When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Aegis Defenders

ここしばらく、友だちから誕生日にもらった Aegis Defenders といふゲームをやってゐた (どうでもいいけど、Aegis は完全にマクガフィン)。 いつウィッシュリストに入れたのか、そもそもなんで入れたのかすら憶えてゐなかったのだが、 steam のストアページを見ると、 「タワーディフェンスゲームと 2D 横スクロールアクションゲームの爽快感が見事に融合した」 と書かれてゐる。 なるほど、確かにおれの好きさうなゲームだ。

といふわけで全實績を解除するまでやったのだが、もう二度とやらない。 面白くはあったんだが、不滿點が多すぎた。 steam のレビューは「おすすめする」か「おすすめしない」の 2 つしか選べないので、 仕方なく「おすすめする」にしておいたが、 金が餘ってて暇を持て餘してるなら買ってもいいんぢゃないかな、といふ程度のものでしかない。 あれで 2200 圓はたけーわ。75% オフで 550 圓ならおすすめできるけど。

steam のレヴューでは 「おすすめする」にした手前、最後のはうは一應褒めておいたが、 假に點數をつけられるなら、100點滿點で 67 點ぐらゐ。 60 點以上だから、まあおすすめできるといへばできるかな、といふ感じ。 不滿點のほとんどは、タワーディフェンス部分の出來だ。

とはいへ、おれは恐らくタワーディフェンスがそれほど好きではない。 そもそも、おれのタワーディフェンスの原點は、 むかーし PS で出てゐた「影牢 ~刻命館 真章~」だ。 あれがタワーを守るゲームだったかどうかはもう憶えてゐないが (なんたって 20 年も前のゲームだ)、 侵入者を罠にはめて殺し、ポイントを稼いで施設や罠を強化するゲームだったから、 まあタワーディフェンスとしてしまってよからう。

で、面白いゲームだったといふ記憶のみが殘る程度になった頃、 同じやうなゲームを見つけた。 Orcs Must Die! だ。

Orcs Must Die! はもうめちゃくちゃ面白かった (1 は 111 時間、2 は 281 時間も遊んでゐる)。 マルチができる 2 は、今でも誰かに誘はれたら遊んでしまふと思ふ (誰も誘ってくれないけど。1, 2 ともギフト餘ってるからほしければあげますよ?)。 影牢は暗いゲームだったが、Orcs Must Die! はひたすら陽氣。 輕口を叩きまくる主人公(インディーなのにボイス完全吹き替へ!)を操作し、 オークどもを罠にはめてブチブチ潰す。 オークもオークで、「おかあちゃーん」などと間抜けな斷末魔の悲鳴をあげてくれるのがいい。

3D アクションでもあるから自分でも攻撃できはするのだが、 Orcs Must Die! を最大限に樂しむなら、攻撃なんてしない。 攻撃するとポイントが低くなってしまふし。 ぢゃあ罠を仕掛けるだけなのかって?  いやいや、振ると風が起こって敵を押し戻せるベルトとか、 敵を凍らせる指輪とかを使って、ひたすら敵を罠に誘導するんですよ。 さうやって、いくつもの罠にオークをぶち当て、コンボを決めて殺すのが樂しいのだ。 だからもちろん、罠のダメージが上がるアップグレードなんてしない。 ダメージを低くすることで、より多くの罠に引っ掛けるのだ。

かういふことができたのは、いくつかの要因がある。 まづ第一に、罠を仕掛ける時間がそれなりにあること。 制限時間なしだとゲームにならないので、もちろん制限時間はあるべきなのだが、 慣れればそれなりに餘裕を持って罠が配置できる程度のものがいい。 罠で殺すんだから罠を配置する時間が足りないと、 自分の作戰がうまかったかどうかすらわからないもんね。 この點、ほとんどのタワーディフェンスゲームはうまい時間配分になってゐる。

第二に、敵をきちんと誘導できること。 これはタワーディフェンスの基本中の基本だが、 要するに敵の壊せないバリケードを設置できるか、といふことだ。 いくらトラップを配置したところで、 そこを敵が通らなければ意味はない。 そのために必要なのがバリケードで、 普通、タワーディフェンスでこのバリケードは攻撃されない (一部、攻撃する敵も出たりするが、それはアクセントになってゐて、 さういふやつらをいかにすばやく処理するかも腕の見せ所である)。 複數のゲートから出てくる敵を 1 つの道に誘導して殺し盡くすといふのはタワーディフェンスの基本戰略である。

第三に、罠が充分に強いこと。 神の目視点のタワーディフェンスはともかく、 Orcs Must Die!Sanctum、それに Aegis Defenders のやうに、 プレイヤーが介入できるゲームでは、プレイヤーの武器によって敵を殺すこともできる。 でも、それは別にタワーディフェンスで求められる要素ではない。 タワーディフェンスで求められるのは、いかに罠で殺すかだから、 プレイヤーは、「動けるデコイ」でさへあればいいのだ。 Orcs Must Die! はこの點が完璧だった。 Sanctum はプレイヤーがかなり強かったので、いまいち好みではなかった。

以上が、おれの考へるタワーディフェンスの面白さを保証する要點なのだが、 Aegis Defenders はこれら 3 つをほぼ滿たしてゐなかった。 まづ、罠配置の時間が全然足りない。 難易度イージーの 120 秒でやっと充分だと思へるレベルで、 ノーマル以上の 60 秒ではまるで足りないことばかり。 バリケードは存在するものの敵は容赦なく攻撃してくるし (罠そのものを消す敵すらゐる!)、 罠よりプレイヤーキャラのはうが壓倒的に強い。 といふか、プレイヤーキャラを使って敵を殺さないとタワーが守れないステージだらけ。

まあ、時間が短いのは、 このゲームが恐らく 2 人でマルチプレイすることを前提に設計されてゐるからだと思ふが、 誰もかれもがマルチできると思ったら大間違ひやぞ!  しかもこれ、このご時世にローカルマルチにしか對應してない。 平成も終はるってのに、そりゃあだめですよ。

確かに、steam のレヴューにも書いた通り、アクション面は惡くなかった。 いや、よくできてゐた。

でもさ、別にアクションやりたくて買った(買ってないけど)わけぢゃない。 アクション + タワーディフェンスって云ふから期待したんであって、 アクションだけなら外にいいゲームたくさんあるんだよね。 それこそ Risk of Rain とかさ。 タワーディフェンスと組み合はせるなら、 もっとタワーディフェンス要素に氣合ひ入れてくれないと。

タイトルに戻るたびにロゴを長々と(8 秒ほどだが)見せられるのもストレスフルだったし、 ボーナスステージの 1 つがオワタ式だったのもげんなり。 別にオワタ式のアクションゲームは嫌いぢゃないよ?  でも、オワタ式はオワタ式だとわかってやるから樂しいわけ。 RunGunJumpGun とか Super Meat Boy とか Bloody Trapland とか n++ とか、 おれだってそれなりにオワタ式のアクションゲーは持ってる。 でもそれらは、オワタ式であるのが前提だから、リトライが非常に簡單にできるやうになってるのよ。 ボタン一發でステージの最初に戻れるし、1 つのステージだってそれほど長くない。 さういふ、ゲーム本篇以外でのプレイヤーのストレスをいかに輕減するかって部分が、 すごくよく考へられてるわけ。

普通のアクションゲームに突如として盛り込まれるオワタ式ステージは、 さういふのが全くない。 「ここだけだから!」といふのを免罪符にして、ステージは微妙に長く、リトライ性も惡い。 だから、めちゃくちゃストレスになる (出來のいいゲームだったら辛うじて我慢できる、といふに過ぎない)。 しかも、Aegis Defenders の場合は、クリアすれば終はりぢゃなくて、 そのステージ内に別の取得要素がある上、1 度クリアしてしまったら 2 度とできない。 つまり、完璧にクリアするには、その餘分に盛り込まれたものを囘收しつつ(4 つもある!)、 同時にクリアを目指さなければならないわけだ。 そこをクリアしなくてもゲームクリアに問題がないとはいへ、全實績をとるには必須。 タイトルロゴの長さも相俟って最高に嫌いなステージだった。

1 ステージは短くて、最低 20 分あれば終はるし、 アクションは輕快、輕い謎解きもあってけっこう樂しく、 ちょっと暇だから 1 ステージだけやるか、みたいな氣持ちで起動できるのはよかった。 先に 67 點と述べたが、それなりの點をつける程度には樂しかった (全實績を取るために 4 周もしてしまったから、55 時間もプレイしてゐる)。 文句ばっかり書いてしまったのは、 結局おれが第二の Orcs Must Die! を求めすぎてゐる所爲でしかない。

ほんとなー、タワーディフェンスのトコがもっとよければ、かなりいいゲームになり得たのに。 惜しい。惜しいよ。 惡いところばかり書いたが、もし 2 が出て、 タワーディフェンス部分の不滿點が解消されてれば買ふと思ふ程度には氣に入ってゐる。 まあでも、レヴュー數を見る限り、あんまり賣れてないっぽいから 2 はないだらうなあ (日本語對應なのに日本語のレヴューはおれのを入れて 2 つだけ!)。 アクション + タワーディフェンスってのはすごく好みだから、がんばってほしいんだけど。

ええ、こんな内容ですけど、これは愛ですよ、愛。

https://store.playstation.com/ja-jp/product/JP0325-NPJJ00235_00-0000000000000001

Haino Keiji #1

間抜けな話だと自分でも思ふが、 前囘の Red Bull Music Academy の記事に貼りつけた動畫のサムネイルを見るたびにテンションが上がってしまふ。 我がアイドル、灰野さんがででんと構へてゐるからだ。

以前、友人から「結局、一番好きなジャンルはなんなの?」と問はれた際に、 悩んだ擧句、「灰野敬二」と答へたことがある。 今でもその考へは變はってゐない。

好きなジャンルを訊かれたのに、 なんで個人名を答へてるんだよ、とお思ひの方もをられるかもしれない。 しかし、それこそが灰野さんのすごさなのだ。 灰野さんのやってゐる音樂は、灰野敬二としか云へない。

しかし、そんな灰野さんの音樂は、實にわかりにくい。 否、わかりにくいといふか、説明しづらいのだ。 音樂評論といふものを信用してゐない、と前に書いたと思ふが、 その例の一つが、灰野さんである。 灰野さんの音樂がなぜあんなにすばらしいのか、 きちんと音樂的に評論してもらひたい。 それができないやうな音樂評論は、評論でもなんでもなからう。

灰野さんの音樂を理解できるかどうかは、その人の音樂への態度に大きく依據してゐる。 ポピュラー音樂ばかり聽いてゐる人は、恐らく灰野さんのすごさを理解できない。 變な先入觀さへなければ、灰野さんの魅力には一發で氣づく。 現に、おれが灰野さんを聽かせた中で、灰野さんのファンになった人たちは、 初めて灰野さんを聽かせたときから、「灰野さんってすげー!」といふ反應を見せた。

どういふ音樂なのか、と問はれると答へやうがない。 たまに、ノイズだったりサイケだったりに分類されてゐるのを見たことがあるが、 灰野さんの音樂は、まあサイケであったりはするが、 斷じてノイズではない。 灰野さんをノイズだと思ってゐるやつらは、 「なんだかよくわからんがうるさいからノイズで」といふいい加減な基準で分類したとしか思へない。 全く阿呆である。 何もわかっちゃゐない。 あの灰野さんの美しい音樂の、どこがノイズだと云ふのか。

かつて『ドキュメント灰野敬二』といふ映畫が公開された際、 Jim O'Rourke はこんなコメントを寄せてゐた。

Chick Corea はピアニストです。Cecil Taylor は Cecil Taylor です。 John McLaughlin はギタリストです。Derek Bailey は Derek Bailey です。 Fredie Hubbard はトランペットを吹いて。Miles Davis は Miles Davis です。 灰野敬二は灰野敬二です。

でも、これですら正確ではない。 Cecil Taylor や Derek Bailey、Miles Davis といった人たちは、 確かに替への利かない音樂を創造した人たちだが、 それでも「ジャズ」といふジャンルに呑み込まれてしまふ (Bailey はちょっと難しいところだが)。 ジャンルを横斷したといへば、Frank Zappa だってさうだが、 Zappa の音樂も、既に存在するジャンルをいくつか組み合はせれば説明できてしまふ。 灰野さんの音樂は、さうではない。

灰野さんの音樂は、今までにあった音樂でも、これからできる音樂でもない。 ジャンルといふ安易な批評に囘收されることができないのに、 灰野さんの音樂は、聽けば一發で灰野さんだとわかる。 そんな音樂を作ってゐる人は、外にいない。

とはいへ、灰野さんの音樂を表現する言葉がまったくないのかといへば、そんなことはない。 誤解を恐れずに云ふなら、灰野さんの音樂は、邪王炎殺黒龍波である。

なにいってだこいつ、と思はれるだらう。 いや全く、その評価は正しい。 正しいんだが、さうとでも云ふしかないのだ。

例へば、灰野さんといへば、眞っ黒。 服も CD のジャケも眞っ黒だ (最近、CD のジャケはカラフルになってきたが)。 どんなときでもサングラスを外さない。 演奏中の灰野さんはまるでシャーマンだし、 奏でられる音樂も異世界のもののやうに響く。

つまり、邪王炎殺黒龍波だ。 別に灰野さんが飛影の腕から出る、といふわけではない。 必殺技に「邪王炎殺黒龍波」などといふ名を恥づかしげもなくつけ、 それを平氣で決め技として口に出せるセンス、 灰野さんの音樂は、それと同じ地平にある (まあ、さすがにそんなマンガのやうな名付けはされないが)。

灰野さんの恐ろしいところは、 それらが全て、樣になってゐることだ。 中二のがきんちょが、邪氣眼を氣取ってゐるのとはわけが違ふ。

中二病といふのは、普通は肥大化した自意識の發露であり、 承認欲求をこじらせた結果である。 他人とは一線を劃す自分を演じ、 他人を幼稚だと見下し、 自分を特別な人間であるかのやうに錯覺する。

中二病が恥ずかしいものであるのは、 それが錯覺でしかないからだ。 普通でないやうに演じる必要がある時點で、 中二病罹患者は特別でもなんでもなく、薄っぺらな人間に過ぎないとわかる。 特別でありたいと望み、特別であるやうに振る舞ふさまに實が伴ってゐないから傍らいたいのだ。

灰野さんは、結果的に中学二年生がかっこいいと思ひさうなことを體現してゐるが、 そこに承認欲求は恐らく全くない。 そして何より、灰野さんは特別であらうと演じてああなのではない。 灰野さんは灰野さんたらんとしてああなってゐるだけなのだ。 そこが中二病との大きな違ひであり、だからこそ灰野さんはかっこいい。

自意識は、灰野さんだって過剰である。 それは認めよう。 しかし、過剰でない自意識を持たない人間が、 どれほど非凡であれるといふのか。 灰野さんは確信を持って己の道を進んでをり、 さういふ人間の自意識は、過剰になるに決まってゐるのだ。

灰野さんの音樂を、あんなのどうせ出鱈目だらう、と切り捨てるのは容易い。 でも、例へば邪王炎殺黒龍波を地獄のミサワ化してしまふより、 邪王炎殺黒龍波について眞劍な議論をするはうが、マンガを樂しめると思ひませんか。 地獄のミサワだって面白いし大好きだけど、世の中すべてをああいふ見方で見ちゃったら、つまんないぢゃあないですか。

WATASHI DAKE? [LP] [Analog]

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Amazon

Black Blues V.1

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Red Bull Music Academy

Red Bull Music Academy が今年で終了するらしい。 Red Bull は職場に來た試供品を飲んだことしかないおれだが、 Red Bull Music Academy は好きだった。 記事やインタヴューは面白いものばかりだったし、 講義の人選もおれ好みの人が多く、 動畫を見るのが苦手なおれですら、 けっこうな數を見たものだ。 なんたって、灰野さんの講義があるんですよ!

そんな Red Bull Music Academy が終はってしまふといふのは、 端的に寂しい。 YouTube にある講義の動畫なんかは消えないだらうが、 ウェブマガジン形式の記事やインタヴューはどうなるのだらう。 假に Yadastar が同樣の試みを續けてくれるとしても、 Red Bull の名前は使へなくなるわけだから、 ドメインは確實になくなるし、 さうなるとウェブサイトも消えてしまふ恐れがある。 どうにかよそで續けるなり保管するなりしてもらひたいものだ。

Risk of Rain 2 review 20190402

さて、現時點での Risk of Rain 2 の評価、といふか前作との違ひについて書かう。

まづ、DevBlog にすら取り上げられたほどに多くの人が不満を述べてゐる テレポートの視認性についてだが、個人的にはあんまり氣にならなくなった。 マップが固定なので、憶えてしまへばそこまで苦労することはない。 たまに見つけにくい場所にあったり、バグでそもそもテレポーターが生成されなかったり(一度だけ遭遇した)することもあるが、 それでもまあ、大抵は 10 分もあれば見つかる。

とはいへ、少しばかり改善したはうがいいだらう、とは思ふ。 なぜって、前にも書いたが、テレポーターを探して彷徨ふ時間といふのは無駄であるばかりか、 時間經過が敵の強さに直結するこのゲームでは、プレイヤーにとって大きなデメリットになってしまふからだ。 慣れればテレポーターの視認性にそれほど問題がないとはいっても、 それがゲームの面白さに寄與してゐるかといへば、完全にノー。 探索(アイテムで自分を強化できるといふメリット)と敵の強さ(時間がかかると苦労するといふデメリット)が トレードオフになってゐるからこそゲームなのであって、 テレポーターの見つけにくさで難易度が上がってしまふといふ調整の仕方はスマートではない。 メリットがなく、イライラするだけだからだ。

個人的に最も不満なのは、アイテム入手數が少なくなったこと。 例へば、1 ではボスを倒すと必ずボスドロップがあったのに、 本作ではボスが雑魚として出てくる段階になると、 雑魚として出てきたボスを倒してもアイテムが出ないし、 ボスが複數出た場合でもドロップは 1 つだ(Shrines of the Mountain 使用時のみ増える)。 また、1 には 56 leaf clover といふ、 雑魚エリートにドロップ判定を付與するアイテムが存在したが、 本作にはない(57 leaf clover といふアイテムはあるが、効果は全然違ふ)。

結果的に、アイテム入手機會は非常に限られてしまった。 宝箱、shrine、3 択のあいつ、Lunar 関聯のみである。 いやあ、少ないっすよ。 ちなみに、HP を捧げる shrine はアイテムではなく金をくれるやうになったから、 これも地味にアイテム入手機會を減少させてゐるが、 ステージが開始してすぐ金を得るといふ新しい戰略が生まれたから、まあこれはいい。

アイテム入手機會が少なくて何が不満かっていふと、 ステージを周囘しても、ちっとも無雙感が味はへなくなってしまったことだ。 1 つでは大したことのないアイテムでも、數を揃へることでバカみたいに強くなり、 敵を蹂躙できてしまふのが Risk of Rain の大きな樂しみだったのに、 本作にはそれがない。 よほどうまくいかないと、敵の硬さに追ひつけなくなる。 なんでさういふ、一番樂しいトコを變にバランスとっちゃうんですかね。 ハクスラだってさうだけど、プレイヤーが最終的に求めてるのはおれ TUEEEEE ですよ。 最後の最後までバランス調整うまくやんなくていいんです。 ただのアクションゲームならそれでもいいけど、これは Risk of Rain でせう?  別に Risk of Rain に限らずとも、ローグライク要素を持つゲームって、 「今囘の引き、神ってるやんけ!!!!」っていふ快感はすごく大事だと思ふんだけどなあ。 MUL-T が強すぎるから調整するよ!とか云ってないで、弱すぎる Artificer と Mercenary をなんとかしなさいよ。 全員 MUL-T と同じぐらゐの強さでいいよ。

上記に関聯して、今囘から新たに實裝された Lunar item についても書いておかう。 いやまあ、デメリットがきつすぎて使ひものにならないもののはうが多い、ぐらゐしか書くことありませんけどね。 本作ではまだ導入されてゐない Artifact に似てるけどスタックできるといふ點が大きな違ひ。 でもスタックすればするほどデメリットのはうがでかくなる氣しかしない。1 つでもきついのが多いのに。 特にひどいのは手持ちのアイテムをランダムで 1 種類にまとめてしまふ Lunar shrine。 アイテムが多すぎるから、あたりを引けることなんてほぼなくて、もれなく弱體化すると云っていいほど。 もうちょっと強めのメリットがないと、使ふ意味がないよあれは。

と、1 と比べて惡いところばかりを擧げたが、 まあこれはまだ early access だからである。 これだけ不満があっても時間を忘れて遊んでしまふほどの面白さはあって、 やっぱり Risk of Rain はよくできたゲームだったんだなあ、と改めて思ふ。 うまいことバランス調整して、またあのアホみたいな無敵感を味ははせてくれることを、 前作ラストステージの曲でも聽きながらのんびり待ちますわ。 新キャラも新アイテムも新ステージも Artifact も控へてるわけだしね。

Abzû

かなり前から目をつけてゐたものの、 2 時間程度で終はってしまふといふことだったので 手を出さずにゐたゲーム Abzû がセールで安くなってゐたので買った。

Risk of Rain 2 は週末に友だちとやり過ぎた所爲もあって ちょっとやる氣になれなかったので (既にプレイ時間が 30 時間に達した)、 こっちをパパっと終はらせてしまはうと インストールし、プレイしてみた。

うーん…。

steam のレヴューの多くは、このゲームを「氛圍氣ゲー」であると評してゐる。 が、おれはその氛圍氣とやらに沒入できなかった。 理由はいろいろある。

いきなり沒入を阻害してくるのは、その獨特の操作感だ。 3D だったのでキーボード + マウスでプレイしたのだが、 なんで W で下に潜り、S で浮上する設定になってゐるのか。 もちろん、これは設定で變へることができるのだが、 デフォルト設定が「normal」ではなく「inverted」になってゐる。 つまり、普通とは逆だ、とわかってゐるはうがデフォなのだ。 なんでそんなことすんの?  お蔭で操作に慣れるまで時間がかかって沒入できなかったんですけど?  加速がちょっとしか持続せず、 途切れるたびに加速し直さなくてはならないのも極めて面倒だった。

音樂をオフにできないのも難點。 クラシック風の、なかなか惡くない音樂なのだが (終盤はコーラスまで入って無駄に豪華)、 とにかくうるさい。 しかも、ゲーム内で音量を變更することはできない。 仕方なくウィンドウを切り替へ、 Windows で音量調整をしなくてはならないといふ不便さ。

一本道なストーリーがあったのも殘念だった。 ゲームと銘打つ以上、ストーリーが必要なのはまあわかる。 でも、常に進む方向があからさまに提示され (ちょっとした區切りごとにこっち行け、とばかりにトンネルが現れる)、 探索要素がほぼないのはいがかなものか。

おれが氛圍氣ゲーをやるのは別にこれが初めてではない。 例へば、Dear Esther はストーリーのある氛圍氣ゲーだったが、 荒廢した島のどこへ行くにも制限はなかった。 特定のポイントを訪れないと話が進まないだけで、 狭い島だからオープンワールドといふほどのものではないが、 最初からどこへでも行ける。

大好きな Proteus といふゲームに至っては、そもそもストーリーが存在しない。 これも島が舞臺だが、できるのはひたすら歩き廻ることだけ。 島に生息してゐる生物に近づくと、變な音がぽよんぽよん鳴るのと、 時間經過で明るさが變はること、 あるトリガーを引くと別の島に移動することぐらゐしかゲームの構成要素はない。 目的もなんにもない。 でも、これが妙に樂しいのである。

しかし、Abzû は豫め用意された順路を、 ほぼ寄り道することもなく、進んでいくだけだ。 もちろん、先に進まずに留まり、魚と戲れることはできる。 魚の背中に摑まることもできる。 が、開發が想定した通りの進め方を強制されてゐるといふ感覺がずっと付きまとってゐた。

最も不快だったのは、途中に現れる、機雷のやうな物體だ。 正四面体がなぜか海中を漂ってゐて (浮きも沈みもしない。どういふ材質でできてゐるのか)、 近づいてしばらくすると感電するのだ。 そして、感電して少しの間は操作不能になってしまふ。 ゲーム終盤でそれらは破壊できるやうになるのだが、 その部分も含めて、全く不要だったとしか思へない。 海の中を泳ぐのがメインのゲームで、 泳がない瞬間を作ることにどんな意味があるといふのだ。 ネタバレになってしまふが、仲良くなった鮫を感電で殺す必要ありました?  最後に生き返ったんだか靈體になって戻ったんだか知らないが合流するなら最初から生かしたまんまでいいぢゃん。 アホかよ。 ほんと白けた。

結局最後までやったが、 「どうだいこのゲーム、すごくいい氛圍氣だろ! たっぷり味はってくれよな!」 といふ、開發者側の押しつけがましさを終始感じるゲームだった。 音樂をオフにできないのは、 さういった開發者側の思惑を顕著に表してゐると思ふ。 音樂もちゃんと聽いてくれよな!といふわけだ。 さういふのはゲームぢゃなく映畫でやってくれ、と云ひたい。 ゲームなんだからプレイヤーから選択肢を奪ふデザインはやめろよな。

1 囘のプレイで實績を全て解除できなかったので、 全実績を解除するまではやるつもりだが、 正直、二度とやりたくない (が、さっさとアンインストールしたいのでやる)。 とれてゐない實績は探索に關はるものばかりなのだが、 探索があまり魅力的ではないから、やる氣にならないのである。

steam のレヴューは「壓倒的に好評」だが、 まあこんなふうに感じる人間もゐるのだ、 といふのは書いておく價値がなくもないかなと思ひ書いた。 誰かの參考になれば幸ひである。

全く關係ないんだけど、この前の Risk of Rain 2 の記事、 普段とは比べ物にならないレベルでアクセスがあってびっくりしてしまった。 大して内容のない記事だったからなんだか申し譯ない。 早々に日本語 Wiki もできたやうでめでたい。 だいぶやったので、明日にでも現時點での 1 との違ひについてまとめようかな、と思ってをります。

Risk of Rain 2

Baba is You を日々ちまちま遊びつつ、合間にやはりこれまた 友だちから誕生日にいただいた Aegis Defenders を ちょこちょこ進める、といふ日々を送ってゐたのだが、 唐突に Risk of Rain 2 がリリースされた。

水曜に友人と「Risk of Rain 2 は 2019 Q1 ってなってるけど 實際はいつぐらゐなんやろなあ」と話したところだったので、 まさに晴天の霹靂。 いやはや、ほんとに Q1 に間に合はせてくるとは思ってなかったよ! *1

しかも、今日と明日だけは Buy One, Get One Free(1 つ買ふともう 1 つタダ!) キャンペーン實施中。 アメリカのスーパーでよく見るやつだこれ。 要するに實質半額やんけ!ってんで、友だちと割り勘して早速購入。 すぐインストールして遊んでゐるが、めっっっっっっっっっちゃくちゃおもろい。

steam での多くのレヴューに書かれてゐるとほり、 「Risk of Rain を 3D にしました!」といふ一文だけで このゲームの 90% は説明できてしまふ。 もちろん、追加や變更がないわけではない。 でも、それはゲームの本質からすれば些細なことでしかなく、 Risk of Rain 2 はまさに 3D 版 Risk of Rain であり、 それこそ、われわれ Risk of Rain ファンが待ち望んだものだったのである。

まだ Early Access なので、キャラやステージはこれから追加されるらしいが、 現時點でも Risk of Rain らしさは十全に發揮されてゐる。 前作からの改善點としてぱっと擧げられるのは 2 つ。 1 つはマルチプレイが格段に樂になったこと。 前作ではポート開放が必要だったので、結局おれはマルチプレイを體驗してゐないが、 今囘はそんな面倒なものなど必要なく、氣輕にマルチプレイできる。 野良マルチもラグったりせず實に快適。 もう 1 つは steam のオーバーレイ對應、 つまり F12 キーでスクショが撮れるやうになったこと。 前作は面倒な手順を踏まないとスクショを steam で見せびらかすことができなかったので 地味に嬉しい改善點である。

惡いところ、といふより困ってゐるのはマップ。 3D になった所爲でマップが全然憶えられないのだ。 もしかしておれ、方向音癡なの?と思ふレベル (現實で道に迷ったりすることなんかないのに!)。 現實のやうにいろんな建物でもあればわかるが、 似たやうな景色が續くときつい…。 このゲーム、時間經過で敵が強くなるので、 迷ひやすいといふのはかなり致命的だ。 ミニマップを導入するなどして改善してもらひたいところ。 steam のフォーラムを見ても「テレポーター見つかんねえ!」 といふスレが伸びたりしてゐるので、 やはり迷って同じところをぐるぐる廻ってしまふ人は多い模樣。

あ、個人的にはもう 1 つ大きな變更點があった。 3D になったから、コントローラーぢゃなくてマウス + キーボードでプレイするやうになった。 うーむ、積んでるダクソやってこの操作に慣れとけばよかったかな。 でもまあ、使ふキーそんな多くないからいいや (マウス 4 ボタンと WASD、Q、E ぐらゐ)。

ともあれ、Risk of Rain といへば取り敢へずはやりまくってアイテムや キャラをアンロックすることから始めるゲームなので、 しばらくはクリアを目指すのではなく、アンロック重視で進めてみるつもり。 といふか、Risk of Rain 1 をやりまくったプライドみたいなのが邪魔して、 どうしても難易度 Drizzle (easy 相当)でプレイできない。 1 なんか最初は Drizzle ですら辛かったんだから、 素直に Drizzle でやればいいんだけど、やっぱりその…、ねえ?

※追記 2019/04/02 時點でのレヴューを書きました。

*1:steam で發賣日前からストアページのあるゲームは、 普通リリース數日前に「アンロックまであと XX 日」といふ表記に變はるのだが、 水曜の時點でそんな表記にはなっていなかったのだ。

Baba is You

去年骨までしゃぶったゲーム Environmental Station Alpha の作者 Hempuli こと Arvi Teikari が 2 週間ほど前に新しいゲームをリリースした。 その名は Baba is You

まあ、ゲーム自體は itch.io でけっこう前から β 版がリリースされてゐて、 Hempuli 氏自身のブログでもちょいちょい進捗状況が書かれてゐた。

ESA 2 の情報を求めてブログを讀んでゐたおれは、 その可愛らしいゲームはいいから早く ESA 2 作ってよ、と思ってゐたのだが、 リリース後に Automaton の記事を讀んで、俄然ほしくなってしまったのだ。

で、ほしいなほしいなーと思ってゐたら、 ESA を教へてくれた友だちが、誕生日プレゼントにこれをくれた。 やっほう。

そんなわけで、早速遊んでゐるのだが、このゲームめちゃくちゃおもしれえ。 Automaton の記事がだいぶうまくゲームを紹介してゐて、 そこに附け加へることはほとんどないのだが、 一言で云へば、「いかにズルするか」といふのが肝のゲームである。

基本的なゲーム内容は、おっさんならわかると思ふが、 DQ3 のエジンベアの地下で渇きの壺をとるためにやらされたパズルとほぼ同じである。 石を押して、望みの位置まで動かすといふあれだ。 ただ、真っ当にそのパズルを解く必要は全くなく (といふか、普通には解けないやうな形になってゐることがほとんど)、 自分でルールを捻じ曲げて勝利条件を満たしてね、となってゐるのがこのゲームの特色。 エジンベアのあれと違って手輕に手順を戻せるのも嬉しい。

この樂しさは、實際にやってみないとわからないと思ふ。 Baba is You といふタイトルのとほり、 プレイヤーが操るキャラは Baba といふ何やら可愛い生物なのだが、 Baba の部分は別の文字に置き換へることもできるので、 岩になったりドアになったりできる。 そんなことしてどうすんだ、と思ふかもしれないが、 さうすることで、Baba から見れば障害物があって入れないところにも入れたりするし、 自分でなくなってしまった Baba をゴールまで運んでから改めて Baba になることでゴールインする、 といったやうなこともできる。

極端な例だと、Baba is You といふ文章と、 Baba is Win といふ文章を兩立させることができれば、その時點で勝ちだ。

Automaton の記事には解法が複數あるやうに書かれてゐるが、 やってみた感じ、ステージを進めば進むほど制限がきつくなり、 解法は 1 つか 2 つしかないんぢゃねーの?といふ氣になる。 が、別にそれがゲームの面白さを損なったりはしてゐない。

このゲームの面白さは「えっ、そんな方法でいいのかよ!? まじで??!??!!」 といふ驚きであり、このゲームのすごいところは、 それ(ら)が普通に想定された解法であらう、といふことだ。 Environmental Station Alpha も、そんな進め方していいの?と思へるやうな進み方が きっちり想定されてゐた、實にメトロイドヴァニアなゲームだった。

Environmental Station Alpha だけなら、メトロイドが好きで好きでたまらないんだなあ、 といふので片附けられるのだが、 今囘の作品はメトロイド要素ゼロのパズルゲームであり、 しかも自分でルールをいじれるといふ、メタいゲームでもある。 天才ぢゃん、Hempuli。

パズルゲームでメタ要素があるものといへば、The Stanley Parable に代表される、 パズルゲームの舞臺裏を見せてしまふといった感じのものが多かったが (小説で云へば、作者が出てきてしまふやうなタイプ)、 Baba is You はさういふものとは違ふ、正統派メタパズルゲームだと思ふ (そんなジャンル聽いたことないけど)。

何はともあれ、パズルゲームが好きなら、 いや、パズルゲームが好きでなくとも 買って損はない傑作である。 おれのフレ(ESA の RTA 走者)は β の頃からやってゐて、プレイ時間は 120 時間を超えてゐるが、 それでもまだ全てクリアできていないやうだから、たっぷり遊べるのも保証されてゐる (1 ステージは短いが、全部で 200 ステージ以上あるらしい)。 Steam だけでなく、Switch でも出てゐるやうなので是非どうぞ(例によってアメリカ限定だが)。

With a Little Help from My Friend

例によってちまちま Solar Settlers をやってゐるのだが、 このゲームのほぼ全種族でトップの成績を誇る人がゐたので、 だいぶ前にフレンド申請を送ってみたところ受理してくれて、 こっちがスクショをあげるたびにコメントくれるから (わざわざ google 翻譯まで使って、こちらの日本語を讀んでくれる)、 嬉しくなって「Therlunai が苦手なんだけど、なんかコツないかな?」 って訊いたら(もちろん英語で)、長文でたっぷりアドヴァイスをくれた。うれぴー。

が、steam のメッセージで來たので、抛っておくと消えてしまふ。 といふわけで、ここに転載しておく(最後の行は不要だけど、まあ記念だ)。

The most powerful card for them is NOMADIC TRIBE, ensure you have it before settling. The ARAZOA OUTPOST can help you obtain it, if the cards are not falling your way.

The scavenge results change with exploration, so sometimes its better to exploit a good scavenge when it appears. You can use the CAREFUL SCRAPBOTS to ensure a good scavenge is unchanged after a scavenge action.

General Help -

1. Cycle research - cycle your research to gain as many of the powerful end game cards (GALACTIC LIBRARY, NOMADIC TRIBE, STIMULANT TRIAL DEPOT, HABITAT FACTORY), efficiency cards ( DECREPIT BOOST DEPOT, FUSION DRIVE CENTRE, PROCESSING FACILITY, INDUSTRIAL MINE, SCIENCE FACTORY, STARBASE/PROPULSION GEL PLANT etc), colonist spawning cards ( ARTIFICIAL WORLD, ORBITAL LAB, WAYSTATION, GENESIS VATS, etc).

2. Raise MILITARY as quickly as possible so as to be able to reach powerful outer edge cards quickly (ALIEN CLONING, ALIEN RUINS, DERELICT STARSHIP), and secure any PRODUCTION squares

3. Make as many colonists as you can as early as you can and utilise them.

4. When settling, trigger as many "settling bonus'" as you can, ie NOMADIC TRIBE, ISOLATION POD, STAR CANTINA, STRIP MINE, UNDERSEA STATION, STIMULANT TRIAL, GALACTIC LIBRARY, UTOPIA COLONY, etc).

5. Combine STIMULANT TRIAL and HABITAT FACTORY to increase the number of colonists you can use in the final turn. Gain as many stimulant factories as you can to exploit this, ensure you have the water worlds to utilise them. Don't ever destroy water worlds (ie put a purple card on them) unless you really have to.

6. SCHEMATIC DATABASE, PROTO FORMIDS, PARTICLE SAMPLER, ARAZOA OUTPOST, SENTIENT FUNGUS and BRAIN WORMS can all spawn cards from OTHER race's exclusive decks, allowing you to gain the powerful cards of all races.

This is mostly from memory, so I may have missed a few good cards in the above description.

Hope it helps, and goodluck.

mostly from memory って書いてあるけど、よくこんなにカードの名前憶えてんな!  ぱっと見てどのカードだかわからないのもいくつかあるぞ。 いやはやありがたいことだ。 お禮にうまくなったらガイドを英語と日本語の兩方で書くぞい。 でもこれ、ほとんど經驗則で知ってることだ! 最後の 6 は知らなかったけど。 さういふ効果があるのは Brain Worms だけだと思ってたよ。

オーストラリア在住らしいから、時差もあんまりないだらうし、 持ってるゲームもけっこうかぶるから、 いつか一緒に遊びたいなあ。 Dungeon of the Endless かなりやってるみたいだし、よささう。

あ、Superflight は 2 時間ちょいで全實績を解除しました。 短い時間で遊ぶのにいいゲームだからアンインストールはしてないけど。

Superflight

もうすぐ Islanders といふゲームがリリースされる。 どういふゲームかは Automaton で紹介されてゐる のでそっちを見てもらふとして、 そのデベロッパが過去に出した Superflight といふゲームが 80% オフの 62 圓といふアホみたいな値段で賣られてゐたので買ってみた。

https://steamcdn-a.akamaihd.net/steam/apps/732430/extras/steam_store_gif_a_06.jpg

上に貼った畫像が、このゲームのほぼ全てである。 びゅうびゅうごおごお風が吹く中を滑空するだけ。 壁ぎりぎりのところを通ることがスコアになる。 壁から離れてしまふとコンボが途切れるため、 いかに壁すれすれの位置を保ち續けるかポイントになるのだが、 風の所爲もあり、完全に思ったとほりには動いてくれない。 そこをうまくコントロールして、高得點を目指すだけといふシンプルなゲームである。

グラフィックはしょぼいし(20 世紀か?!と思ふやうなポリゴン)、 BGM もないが、全く氣にならない。 いや、下手な BGM なんてないはうがいいな、とすら思ふ。 長々とプレイするやうなゲームではなく、 ちょっと遊べば満足できるのもいい。 あるでせう、がっつりゲームしたいわけぢゃないけど、 ちょっとだけ遊びたいな、って氣分のとき。 さういふときにうってつけ。

値段は格安だし(割引なしでも 310 圓だ)、パソコンのスペックだって不要。 使ふキーも方向キーと決定キーだけ。 なのにしっかり遊べてしまふ。 スマホのジャイロでできるやうにすればいいのに、 と思ったら Apple Store に 2 つほどパクリ商品があった。 ひどい話だ。 みんなは steam 版を買ってあげようね。

Frank Zappa in Roxy

Frank Zappa(例によって以下、FZ)のアルバムが現在のところ 111 作ある、 といふ話を前に書いたが、その中で一番好きなのはどれか、 といふ問ひに答へるのは難しい。

入門に向いてゐるのがどれかといふ問ひなら、おれは斷然 Burnt Weeny Sandwich を推すことにしてゐる。 雑派と漢字を当てられることもある FZ の多樣な音樂性のほとんどが コンパクトに詰まった傑作だからである (ちなみにこのアルバムのジャケットはもともと Eric Dolphy のアルバム用に作られたものらしい)。

それに對して、好きなアルバムがどれかといふ問ひが難しいのは、 異なった魅力を持つ作品がいろいろと存在するからである。 目まぐるしく大仰な展開を持つ、LP にして 8 枚になる大作 Läther遺作になってしまった現代音樂ものの傑作 The Yellow Shark初期 Mothers の猥雜さが詰まった Weasels Ripped My Fleshロック・アンサンブルの傑作 Uncle Meat もいいし、 個人的には初めて聽いた FZ のアルバムである You are What You is も忘れられない (正確には The Lost Episodes が初めて聽いたアルバムなのだが、 あれはアンソロジー的なものなので「アルバム」と云ふのは少し抵抗がある)ジャズ・ロック路線の Hot RatsWaka Jawaka も外し難いし、 ひたすらギターソロを味はふ Shut Up 'n Play Yer Guitar を舉げる醉狂な人間がゐたって不思議はない。

しかし、近年は專ら Roxy the Movie のサントラ、と答へることにしてゐる (全てが入ってゐるわけではないので、本當は映畫そのものと答へたいが)。

この作品は、タイトルに「the Movie」とついてゐることからもわかるやうに、映像作品である。 が、別にストーリーなどはない。初めから終はりまで、全てがライヴ映像だ。 撮影されたのは 1973 年 12 月 8 ~ 10 日だが(Roxy といふのはその會場であった LA にあるライヴハウス)、 リリースはなんと 2015 年 10 月。 42 年もかかって、やうやく陽の目をみたのだ。

なぜ 42 年もかかったのか。 それは、FZ 獨特のライヴ音源の扱ひが最大の原因である。

FZ はスタジオ盤のみならず、ライヴ作品も多い。 が、FZ にとって、スタジオ盤とライヴ盤といふのは、 それほど大きな差がなかったやうだ。 スタジオ盤であってもライヴ音源を元にしたものが収録されてゐることはよくあるし、 スタジオ収録のものとライヴ収録のものが混在するアルバムだってある。 ライヴ盤はライヴ盤で、FZ による徹底的な編集が施された上でリリースされる。 その編集といふのがただごとではなく、大抵は忌避されるオーバーダブや差し替へはもちろん、 1 つの曲でも複數日のライヴを接合して完成テイクになってゐるものまである(しかも珍しいことではない)。

だから、FZ は海賊盤を非常に嫌ってゐた。 自分の手が加はってゐない不完全なものが 作品として流通するのが我慢ならない、といふのが理由だ。

そんな FZ が、初めて映像とともにリリースしようと考へてゐたのが、この Roxy the Movie である。 が、この計劃は FZ 存命のうちには實現しなかった。 例によって FZ がライヴ音源を徹底的に編集しまくったため、 その音に、映像を合はせるのが非常に困難になったからである。 その解決に 40 年を要したといふのだから恐れ入る。

ただし、このときのライヴ音源は 1974 年の時點でリリースされてゐる。 Roxy & Elsewhere といふのがそれだ。 タイトルにもある通り、Roxy 以外でのライヴも收録されてゐる。 ただ、おれはそのアルバムよりも、ほぼ同じメンバー(2 人少ない)による 74 年 9 月のライヴを收録した You Can't Do That on Stage Anymore vol. 2 のはうが好きで、以前はそれを一番好きなアルバムとして舉げることにしてゐた。 理由は單純で、Roxy のものより曲が多いからだ。 なんたって、Roxy にはない Inca RoadsRDNZLDog/Meat があるもんね。

Roxy the Movie のサントラは、 前述したやうに殘念ながら映畫で使はれてゐる曲全てが收めてゐるわけではなく、 入ってゐるのは全體の 2/3 ぐらゐだ (なほ、サントラだけ買ふのは不可能で、 映畫の DVD あるいは Blu-ray を買ふとサントラがついてくる、といふ仕樣)。 だから、これも曲數としては You Can't Do That on Stage Anymore vol. 2 に劣る。

しかし、この映畫、そしてサントラには、 FZ をしてわざわざメンバーの衣装まで統一して映像作品を作らう、 といふ氣にさせた、彼のバンド the Mothers 最初の黄金期が餘すところなく收められてゐるのだ。

Roxy the Movie を見て強く感じるのは、 この時期の the Mothers はパーカッションが特に秀でた編成だったといふことである。 これは、 Roxy & Elsewhere だけ 聽いてゐると、氣づきにくい點である。

實際、 Roxy the Movieサントラに收められた 11 曲のうち、5 曲T'Mershi DuweenDog/MeatEchdna's Arf (of You)Don't You Ever Wash That Thing ?Cheepnis-percussionもパーカッションが中心の曲であるのに對して、 Roxy & Elsewhere でパーカッション中心なのは 10 曲中たった 2 曲である。

大體、この時期の the Mothers は Ralph Humphrey と Chester Thompson といふ 2 人のドラマーと、 FZ 史上最高のパーカッショニスト Ruth Underwood を擁してゐた上、 FZ 自身も最初はドラマーだった人である。 パーカッションメインの曲を多く演奏したのも當然と云へよう (事實、上述した 5 曲のうち Dog/Meat では FZ 自身がパーカッションの演奏に加はってゐる)。

アルバム中の白眉はなんといっても Cheepnis-percussion だ。 これは Cheepnis といふ B 級モンスター映畫への愛を語った歌のパーカッション部分だけ、 といふことになってゐるのだが、 ちゃんと聽くと、わざわざパーカッションの 3 人だけでやるときと バンドでやるときはアレンジが異なってゐることに氣づく (顕著なのは Ralph Humphrey)。 パーカッション版のはうは、 パーカッションの 3 人がいかにすごいかを示すデモンストレーションのやうになってゐるのだ。

映畫本編では、この曲の前に Echidna's Arf (of You)Don't You Ever Wash That Thing ? の 2 曲が演奏されるのだが、 この 2 曲もパーカッション中心の曲であるし、 3 曲はメドレーで續けざまに披露されるので、 FZ がこの部分をライヴのハイライトと考へてゐたことは想像に難くない。

サントラで聽くのもいいが、 この 3 曲は是非とも實際の映像を見てもらひたい。 パーカッションの 3 人のすごさもさることながら (Ruth Underwood はもちろん、華麗な Ralph Humphrey と實直な Chester Thompson の對比がわかりやすいのも見どころ)、 バンドがみんな實にお茶目なのだ。

もともと、 Don't You Ever Wash That Thing ?FZ の曲全ての中でもトップクラスに好きな曲だったのだが、 まさか演奏中にあんなポーズをとってゐたなんて、知る由もなかった。 なぜ演奏中に全員で髪をなでつけるのか。全く謎だし全く無意味だ。 でも、それが實にかはいい。 特に、トロンボーンの Bruce Fowler が あんなに面白い人だとは知らなかった。 音だけだとこの時期のメンバーで一番目立たないのに (Bruce Fowler の名譽のために附け加へておくと、 スタジオ盤ではトロンボーン以外のホーンも一人で多重録音させられる、 一人ホーン隊とでも云ふやうな八面六臂の活躍をしてゐる)。

ちなみに、この Roxy のライヴは FZ ファンの多く、 それに FZ 自身や FZ の遺族たちにとっても思ひ入れの深いもので、 映畫が發表される 1 年前に Roxy by Proxy といふ それまで未發表だった Roxy チラ見せ音源がリリースされてゐるし、 昨年(2018 年)には、3 日間のライヴ全てどころか アルバム用にスタジオで録音された數々の音源まで完璧に網羅した The Roxy Performances といふ Roxy 決定版のやうな音源までリリースされた (FZ が編集する前の音源なので、映畫や Roxy & Elsewhere の音源がどれだけ編集されたものかがよくわかる)。

現代音樂ものやシンクラヴィアもの、 しゃべりが大部分を占めるアルバムなどがあるため、 FZ は難解だ、といふイメージを持たれてゐることがある。 もちろん、それは一面の眞實ではある。

でも、少なくともこのアルバムの FZ に難解さはほとんどない。 ときの大統領 Richard Nixon をおちょくりまくった Dickie's such an Asshole(ディッキーほんまケツ穴野郎) なんて曲もあるし(Dickie は Richard の愛稱)、 FZ のライヴではお馴染みの観客をステージに上げる コーナーが映像つきで樂しめるのも嬉しい (17 分もあるこの曲を最初から音だけで樂しめるのはかなりの上級者だと思ふ)。

FZ の多樣な音樂が聽けるといふわけではないから、 入門に最適とは云へないし、これが FZ の全てといふわけでもない。 しかし、Roxy の FZ は間違ひなく FZ の音樂全體の中でも最高峰の一つだし、 面白いのにすごい、すごいのに面白いといふ FZ の最大の魅力が遺憾なく発揮されてゐる傑作である。 そりゃあ、Queen のドキュメンタリー映畫のやうにヒットする要因は皆無と云っていい。 でも、これを味ははずに死ぬなんて、音樂好きの名折れですぞ。