった頃は、 これで Moondog の魅力に氣づける人なんてどれぐらゐゐるんだ?と疑問に思ってゐた。

その點、ドイツ時代のものはどれも演奏がしっかりしてゐるし、曲も短すぎない。 Mouse On Mars 結成前の Andi Toma のスタジオで録音され、 Andi Toma 自身もプロデュースなどで參加した Elpmas なんてアルバムもある (おれの一番好きなアルバムでもある)。

Moondog の魅力を本當に知りたいなら、絶對にドイツ時代のアルバムを聽いたはうがいいとかねがね思ってゐたが、 そのためにうってつけのアルバムであった The German Years 1977-1999 はとっくに廃盤で、 しかもプレミアがついて高騰してゐる。 ベスト盤と生前のラスト・ライヴを收めた CD 2 枚組の、最高のコンピなのに!

しかし、このアルバムがリリースされたことで、やうやくその無念から解放された。

上にも書いたが、まづ選曲がすばらしい。 おれが同樣のアルバムを企畫したら、ドイツ時代の曲ばかりずらずら竝べてしまふが、 これは 50 年代のものから 80 年代のものまで廣い範囲に亙って曲が選ばれてをり (だいぶマニアックなものも含まれてゐる)、 しかも、古い曲のアレンジが見事だ。

ニューヨーク時代の曲の難點は演奏のショボさだったわけだが、 このアルバムでは一流の演奏家たちによる、流麗なアレンジでそれらの曲を味はふことができる。 いや、正直、おれもこのアルバムを聽くまで、ニューヨーク時代の曲を舐めてゐた、と云っていい。 Moondog の本質的な部分はニューヨーク時代からとっくに完成してをり、 それが十全に傳はってこなかったのは、傳へ方が惡かった、あるいはこちらが鈍感だっただけなのだといふことを思ひ知った。

例へば、1953 年のこの曲。

50 秒ほどで、パーカッションと歌だけの、初期 Moondog によくあるタイプの曲だ。 これ、同じ曲を上に貼った Spotify のリストから再生してみてほしい(2 曲目)。

樂器がめちゃくちゃ増えてる上、時間も 3 分 45 秒にまで伸ばされてゐるが、 といって過剰な付け足しがあるわけではない。 骨格は元の儘でありながら、ドイツ時代の Moondog ならかうしてもおかしくない、 といふ編曲が施されてゐて、初期 Moondog を新鮮な氣分で樂しめる。 Janis Joplin がどサイケにカヴァーしてみせたことで有名な All is Loneliness も、 當然ながら Janis とは全く違ふ、 Moondog 版がもともと持ってゐたセンチメンタリズムを深化させた編曲になってゐる。

Moondog の名を耳にしたことがある人全員におすすめ。 氣に入ったら、bandcamp でドイツ時代のアルバム全部買っていいぞ!

あ、ちなみに更新をサボってゐたのは、夏に落雷でパソコンが壊れ、 買ひ替へたら買ひ替へたで光學ドライブつけられなかったり(現代のパソコンにそんなスペースは存在しない!)、 音樂ファイルでパンパンの HDD が讀み込まれなかったりして、新しい音樂を聽くどころの騷ぎぢゃない生活を送ってゐるうちに、 新しい音樂をうまく生活に組み込めなくなったからです。買ふのやめたりはしてませんよ。 聽いてないのがだいぶ積まれてるだけで…。

Houkago Himitsu Club

『放課後ひみつクラブ』といふマンガが好きだ。 普段なら見向きもしない Webマンガ総選挙 とやらでわざわざ投票するぐらゐ。

『放課後ひみつクラブ』は、學園のヒミツを暴くことにご執心なエキセントリック少女蟻ケ崎さんと、 それに付き合はされる猫田くんが、ヒミツっぽいものに勝手に氣づき、 それを探る一話完結型のギャグマンガである(前後篇のときもある)。

なんといっても、まづ繪がいい。

デフォルメ的でありながら、明確にさうと感じさせない鹽梅で、 これこそマンガと云ひたくなるキャラデザイン。 ふさふさまつ毛に綺羅びやかな瞳。 とにかく全キャラかはいい。

細やかなツッコミもいい。

『放課後ひみつクラブ』その 4 より、リモート授業を受けるために猫田くんの部屋へきた蟻ケ崎さん

大阪に生まれ育ったからか、自分もいちいちツッコミを入れてしまふ性格なのだが、 さういった部分でこのマンガのチクチクとしたツッコミに癒やされてゐるのだと思ふ。 最新話で云へば「それ以上しゃべらないで」「土だよお」「面白料理用語の引き出しを開け始めた」といった丁寧なツッコミもいいし、 「部室」「調味料」「星」といった名詞 1 つでのシンプルでキレのあるツッコミもよい。

テンポもすばらしい。

1 ページに 1 囘はボケとツッコミがある。 「不当に部室を所有している部活一覧」に書かれた理由、「まずはここね」と扉を開くポーズ、 世界征服と書かれた掛け軸、「むぐうぐぐ むぐおぐぐ むぐぐぐ?」「むぐぐ うぐおぐう うぐおぐぐ」。 怒涛だ。

そして猫田くんの優しさ。 最新話でも「毎日探しているからね 必死に」「よかったね」などといった科白に表れてゐるが、 11 話の尊さといったらもう…!  いやまあ、完全にぶっ飛んでゐる蟻ケ崎さんにずっと付き合ってあげるのだから、それだけでも優しさは相當なものとわかるのではあるが。

ギャグマンガばかりをマンガと思ってゐるわけではないが、 『放課後ひみつクラブ』は實にマンガらしいマンガだと思ふ。 日本はマンガ大國なので、マンガにおける表現は實に多彩だ。 『放課後ひみつクラブ』にさういった先進性は特にないが、 現在の技術と感性で、古めのマンガ表現を敢へてしてゐる感じがよい。 今わざわざ 70 年代ロックやる感じ、とでも云へばよからうか。

しかしこのマンガ、なぜか埋め込みがちっとも機能せず、 ジャンププラスへのリンクも twitter へのリンクもまるでだめだ。 この記事の最初に 2 つ埋め込みリンクを貼ってゐるんだけど、見えませんよね?  困るなあ。

(機能するやうになったみたいなので、埋め込みリンクは 1 つにしておきました)

David Bowie: Moonage Daydream

過去に記事を書いた程度にはファンなので、David Bowie の映畫を見てきた。

David Bowie 財團初の公式認定ドキュメンタリー、といふのが賣りなわけだが、 普通のドキュメンタリーを想像して行くと、肩透かしを喰ふかもしれない。

といふのもこの映畫、ほぼ David Bowie 本人による語りのみで構成されてゐて、 普通のドキュメンタリーのやうに、樣々な關係者の証言から人物像を立體的に描いていく、といったものではないし、 本人の語りだからといって自傳的な要素もほとんどなく、 專ら、David Bowie といふのがいかにフィクショナルなスーパースターであったか、 といふことが描かれるだけ。

一言で云へば、「David Bowie 自身によって語られる、これまでに被ってきた樣々なペルソナ」、 それがこの映畫の内容の全てである。

そんなわけで、畢竟扱はれる時代は 70 年代が中心になる。 Major Tom、Ziggy Stardust、地球に落ちて來た男、Thin White Duke と名前のついたキャラクターを演じたのはどれも 70 年代だからだ。

しかし實際、この時期の David Bowie はかっこよすぎる。 普段は歌詞のことなど氣に留めないおれだが、 I'm an alligator.I'm a rock n roll BITCH for you. とかずるくないっすか?

音樂面の充實っぷりも半端ではなく、 Mick Ronson のギターがグイグイと引っ張っていく The Man Who Sold the World (1970)、 Yes 加入直前の Rick Wakeman のピアノが全篇を彩る Hunky Dory (1971)、 コンセプト・アルバムの頂點の 1 つ、The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars (1972) の 3 枚はどれも歴史的傑作だし、 そんなことしながらも Mott the Hoople に超名曲 All the Young Dudes を提供し、同タイトルのアルバムまでプロデュース。

その後も、Bowie のトレードマークとなった稻妻マーク(Daemon tools のあの形)を顏にあしらったグラム・ロック最終作 Aladdin Sane (1973)、 David Bowie ならではのカヴァーばかりを收録した Pin Ups (1973)、 David Bowie 流のソウルが堪能できる Diamond Dogs (1974) および Young Americans (1975) を出したかと思へば、 新しいペルソナ Thin White Duke を打ち出した Station to Station (1976) に續いて、 音響實驗を繰り廣げたベルリン三部作 Low (1977)、"Heroes" (1977)、Lodger (1979) を作る。

でもって、同時に Iggy Pop のソロ・デビュー作および第 2 作の The Idiot (1977) と Lust for Life (1977) までプロデュースおよび作曲で世に送り出してゐるのだから、 クリエイティヴィティの溢れっぷりがいかに凄まじいことか。

どれもこれも傑作なのに、同じスタイルのものはせいぜい 2 ~ 3 枚しかないのもすごい。 Iggy Pop のアルバムなんて、未だにこの 2 枚を超えるアルバムが Iggy のキャリアにはないぐらゐの卓越した作品で、 もはや呪ひの域。 後年、Bowie は Tonight (1984) で Iggy に提供した Tonight をセルフ・カヴァーしてゐるが (しかも、Tina Turner とデュエットで!)、Iggy ヴァージョンのはうが壓倒的によいし、 The Idiot 收録の Nightclubbing はアルバムのタイトルトラックとして Grace Jones がカヴァーし、 それが Grace Jones の最高傑作とされてゐるのだから、 70 年代の Bowie は實に神がかってゐたと云へる。

だから、映畫がその時代を中心に作られるのも仕方のないことではあるのだが、 なんですかね、ドキュメンタリーって、當人の知られざる姿を知ることができるのも樂しみの一つぢゃあないですか。

この映畫には、それが全くない。 われわれが幻想として、虚構として作り上げてゐる David Bowie のイメージを崩すものはなく、 寧ろ、David Bowie といふスターが、どれほど虚構性の高いスターであったかを再確認する映畫になってゐる。

だから、ドキュメンタリーとしての價値はそれほど高くない。 でも、David Bowie が好きで、David Bowie の住まふ moonage daydream に魅せられたことのある人なら、 最初から最後まで、その夢を追憶できる内容になってゐる。

David BowieDavid Bowie であったからこそ、かういふ映畫でよかったのだ。

Bob Dylan, 20230414 at TOKYO GARDEN THEATER, Tokyo, Japan

Jeff Beck が亡くなって、こりゃ誰がいつ死ぬかわからんなと思ったので、 Bob Dylan 實績を解除してきた。

正直、行く前はあんまり乘り氣ではなかった。 だって、setlist.fm でツアーのセットリストを確認すると、 毎日判で押したやうに同じ曲を同じ順でやってゐるのだ。 そんな作業、見ても仕方ないぢゃん…。

と思ってたら、4 月 12 日の東京公演で Grateful Dead の Truckin' が演奏されたといふニュースで俄かにテンションが上がった。 おいおい、Truckin' なんて超名曲ぢゃん。 何百囘聽いたかわからんレヴェルの曲だぞ。 しかも、Dylan が演奏したのは初めてだったらしいぢゃないですか。

そんなわけで、Truckin' 聽くぜえ!と思って行ったんだが…。

いやあ、めちゃくちゃ退屈なライヴでした。 途中、何度寢さうになったかわからない。 同じやうな曲調の曲がずるずると繰り返されるだけ。 音響も惡いわけではないが、音が大きめだったこともあって、 特にドラムがほかに負けないやうに大きくしてます!感滿載の、 嘘臭い音になってしまってたのが…。

それに、古い曲のアレンジ違ひを樂しみにしてはゐたのに、 なんと、古い曲はどれも「Dylan が一番をピアノで彈き語る→バンドが入ってきて最後まで」といふ型になってゐたし (まあ、お蔭でこれから古い曲をやるんだな、と目覺まし效果はあったが)、 アレンジも、特に驚くやうなものではなく、どれも似たやうなテンポの、似たやうな氛圍氣になってしまってゐて、 會場は盛り上がってゐたが(立ち上がって拍手する人が出るほど)、すごく醒めた目で見てしまった。 後半ノリノリだった斜め前のおばちゃんが羨ましかったよ、ホント。

興奮する瞬間がまったくなかった、といふわけではないのだが、 例へばおれの大好きな When I Paint My Masterpiece なんかでも、 始まった瞬間は氣持ちがアガるのだが、大したことのないアレンジの所爲なのか、 「これって過去にこの曲を聽いた記憶がおれの興奮を呼んでるだけぢゃん、ずるいなあ」と氣づかされてしまひ、 ちっとも純粋に樂しめなかった。 新曲はさういふ積み重ねが全然ないし。 なんかもう、26000 圓も拂って、過去の感動の記憶を再生するマシンを動かしてるだけ、みたいな。 別にそれは、生の Bob Dylan でなくても、家で音源を再生すれば味はへるんですよね…。 尤も、それは過去に聽いたのと全く同じ曲が再生されるので、 逆に記憶を呼び起こしたりはしないのだけど。

特に閉口したのは古臭いブルーズロック風アレンジが多いことで、 なんで 2023 年にもなってブルーズロックを何度も聞かされなくてはならないんだ、と落膽。 Bob Dylan は、ブルーズロックが流行ってゐた頃はほとんどブルーズロックをやってをらず、 パッと思ひ浮かぶのは、Blonde on BlondeLeopard-Skin Pill-Box Hat ぐらゐ(と思ったけど、同アルバムの Pledging My Time もブルーズだな…)。

さういふのが、Bob Dylan の前衞であり、クールであったことの証なのに、 なんで今になってブルーズをやるのか。 新作 Rough and Rowdy Ways にいくつか入ってただけでげんなりしたのに、 古い曲までブルーズにしなくてよくない?

しかも、唯一期待してゐた Truckin' は演奏されず、 代はりに同じく American Beauty から Brokedown Palace が演奏されたのだが、 途中でぶった切られるわ(なんとなく有耶無耶に終はった──ちゃんと練習しとけよ!)、 そもそも曲調が Dylan の曲と似てるからインパクトもないわで、 嬉しさはほぼなかった。 といふか、American Beauty をさんざん聽いてゐるおれだが、 恥づかしながら氣づかなかったよ。この歌詞なんか知ってんなーとは思ったけど…。 Dead にも Dylan にもごめん。

結局、Bob Dylan は一度もギターを彈くことはなかったし (ずっとピアノの前にゐて、ピアノを演奏しただけ)、 歌も、歌といふより朗讀だったし、 大枚を叩いて Bob Dylan の伴奏つき朗讀會に行った、といふ感じしかしなかった。殘念。 別に Bob Dylan が嫌ひになったわけではないので、これからも聽き續けるけど、レコードでいいかな。

まあでも、これで Bob Dylan のライヴへは二度と行かなくていいから、 今度はこの Dylan のために(金錢的に)スルーせざるを得なかった Björk とかレッチリとか行きたいですね。

ロックやポップスのライヴは、結局レコードや配信で聽けるのとほぼ同じものが聽けるだけぢゃん、 と思ってゐるのでほとんど興味を失ってゐるのだが、 そんな中で、過去の曲に毎囘異なったアレンジを施し、 同じものの繰り返しに抗ってゐるであらう Bob Dylan ですらこれだもんな。 となると、過去の記憶を呼び覺ましに行くか、 Björk みたいに生で豪華なのが見られるだらうやつへしか行く氣になれんよ。 Truckin' 聽けなかったのだけが心殘り。

Bob Dylan Setlist TOKYO GARDEN THEATER, Tokyo, Japan 2023, Rough and Rowdy Ways

Autechre: Warp Tapes 89-93

Autechre はかなり好きなアーティストなので昔からよく聽いてゐるのだが (最近レコードで再發された旧譜も、發賣時に買ってるから買ふ必要ない程度には古いファン)、 IDM といふジャンル名の通り、年を經るほどに彼らの音樂はインテリっぽさが増し、 近年の作品は外で氣輕に聽ける感じのものではなく、 家でじっくり聽くタイプのものばかりになってしまった。

そんなおれが、外で聽きまくってゐるのが、この Warp Tapes 89-93 である。

もともとは Warp レーベル 30 周年を記念したラジオで放送された音源らしいが、 タイトル通り、Autechre がデビューする前の 89 年からデビュー・アルバムの出た 93 年までの音源をミックスしたものである。

つまり、中身は非常に古く、IDM といふ言葉すらまだなかった時代のものだったりもするが、 リリースが 2019 年だったこともあり、當事の音樂と比較して聽くやうなことはなく、 自分でもずっと、「なんでおれはこの音源を聽きまくってるんだ?」と疑問だった。 なんせ、仕事の行き歸りでこれしか聽かなかった週があったほどなのだ。

しかし、何度も何度も聽いてゐるうちに、この音源の特異さに氣づいた。 さすが Autechre、當事のテクノやハウスとは、全然違ふのだ。

結論から書いてしまふが、 この音源で特筆すべきところは、極端なほどリズムに焦點が當てられてゐることだ。

そもそもハウスやテクノといった音樂のリズムは「4 つ打ち」と呼ばれる、 キックが 4/4 拍子の 4 拍すべてに入ってゐるのが基本で(ハンマービートの半分!)、 當事のものを漁ればわかるが、ほとんどは 4 つ打ちあるいは、更にその半分のキックが入ってゐるだけで、 メインは完全に上モノだった。 現代でも、その文法を(思考停止で)踏襲してゐるものは山ほどある。

だが、Autechre のこの音源に 4 つ打ちは皆無だし、 上モノがメインになってゐる曲もそれほどなく(part 1 の最初の 30 分ぐらゐ)、 2 時間のミックスの中で聽ける上モノのほとんどは、 リズムを強調するために存在してゐる(part 1 の 24 分あたりから聽くのがおすすめ)。

それがもう、めっちゃくちゃにかっこいい。 リズムのために平氣でぶつ切りにされるメロディ。 ドラムの音ではないものの、リズムを構成するためにしか鳴らされてゐない上モノ。

ちょうど再發されたばかりの Autechre のアルバムは踊れなさが注目を集めてゐた時期のものだが、 この音源にさうした複雑骨折したやうなリズムはないし、 初期 Autechre のインダストリアルっぽさが強く出てゐてかなりノリがいい。 Autechre のアルバムに必ずあるアンビエントな瞬間がほぼないのも個人的には嬉しい (アンビエントAutechre が嫌ひなわけではないが)。

今の Autechre ももちろん大好きだが、 たまにどうしても初期の Autechre を聽きたくなる衝動に驅られることがあった身として、 この音源はその衝動を完璧に解消してくれる。 單に過去の音源を發掘するだけでなく、Autechre 自身でミックスしてくれたのも非常にありがたい。 今さら Autechre にこの路線に戻ってほしいとは云はないが、 もっとかういふ路線でテクノを作る人たちは増えてほしい。 Speaker Music とかなー、もっと音を工夫すればいけると思ふんだけどなー。

The Kinks: The Journey part 1

The Kinks の結成 60 周年を記念して新しいアンソロジーが出る、といふのは知ってゐた。 おれはそれなりには The Kinks のファンで、Sleepwalker までのアルバムはほとんど持ってゐる。 かれらの The Kinks Are the Village Green Preservation Society のレコードは、 生涯で初めて買ったレコードとまでは云へないが、最初の 5 枚のうちには入ってゐると思ふ。 ちょうど、レコードを買ひ始めた時期に再發されたのだ。

そんなわけで、まあ今さらベスト盤的なものを買ふつもりもなかったのだが (そもそも、10 年前にも 50 周年アンソロジーが出てゐるのだ)、 リリースされたとのことだったので、一應は聽いてみるかと再生して驚いた。

選曲が、かなりマニアックなのだ。 ざっと書き出すと、かうなってゐる。

  1. You Really Got Me
  2. All Day and All of the Night
  3. It's All Right
  4. Who'll be the Next in Line
  5. Tired of Waiting for You
  6. Dandy
  7. She's Got Everything
  8. Just Can't Go to Sleep
  9. Stop Your Sobbing
  10. Wait Till the Summer Comes Along
  11. So Long
  12. I'm Not Like Everybody Else
  13. Dead End Street
  14. Wonderboy
  15. Schooldays
  16. The Hard Way
  17. Mindless Child of Motherhood
  18. Supersonic Rocket Ship
  19. I'm in Disgrace
  20. Do You Remember Walter?
  21. Too Much on My Mind
  22. Nothin’ in the World Can Stop Me Worryin’ ‘Bout That Girl
  23. Days
  24. Last of the Steam-Powered Trains
  25. Where Have All the Good Times Gone
  26. Strangers
  27. It’s Too Late
  28. Sitting in the Midday Sun
  29. Waterloo Sunset
  30. Australia
  31. No More Looking Back
  32. Death of a Clown
  33. Celluloid Heroes
  34. Act Nice and Gentle
  35. This is Where I Belong
  36. Shangri-La

最初が You Really Got Me なのはいつも通り。 續く All Day and All of the Night も定番だ。

しかし、その次の It's All Right。 これはシングル You Really Got Me の B 面曲である。 しかも、B 面曲はこれだけではない。 Act Nice and GentleWaterloo Sunset の B 面)、 Who'll be the Next in LineEv'rybody's Gonna be Happy の B 面)、 She's Got EverythingDays の B 面)、 I'm Not Like Everybody ElseSunny Afternoon の B 面)、 Mindless Child of MotherhoodLolaUS シングルでのみの B 面)と、 なんと 6 曲も B 面曲が收録されてゐる。

その他がメジャーな曲なのかといへば、そんなこともない。 Wait Till the Summer Comes AlongKwyet Kinks といふ EP に收録されてゐた曲で、 シングル B 面曲と同じぐらゐマニアックな曲だし、 ぶっちゃけ You Really Got Me ぐらゐしかいい曲がないデビュー作からは You Really Got Me 以外にも Stop Your SobbingJust Can't Go To Sleep の 2 曲が、 續く、やっぱりさして人氣もなく評價も高くないセカンド Kinda Kinks からも Tired of Waiting for YouSo LongNothin’ in the World Can Stop Me Worryin’ ‘Bout That Girl の 3 曲が、 後期の、全く人氣のない Schoolboys in Disgrace からは SchooldaysThe Hard WayNo More Looking Back と、これまた 3 曲も選ばれてゐる。

いや、さうはならんやろ。

10 年前に出た、The Anthology 1964-1971 は、 The Kinks の Pye 時代の音源が多數の未發表音源とともに、 どかっと 5 枚組 CD に入ったなんとも豪華で欲張りで、 皆がよく知ってゐる The Kinks だけを大膽に切り取った、 逆に云へば、レーベル移籍後の、どんどん凋落していく部分をバッサリ切った、凄まじいものだった。

ところが、今度は The Kinks の曲としてよく知られてゐるものは、それほどたくさん入ってゐない。 もしこれがベスト盤なら、確實に外されるもののはうが多く(せいぜい、1/4 しか採用されないと思ふ)、 一體、誰に向けたものなのかさっぱりわからない。 マニアはここに入ってゐる音源はもちろん全部持ってゐるだらうし、 ビギナーにこの選曲では、The Kinks の魅力がほとんど傳はらない。 なんか、「おれらにはかういふ曲もあるんだ!!!!」みたいな自意識はビンビンに傳はってくるが、 それは、傳はってる人には既に傳はってるし、傳はってなかった人には、やっぱりこれからも傳はらない儘ではないか。

一應、このアンソロジーは CD の半分ほどごと(つまり、レコード片面ごと)にサブタイトルがつけられてゐて、 選曲のテーマもそこからわかるのだが、 「いや、そのテーマでもほかにもっとあっただろ」と云ひたくなるものばかり。 そもそも、どのテーマも完全に歌詞が中心になってゐて、 そりゃまあ、Ray Davies がユニークな歌詞を書く人であることは知ってゐるが、 今さらそんなことアピられてもねえ…。 Bob Dylanノーベル賞取ったことに觸發でもされちゃったのか?

世間的に評價が高い The Kinks are the Village Green Preservation Society からはマイナーな曲しか選ばれてゐないし、 おれの大好きな Muswell Hillbillies からはなんと 0 曲!!!!!  Pitchfork でのみ高く評價されてゐる Preservation 2 作からも 0 曲である。 part 2 がどんな選曲になってゐるのか、氣になって仕方ない。

あ、でも、おれの一番好きな Strangers 入ってるのはポイント高いよ!  おれの一番好きな Lola 入ってないのはポイント低いけど!

Anton Eger - Æ

https://f4.bcbits.com/img/0014851014_10.jpg

今年全然ブログ書いてねえ!

いやまあ、仕事が忙しいといふか、 自らに課した仕事に時間を取られてるだけなんだけど…。 來年からの仕事を樂にするためだから仕方ない。

といって何も書かないのもなんなので、 ちょっと前に知ったアルバムを紹介しておく。 Koma Saxo のバンマス Petter Eldh の參加作を調べてて見つけた、Anton Eager の Æ だ。

ジャンルとしては現代ジャズ。 Jazz the New Chapter シリーズの監修者である柳樂光隆さんも 2019 年ベストの 33 位に選んでたし。

ただ、おれは現代ジャズがそこまで好きなわけではないのだ。 去年、方々の 2022 年ベストアルバムに選ばれてゐた Makaya McCraven In These Times ですらスルーしてゐる。 おれの大好きな International Anthem からのリリースであるにも拘はらず、だ。

いや、なんか、現代ジャズのスタイリッシュすぎるところが苦手なんですよね。 かっこよすぎるといふか。 どうしても、ジャズってのはもっとシンプルな音樂だろ?と思ってしまふ。 自分がジャズ評論家だったら、確實に老害と呼ばれる評論家になってゐた自信があるレヴェル。

そんなおれが、Petter Eldh 參加作とはいへ、なぜこの Anton Eger の作品に惹かれたのか (Petter Eldh 參加作はかなり漁ったが、氣に入ったのはこれだけだった──もちろん、Petter Eldh のリーダー作は除いてだが)。 それは、このアルバムのあらゆるところから、Frank Zappa の薫りがするからである。

いやマジで、みんなジャズだと思って聽いてるんだらうけど、これは Frank Zappa だよ。 こんなに FZ らしさを感じたのは、今堀さんの Unbeltipo 以來だよ。

今堀さんはギタリストだから、まあ FZ から影響たっぷり受けたんだらうな、ってのはわかる。 でも、Anton Eger はドラマーである。 ドラマーによる作曲で、これほど FZ らしさのある作品が生まれるとは。

といっても、Unbeltipo ほどわかりやすく FZ なわけではない (まあ、Unbeltipo もギターの音やフレーズの斷片ぐらゐしか FZ 要素はないけど)。 FZ マニアなら感じ取れてしまふ程度のもので、現代ジャズ要素のはうが壓倒的に強い。 でもなあ~、音の運びとかリズムの緩急とか、ギターのフレーズとか(特に 5 曲目!)、めっちゃ FZ なんだよなあ~。

しかし、まじ Frank Zappa 感ある現代ジャズだから聽いてくれよ!以上に書くことなんもないな…。 FZ ファンでこのアルバムを知らない人は是非聽いてほしいし、 逆に FZ は知らんけど現代ジャズは好きだからこのアルバムも好きって人は、 FZ に手を出してみてほしい。 いっぱい出ててどれ聽けばいいかわからんといふ問ひには、Dance Me This 聽いとけ!と答へておかう。 たぶん、それが一番現代ジャズっぽい。 古いのなら Chunga's Revenge をどうぞ。 このアルバムから感じる FZ らしさに一番近いのはこの 2 枚だと思ふ。 えっ?! Dance Me This って買へないの??!??!! 早く再プレスしろよ、Universal!!!!  配信さへありゃいいってわけぢゃねーんだぞ。レコードでプレスしてくれたら大喜びします、ぼくが。

Dance Me This

Dance Me This

Amazon