When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Michael Ranta

先日、とあるブログでこんな文章に出會した。

僕の交友関係のそれぞれの人にも、「周りでこれ好きなの自分しかいない…」があって、 「どうせ理解されないしいいか」と思いつつひとりでひたすらその坑道を掘り続けている、……ということはあるのだろう。 人間ってそういうところがいいですよね。 タイドプールにとり残されて、「Jukebox The Ghostを聞いて! ……いや、やっぱ嘘です。」

おれがこれから紹介しようとしてゐる Michael Ranta も、 自分の周りに好きな人を見かけたことはない。 Michael Ranta のことを書かうと思ったのは、1975 年のアルバムが再發されたからなんだが、 なんとこのアルバム、たった 625 枚しかプレスされない。 およそ 50 年を經てやうやく正式に再發されるのに (マスターテープ紛失のため、盤起こしからのリマスターものである)、 世界にたった 625 枚しか出囘らないのだ (まあ、bandcamp でダウンロード音源の販賣があるから、 もうちょっと多くの人の耳には届くはずだが)。 なんでってもちろんその程度しか需要がないから。 そりゃあ、おれの周りに好きな人間がゐる確率が微々たるものになるのもやむなしである。

ただ、「どうせ理解されないしいいか」と心の底から思ったことはない (まあ、例へば職場で「どんな音樂が好きなんですか?」とか訊かれたら面倒だから胡麻化すけど)。 そんな風に思ってたら、そもそもブログに書きませんからね。 周りに好きな人がゐなくても、なんとか寄ってきてくれないかな、 とかなんとかさういふ惡足掻きをずっとしてゐる (hiroshi-gong さんと知り合へたのだから、惡足掻きも無駄ではなかったわけだ)。

Michael Ranta は即興演奏のパーカッショニストとしてその筋の人たちには(たぶん)知られる人で、 アメリカ出身なので讀みはマイケルのはずだが、1979 年にケルンに移住して以來ずっとケルン住まいなので、 ミヒャエルと片假名表記されることも多い。 恐らく、本人もミヒャエルと呼ばれることのはうが多い人生になってゐるだらう。

ヨーロッパを活動の中心にする即興演奏家は、大抵の場合 Derek Bailey 主宰の Company に參加してゐるが、 あれだけたくさん出てゐる Company の音源の中に、Ranta が參加したものはない。 これは恐らく、Ranta がジャズやフリー・ミュージックの文脈ではなく、 現代音樂の流れに位置する音樂家だからだらう (Karlheinz Stockhausen の作品を演奏するために大阪萬博で來日し、 その後、NHK 電子スタジオに勤務してゐたこともある)。

Derek Bailey との絡みがあるのは、 Deutsche Grammophon から 1974 年にリリースされた Free Improvisation といふタイトルのコンピのみで、 これは Vinko Globokar 參加の New Phonic Art 1973、Derek Bailey 參加の Iskra 1903、 Conny Plank, Karl-Heinz Böttner, Michael Ranta, Mike Lewis の 4 人による Wired の 3 グループの即興演奏を、 1 枚づつレコードに收めた 3 枚組の豪華ボックスセットである。 今囘のアルバム再發に伴って、 Ranta 關聯の音源で再發されてゐないのはもはやこれと Mu III を收録したカセット Weltmusik 82b だけになってしまった。 どっか再發してくれないかなあ。もとがグラモフォンといふメジャー・レーベルなのがきつい。

今囘再發されたのは、1975 年の Improvisation Sep. 1975 で、 これはもともと Iskra といふ日本のレーベルから出てゐる。 ちなみに、このアルバム以外に Iskra から出たのは高柳昌行の Eclipse だけ。 そりゃマスターテープも見つからないよ (なのに YouTube には自動生成された音源があるんだから恐ろしい)。

このアルバムが日本のレーベルから出たのは、 これが小杉武久および一柳慧との共演作品だからである。 前述した通り Ranta は NHK 電子スタジオで働いてゐた時期があったから、 この二人と交流があるのも自然なことだらう。

買っておいてなんだが、 Ranta 參加作品の中で、これはそこまで好きなアルバムではない。 最初の 4 分ほどはほとんど何も聞こえないから、ではなくて、 小杉さんの場の支配力がすごすぎるからだ (だから、Ranta の作品としては好きではないが、小杉さんの作品として好きなアルバムといふ位置づけ)。

現代音樂の演奏家および作曲家としては、Ranta も一柳さんも當時の最先端にゐた人たちだが、 即興演奏家としては、やっぱり當時タージ・マハル旅行團をやってゐた小杉さんがダントツで、 A 面は小杉さんの獨擅場と云っていいほど。

そんなわけで、おれも初めてこのアルバムを聽いたときは、 特に Michael Ranta に注目してゐたわけではなかった。 おれが Michael Ranta のすごさに氣づいたのは、 2010 年に今は亡き Qbico から Hartmut Geerken とのボックス The Heliopolar Egg が出たときだ (後に Art into Life から CD で再發された)。

このアルバムのすばらしいところは、音の少なさだ。 Derek Bailey をはじめとするヨーロッパの即興演奏家たちの演奏は、 音運びそのものには現れてこないが、やはりジャズを源流とするところがあるためなのか、 即興を聽かせる意識が高く、音が多量に入ってゐる。

しかし、このアルバムにはさういった音は入ってゐない。 ドローンを主體としつつ、Ranta と Geerken の二人が樣々な樂器や聲を緩やかに乘せていくだけ。 ジャズといへば、Hartmut Geerken だって The Cairo Free Jazz Ensemble の創設者の一人だから、 もっと演奏がジャズっぽくてもいいはずなのに、Ranta とのアルバムでジャズ要素を感じることは全然ない。

うちにもけっこうな數の即興演奏のアルバムがあるが、 大抵は買ったときにさんざん聽いてそれっきりである。 でも、このボックスは未だにたまに引っ張り出してきては聽いてしまふ。 この 2 人の、獨特な演奏がいいのだ。

Geerken と Ranta のこのデュオによる演奏はおれ以外にも好評だったのか、 Qbico の 10 枚組ボックスや Qbico の後身である Sagittarius A-Star で別の録音もリリースされてゐる。 近年では、オランダの Astres d'Or(ここもアホみたいにプレス數が少ない)からもリリースがあり、 レコードそのものは 25 枚かなんかしかプレスされてゐないので入手は困難どころの騷ぎではないが、 なんと bandcamp で中身は無料ダウンロードできる。ありがたい世の中になったものである。

Qbico から The Heliopolar Egg が出たのと同じ年に Metaphon(今囘、小杉さんたちとのアルバムを再發したところ)から出た Conny Plank、Mike Lewis との Mu もすばらしかった。

この面子は、先に舉げた Free Improvisation 録音時の Wired から Karl-Heinz Böttner だけが拔けた編成で、 Wired の數ヶ月後に録音されたもの(3 曲目のみ、94 年のライヴ録音で、 これは Michael Ranta 一人での演奏)。

この Mu のいいところは、たった 4 曲とはいへ、ヴァリエーションに富んでゐること。 Deep Listening のやうに殘響音を重視し、空間の擴がりを聽かせる 1 曲目、 アンビエントな氛圍氣がマリンバによって徐々にクラウトロック風に變貌していく 2 曲目 (終盤に Ranta がギター彈くところとかサイケでたまらない)、 Michael Ranta のパーカッショニストとしての面目躍如たる樣が堪能できる 3 曲目、 4 曲目は 2 曲目に少し似た感じだが、終盤の Conny Plank による電子音がすばらしすぎて永久に聽いてゐられる。 Ranta はここでもギターを彈いてゐるが、やはり旋律はなく、どこまでも抽象的で音響的である。

さて、即興音樂家としての側面ばかりを紹介してきたが、 Ranta は現代音樂の作曲家でもある。 作曲作品は主に Ranta 自身のレーベル Asian Sound Records からリリースされてゐたが、 Asian Sound Records は今では完全にアジアの打樂器を賣る通販サイトになってをり、 かつて Asian Sound Records から出てゐたもののほとんどは、Metaphon が bandcamp で提供してくれてゐる。

最も古い時期の作曲作品が收録されてゐるのは Taiwan Years で、 これはタイトル通り、Ranta が臺灣に住んでゐた頃(1973 ~ 1979 年)の作品群。 大學の先生をやってゐたらしい。 録音は日本で行はれたらしく、録音エンジニアのところには佐藤茂と小島努の名がある。 佐藤さんと小島さんといへば、Sound3 の名コンピ、 『音の始源はじまりを求めて』シリーズにその仕事がまとめられてゐる、 日本の電子音樂を語る上で外せない人たちである。 Ranta って NHK の電子スタジオとかなり密接に附き合ひがあったんだなあ。

Ranta が來日したのは萬博での Stockhausen の演奏者としてであったことは先にも書いたが、 その Stockhausen も NHK に委嘱されて 1966 年に Telemusik といふ電子音樂作品を作ってゐて (佐藤茂もこの曲のリアライズに參加してゐる)、 こちらはもう、雅樂だけでなく世界中の音樂を接合したフランケンシュタインの怪物的作品であり、初期の傑作の一つだ。

Ranta の曲は、Stockhausen ほどの大伽藍ではないが、 NHK 電子スタジオで録音されたこともあってか、 雅樂っぽい氛圍氣があったり、コラージュによる別の音樂やラジオとの接合があったりと、 Stockhausen の Telemusik と親近性を感じさせる電子音樂集になってゐる。 まあ、最後の曲なんかはドローン→パーカッションソロ→ドローンと移り變はる、實に Ranta らしい曲だけど。 この時代の電子音樂が好きな人にはたまらんアルバムだと思ふ。

次に古いのは The Great Wall / Chanta Khat で、 これはもともと 1991 年に Ranta の Asian Sound Records からリリースされたが、 昨年 Metaphon からリマスターされて再發された。 bandcamp にはまだないやうだ。

中身は 2 曲で、1 曲目の The Great Wall は Conny Plank のスタジオと Ranta のホームスタジオで 1984 年に録音されたもの。 2 曲目の Chanta Khat は 1973 年に日本の NHK 電子スタジオで録音されてをり、 これまた佐藤さんと小島さんがエンジニア、録音を上浪渡が擔當してゐる。 上浪さんといへば、冒頭に紹介した一柳さん、小杉さんとのアルバムのプロデューサーを務めたのもこの人であり、 NHK 電子スタジオのチーフ・プロデューサーである。

The Great Wall のはうは、電子音によるドローンを主體としつつ、 それに聲やパーカッション、宇宙音シンセなどを加へた曲で、個人的にはピンズド。 初めから終はりまで好きな音しかない。 これまでの Ranta の作品と同樣、どの音も激しく主張しすぎない奧牀しさがすばらしい。

Chanta Khat は日本でフィールド・レコーディングしたのではないかと思しき音などもあり、 日本人にとっては少々の郷愁を誘ふ電子音響作品になってゐる不思議な作品。

同じく 1984 年には、Mu V / Mu VI の録音も行はれてゐる。 Mike Lewis、Conny Plank との共作であった Mu には Mu IV までが收録されてゐたが、 こちらの 2 曲は Michael Ranta が一人で録音してゐる(録音は Conny's studio) *1

このアルバム、1984 年にリリースされた割に、まだ在庫があるらしく(たぶん 500 枚ぐらゐしかプレスされてないのに)、 おれは先日ようやっと注文したばかりなので、まだ手元にない。 一應、サンプルは YouTube にあったが、どうもパーカッション中心の作品っぽいですね。

1988 年から 89 年にかけて録音された Die Mauer は、 Ranta には珍しく、短めの曲がいくつも入ったアルバム。 それもそのはず、Philippe Talard なる人が振り付けを擔當したバレエのための音樂らしい。

が、小品が多い所爲なのか、バレエ用の音樂だからなのか(リズムとか全然ないけど)、 いまいちまとまりに缺け、Ranta のアルバムの中ではピンとこない作品。 Merce Cunningham 舞踏團のための音樂とかは好きなんだけどなあ。 まあ、あっちは John Cage、David Tudor、Gordon Mumma、小杉武久と錚々たる面子の音樂だけど。

Yuen Shan といふタイトルのアルバムは 2 つあるが、 2005 年のはうは聽いたことがないので、どんな内容なのかはわからない。 2015 年に Metaphon から出た Yuen Shan とは違ふ作品らしい。 なんでそんな紛らはしいことすんの…。

この作品の着想を得たのは 1972 年らしいが、完成したのは 2014 年。 なんと 40 年以上もかかってゐる。

内容はパーカッションもので、録音された素材と Ranta による生演奏とを組み合はせたもの。 まあ、どこまでが録音でどこまでが生なのかわかりませんけども。

パーカッションといへば Ranta の本領発揮、ではあるんだけど、これまたなんだかピンとこない。 即興演奏のやつは好きなのに。 惡くはないんだけど、う~ん。

最新作は Corona Meditation で、 タイトルそれでいいのか?って思ふが、海外では COVID-19 が一般的でコロナって云はないんだらうか。 いや、んなことねーよな。

タイトルはともかく、内容はまさに瞑想的で、 間をたっぷりとった、パーカッションの演奏。 Ranta の使ふ打樂器はアジアのものが多いため、 寺で座禪を組んでゐる氣分になる(組んだことないけど)。 これはぼけーっとしたいときに流しておけるいいアルバム。

近年の作品はパーカッションものに偏ってゐるが、 作曲作品なら電子音樂のはうが好みなので、もっと電子音樂を出してもらひたいところ。 きっと録音だけして發表してない古い音源とかまだあると思ふんだよなあ。 出してくれんかなあ。特に 70 年代のやつ。

即興ものは、逆にパーカッションやっててくれるはうがいいので、 こっちはこっちで更なる發掘を期待したい。 こんだけ長く活動してて、録音が今出てるやつだけなんてことはないだらう。 もちろん、嚴選してくれてるからこそのクオリティなのだらうけど、 即興ものは外れがないし、ずっとケルンに住んでるんだからもっと Conny Plank とやっててもおかしくないと思ふんだよなあ。 なんかないんですか。

とまあ、Ranta の活動を紹介してきたが、 この記事、書くのに一週間近くかかってゐる。 ほかの記事を書くときもさうだが、 いちいち關係するアルバムを引っ張り出してきて聽いてゐるので、どうしたって時間がかかってしまふ。 アルバム 1 枚って、40 分とかありますからね。 はあ~、時間かけてこの程度のことしか書けないの辛い。 なんとか音樂のことをうまく書くスタイルを確立したいものだ。

まあ、百聞は一見にしかずではないけど、おれの文章を讀む暇があったら、 音樂自體を聽けばいいだけの話ではあるし、 現代は音樂へのアクセスが非常に容易になったので、 紹介だけならそこまでがんばんなくてもいいんだよね。 でもなあ、おれが感じてる魅力がなんなのか、しっかり分析したいって思ひが常にあるわけですよ。 全然できてないけど。 今度もだらだら駄文を垂れ流すことになるでせうけど、よろしくお付合ひのほどをお願ひします。

*1:ちなみに、Mu III は 1982 年にリリースされたカセット Weltmusik 82b にも別録音が收録されてゐる。 このカセットはスプリットアルバムで、A 面は Johannes Fritsch の Kyo Mu といふ作品だったのだが、 なんとこの曲、もう 1 曲を加へたアルバムが Metaphon よりつい先日再發された。 すごすぎるぜ Metaphon。