When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

best albums of 2021

今年はかなりたくさん聽いたので、去年は書かなかった、 「今年聽いた中でのベスト」を書くことにした。

今年たくさん買った理由は單純で、 bandcamp からデジタル音源を買ふことに抵抗がなくなったからだ。 おれはコレクター精神の強い人間なので、かつては何がなんでもフィジカルで持ってゐなければ氣が濟まなかったのだが、 あるとき、ふと思ってしまったんですよ(この話は何度も書いてる氣がするけど)。 「5 年先に聽くかどうかもわからんアルバムを持っておく必要はあるのか?」って。

ありませんよ、んなもん。

それに、レコードって場所をとるんですよ。 本もハードカバーが好きでハードカバーばかり家にはあるんだけど、 正直、讀み辛いですよね。全部デジタルなら、氣輕に寢轉んで讀めるのに。

讀まない本を積んで家が埋まっていくのも間拔けだが、 買ってしばらくしか聽かないレコードで家が埋まっていくのだって同樣に間拔けだ。 さう氣づいたので、デジタル音源にほとんど抵抗がなくなってしまった。

それに、デジタル音源って、いちいちパソコンに取り込まなくていいんですよ。 買ったらすぐダウンロードして聽ける。手輕すぎる!!!  しかも安い。

でも、ここに舉げたものの多くはフィジカルで買ってゐる。 それだけのよさがあったってことですね。

JPEGMafia: LP!

さて、今年はヒップホップ漬けだった、といってもいいぐらゐヒップホップを多量に聽いたんだけど、 これは單に、ヒップホップの中にもおれの好きになれるやつがあるぢゃん、ってことを發見したから。

メジャーなヒップホップって、曲の構造は單純だし(下手したら 4 小節がずっとループされる)、 音樂としてもつまんないのばっかりだし、よさが全然わかんなかったんですよね。

でも、ここ十年ぐらゐのヒップホップといふジャンルの成熟はすごいもので(なんたって今やロックより賣れてゐる)、 さうなると、いろんなものが出てくるわけ。

JPEGMafia はさうしたアンダーグラウンドなヒップホップの人としては大成功した例だと思ふ。 特に、今囘のアルバムはあまりにすばらしすぎて、今年だけでも何度聽いたかわからない。 そして、それだけ聽きまくってるのに全く飽きない。 わざわざ記事にしたぐらゐだし。

一番好きなのは ARE U HAPPY? って曲。

この曲の何がいいって、ベースが完全にダブなんですよ。 で、何を隱さう、おれはダブが苦手なんです。

ダブが苦手といふか、レゲもスカもロックステディも、とにかくジャマイカ音樂全般が理解できなくて、 今年 Lee Perry が亡くなってしまったけど、それで何かを感じることもないぐらゐ、 おれにとってダブってのはどうでもいいジャンルなんです。 Lee Perry だって、理解したいと思っていろいろ聽いたけど、どれもよさが理解できなかったんですよね。

今年、Phew が Dommune に出てたときに、 ele-king の編輯長である野田さんが、 ゲストのコニー・プランクトンにダブがどういふ音樂か説明するときに、 「スタジオを樂器として使ふ音樂」って云ってたんだけど、 もしホントにさうなら、おれはダブが苦手だったりはしない。 だってそれって、Frank Zappa だったり Tortoise だったり Jim O'Rourke だったりぢゃん。

違ふんですよ。ダブは確かにスタジオで音を加工しまくる音樂ではあるんだけど、 根っこはジャマイカ音樂なんですよね。 だから、ジャマイカ音樂がわからないおれは、ダブのよさもさっぱりわからない。 だって、どれだけ加工されてもジャマイカ音樂なんだもん。

でも、ジャマイカ要素が強くないダブならおれでも理解できるらしく、 JPEGMafia のこの曲は、まさにさうした、ベースにしかジャマイカ要素のないダブ、なんですよ。 それがいい。 昔、ストーナーの伝説的バンド Sleep のベーシストである Al Cisneros がダブのシングルを出したことがあるんだけど、 あれもよかった。ほぼストーナーだけどダブ、みたいな鹽梅だったから。 Sleep も OM も一枚も持ってないけど、その 2 枚のシングルだけは大事にしてます (同じレーベルから出た 3 枚目は全然ダブぢゃなかったから買ってないけど)。

Common: A Beautiful Revolution (pt 2)

メジャーのヒップホップでよかったのはぶっちぎりでこれ。 Seun Kuti と一緒にやるなんて反則でせうが!

Fela Kuti は息子どころかもう孫までもが活動してゐてびっくりしたのだが、 Fela の遺傳子をリアルに継いでる人たちの音樂は、 新しい方向へ行かうとしてゐるのはわかるんだけど、いまいち成功してゐない。

例へば、今年 Fela Kuti の息子および孫である Femi Kuti と Made Kuti が各々のアルバムをセットにして發表したが、 そこまですごいものでもなかった。

その點、ヒップホップとアフロビートを混ぜ合はせたこれは、 容易に新たなアフロビートの可能性を感じさせてくれた。 Common はアフロビートの要素を極限まで削ぎ落とし、 極めてシンプルな形で自身の音樂に挿入することに成功してゐる。

いいぢゃないですか。 さう、別にアフロビートを前面に押し出す必要はないんですよ。 アフロビート要素はちらっとあるだけでもかっこいいんだから、 それだけで押し切らうとせず、かうやってスパイス的に使ふだけで曲の魅力が一氣に高まる。

かつて Brian Eno は「70 年代に生まれた 3 つのビートはアフロビートとハンマービートとファンク」と云ったらしいが (NEU! のアルバムが初 CD 化されたときにさう書いてあった)、 ファンクはともかく、ハンマービートなんてジャンルとして成立せず、それでも方々で使はれてゐるのだから、 アフロビートだってその道でもいいぢゃん (まあ、Fela Kuti みたいなのも聽きたいけどさ)。

でも、さういふのって、なかなかできることではない。 Common みたいな大物だからできたことだらうし、 これが今後の契機になってくれればいいな、と思ふ。

ちなみに、Common ってこんなにかっこいいのか!と思って慌ててこれまでのアルバムも聽いたんだけど、 これ以外のは別にどうでもよかったです。 買ふものが増えなくてよかった…。

McKinley Dixon: For My Mama and Anyone Who Look Like Her

ヒップホップといへば、これもよかった。 1 曲目のリズムがへんてこで、それに惚れ込んで買った (このアルバムに收められた曲自體はかなり前に作ったものもあるやうで、 2018 年の作品 McKinley Dixon on Audiotree Live にいくらか入ってゐるし、YouTube に全篇動畫もある)。 ほかの曲は別にリズムが凝ってゐたりはしないのだけど、 4 小節だけバックトラック作ってループしとくからあとはおれの話を聽けよな!みたいなヒップホップが溢れる中、 ベースぶりぶりのバンドサウンドがバックにあるやつは光りますよね。 メロウなソウルっぽい曲が多いのもポイント。

Korea Town Acid: Metamophosis

これは bandcamp daily で知ったアルバムで、 上に擧げた 3 作品ほど特徴あるヒップホップといふわけではないのだが、 この一年、けっこう繰り返し聽いた。

分類としてはチルアウト系ヒップホップなのだらうが、 そこまであからさまにチルアウトではないこと、 インスト部分が多く(インストの曲もある)、ラップにあまり重きが置かれてゐないことあたりが、 なんとなく垂れ流すのにちょうどよかったのだと思ふ。 韓國のアーティストってほとんど買はないので、紹介しておきたかったってのもある。

(Liv).e: CWTTY+

昨年の本格的なソロデビュー作 Couldn't Wait to Tell You... を記念して發賣されたおまけ EP だが、こっちのはうが全然いい。 この輕やかなソウル! いやー、たまらん。

もちろん、ただのソウルではなく、音響的な仕掛けとか、 執拗なループとか、ぶつ切り感とか、無理矢理なメドレーとか、 現代的なところもたくさんあるが、さういふのは曲がつまんなかったらゴミでしかない。 (Liv).e(これでリヴと讀む)の曲はさうならず、自身の曲をしっかり活かす要素になってゐるのもすばらしい。

Sylvie Courvoisier & Mary Halvorson: Searching for the Disappeared Hour

ジャズでよかったのは、まづこれ。

Mary Halvorson は近年注目のジャズ・ギタリスト。 大學時代に Anthony Braxton の教へを受けてゐるので (Braxton 目當てで行ったのではなく、行った大學でたまたま Braxton が教鞭を執ってをり、 その出會ひで專攻を變へたのだとか)、 自身のバンド Code Girl でやるポップなジャズから、フリーまでお手の物である。

これはゴリゴリのフリー作品で、ピアニストである Sylvie Courvoisier との共演。 Sylvie Courvoisier もニューヨーク在住で、John Zorn の作品に參加したりもしてゐる人。

さてこのアルバム、内容は先にも述べた通り完全にフリー・ジャズなのだが、 ピアノとギターってことは、つまりリズム隊がほぼゐない状態なんですよ。 で、リズム隊のゐないフリー・ジャズって、ジャズっぽさがかなり薄くなって、 即興演奏が好きぢゃなければ聽くのが辛い作品になりがちなんですね。

でも、このアルバムはさうなってゐない。 ポップさを感じさせつつ、フリー・ジャズ好きをも滿足させる高度なアドリブに滿ちてゐて、實にモダン。 ゴリゴリのフリー・ジャズは、どうしても鹿爪らしい印象を免れない作品ばかりなのに、 これはポップさと鹿爪らしさが同居する、非常に巧みなアルバムに仕上がってゐる。 すごい。

Anna Webber: Idiom

こちらも最先端のジャズを味ははせてくれる名盤。 作曲と即興といふ對立軸は、フリー・ジャズおよびフリー・インプロヴィゼーションの世界でいつも意識され續けてゐるが、 これはそこへ果敢に切り込んだ作品。

ジャズは基本的に即興を主とする音樂なので、 作曲といへばテーマあるいはコードなりモードなりでの進行の部分だけで、 作曲と即興の兩方を意識した作品も、 多くは「即興の手法を嚴密に定義」した上での即興(手法の定義の部分が作曲要素)といったものが多い。

この作品はそれらとは異なり、 聽けばわかるが、大部分が作曲されてゐる。 即興演奏に聞こえる部分も、ドラムの入り方なんかを聽けば作曲されたものであることは明らかで、 その在り樣はジャズといふより現代音樂やプログレに近い。

ただ、それでゐてしっかりジャズらしさを殘してゐるのが本作の面白いところで、 これを聽いてゐると、ジャズだらうと全篇作曲された作品があったっていいのでは?といふ氣分になってくる。 お見事。

Rosali: No Medium

この Rosali Middleman といふミュージシャンを知ったのは今年の bandcamp daily で、 ロックのアルバムはよっぽど好みか斬新でなければスルーしてしまふのだが、 これはとにかくギターのサイケさにやられた。

曲の氛圍氣や歌はサイケではない。 ギターだって、あからさまにぐにょぐにょしたりぼんやりしたりしてゐるわけではなく、 寧ろ輪郭のくっきりした、主張の強いギターである。

でも、この音はサイケとしか云ひ樣がない。 サイケなギターと一口に云っても表現は樣々で、 かういふギターをサイケ扱ひするのは、サイケばかり聽いてる人間だけのやうな氣もするが、 サイケ好きとしては、これだってサイケなんだ!と聲を大にして云ひたい。 Matt Valentine だって、The Golden Road 名義のときとか、かういふギター彈くぢゃん。

Rosali: Chokeweed

No Medium はサイケ好き以外には「かういふのもサイケなんだ」と云はなければわからないやうな、 歌ものロック・アルバムとして普通に成立してゐたが、カセットでリリースされたこっちは説明するまでもなくどサイケ。 歌も入ってゐない、ギターのインスト作品集である。

正直、これには驚いた。 No Medium のサウンドがあまりによかったので、 もちろんこれまでにリリースされたものも聽いたんだけど、 フォーク・ロックの、シンガーソングライターなんだなって印象でしかなかったし、 No Medium ほどのサイケさはなかったから、 No Medium が特別サイケさ溢れるアルバムなんだと思ってたんです。

そこへこれ。 隅から隅までサイケ。誰に聽かせてもサイケと云はれるぐらゐ明確なサイケ。 最高ぢゃねえか。 No Medium のサイケさは、 フォーク・ロックな樂曲に合ふサウンドを選んだ結果だったのか。

いやあすごいね憎いね。 この調子で、もっともっといろんなサイケを出してもらひたい。

IZ Band: Drop by Old Heaven Books

サイケデリック・ロックといへば、これもすばらしかった。 こちらは 3 人とは思へないほど高い密度の音とグシャグシャのノイズたっぷりなので、 さっきの Rosali と同じサイケ枠で紹介していいのかって感じではあるが、 これもまたサイケである。

リーダーの马木尔(Mamer) はカザフ出身のギタリストで、 IZ Band 以外にもソロ作品を Old Heaven Books からたくさん出してゐる。

ただ、おれが心惹かれたのはこのアルバムだけで、 これ以外のアルバムって、このアルバムみたいな鬼気迫る氣魄、みたいなのがないんですわ。 特に全篇インプロの disc 2!

サイケものを買はない年はないぐらゐのサイケ好きを自認してはゐるが、 結局、買ふのはいつものよく知ってる人たちばかりで刺戟は少なくなってしまってゐたから、 かういふ、どサイケ・ジャム・セッションみたいなのをやってるバンドが久々に發掘できて嬉しかった。 これ以外のアルバムもこんななら云ふことなしだったんだけど、なかなかそこまでうまくはいかないらしい。

まあ、ほかにゐないわけでもなからうが、 ロックを積極的に聽くつもりがもうあんまりないんですよね。 目新しさが全然ないんだもん。

しかし、こんなアルバム誰も知らんだろ、ぐらゐのつもりで書いたが、 The Wire の年間ベストに舉げられてるやんけ!  ちなみにこのリスト、 George Lewis の Minds in Flux の初演なんてのもしれっとリストに入れられてゐて (リリースがあったわけではなく、BBC の Proms で演奏されただけ)、さすが侮れない。 大體は知ってて聽いたアルバムばっかりだったからほっとしましたけど。

Oren Ambarchi: Live Hubris

このアルバムは、ちょっと反則といふか、 おれが實際に好きなのは、2016 年に發表されたスタジオ版の Hubris のはうなんですね。

もちろん、ライヴならではの迫力はあったりして、ライヴ版のこっちもいいんだけど、 面子が違ふんだよ!!! ライヴのはうは、おれの大好きな Keith Fullerton Whitman がゐない!!!!!

まあ、それは 3 曲目の話であって、1 曲目と 2 曲目はこっちのライヴ版のはうが好き。 ライヴ録音とは思へないぐらゐ音がいいし、演奏もかっちりしてゐて、 スタジオ版よりゴージャスな感じがするんですよね。 ハイライトである 3 曲目は逆なんだけど…。

それにしても、このアルバムが好きすぎて、 ライヴの樣子が 2 年前に YouTube にアップされたのも知ってて何度も聽いてゐたから、 まさかそれがアルバムとして出るとは思ってなかった。

Oren はよく來日してくれるので、ライヴを見るのは難しくないが、 さすがにこの人數を日本で集めてやるのは無理だよね。 やってほしいなあ。やってくれんかなあ。

Jim O'Rourke: MMXX-07 In All Due Deference

Jim O'Rourke は多作な人なので、 昔はせっせと集めてゐたが、近年は買ってゐないアルバムもそこそこある (bandcamp でリリースされ續けてゐる steamroom シリーズは全部スルーしてゐて、 その所爲でかつて自分が缺かさず集めるやうにしてゐた LP がデジタルで簡單に手に入るやうになってゐたのも知らなかった)。

それでも、一應はリリースを氣にしてはゐて、 誰とどんな作品を出したのか、聽いて、心のウィッシュリストに入れ、 大體は優先度がどんどん下がっていって放置してしまふ。

そんなだらしないファンであるおれでも、 一聽して買ふと決めたのがこれ。 片面のみ約 20 分の 1 曲だけで、 中身も電子音によるドローンだから、 O'Rourke のファンにとっては別に珍しいものでもなんでもない。

でも、かういふ作品って、もはや音が好みかどうかだからいいの。 Ellen Fullman の long string instrument のやうな金屬製の弦樂器を思はせる細くギラついた電子音がおれの好みにピンズドなんですわ。

Phew: New Decade

モジュラーシンセによる作品をけっこうな頻度でリリースするやうになった Phew だが、 やっぱり歌なしモジュラーのみのアルバムより、歌の入ったアルバムのはうがいい。 だって、モジュラーだけの曲は別に Phew ぢゃなくても聽けるからね。 正直、Keith Fullerton Whitman 追ひかけてればほぼ滿足なんですよね。

でも、歌が入ってるなら別の話。 それはもう、モジュラーによる作品ではなく、Phew の作品だから。 このアルバムが出たときにも書いたが、 モジュラーで描かれる世界と Phew の聲の溶け合ひっぷりが凄まじい。 Phew もモジュラーの流行りに呑まれてしまったか、なんて思って敬遠してるともったいないですよ。

Luminous 'Diamond Ben' Kudler: 0n The Existence of No Break Space

電子音樂では、これもよかった。 superpang がリリース 100 作品を記念して name your price でいろんなアーティストのライヴ・トラックをリリースしてくれてゐる中の 1 つ。

派手に暴れ囘るモジュラーがなんといっても最高。 やっぱりシンセものは莫迦っぽくあってほしい。 ほかのやつはこれほど激しくないのでスルーしてゐるのだが、 これは頭の惡さが氣に入って買ってしまった。 莫迦っぽい音といへば EVOL にとどめを刺すが、 どれもアシッドに仕上げてくる EVOL と違ひ、 こっちはアシッド要素なし! リズムもなし! 潔い。

David Tudor: Monobirds

よくぞ出してくれたと喝采を贈りたい。 David Tudor ですよ? 今さら、發掘されるものがあるなんて誰が豫想したらうか。 コンピなんかでもなく、Tudor 單體で、しかも電子音樂作品がリリースされるなんて、 2013 年の The Art of David Tudor 以來。

なに? Xenakis の生誕 100 年を祝ってボックスが出た? そんなことより Tudor だ (だって Xenakis のあれ、知ってる曲しか入ってないし…)。

電子音樂はおれの好きな音樂ジャンルトップ 3 に入る、かもしれないぐらゐ大好きなジャンルなのだが、 このブログで電子音樂のことはほとんど書いてゐない。 理由は單純で、電子音樂の魅力って、まるで文章にできないんですよ。 いや、ほかの音樂ならできてんのかって云はれるとできてませんけども。

いやでも、電子音樂の言葉にできなさ加減は群を拔いてゐて、 それといふのも、おれの好きな電子音樂ってのが、 近年のものではなく、もっと狭い定義の、要するにかつて現代音樂のサブジャンルだった電子音樂だから。 Xenakis にしてもさうだけど、知らなきゃ極惡電子ノイズの垂れ流しみたいなのばっかりなんだもん (もちろん、美しい作品だってたくさんある)。

Tudor は電子音樂の中でもライヴ・エレクトロニクスを主にやってゐた人だが、 ライヴ・エレクトロニクスなんて言葉はもう完全に廃れてしまった。 今や、リアルタイムで電子音を用ゐた音樂を生成するなんて、普通のことだからだ。

ただ、現代の、コンピュータなりシンセなりを使ったライヴと、 ライヴ・エレクトロニクスとの決定的な違ひは、 ライヴ・エレクトロニクスの人たちが、當然のこととはいへ、 電子樂器を自作してゐた、といふことである。

それ故、作曲家自身の個性も音に出やすく、 Tudor もその例に漏れない (Florian Hecker による Acid in the Style of David Tudor なんてアルバムもあるぐらゐ)。

Tudor の音でおれが好きなのは、丸みを帯びた太く暴力的な音なのだが、 このアルバムにはそれがたっぷり入ってゐる。 最近の電子音樂って、どれも整頓されたお行儀のいい音ばかりだが、 Tudor の音にそんな行儀のよさは皆無。 未加工の生の電子音、と云ったら全く矛盾してゐるし間違ひだらけの表現だが、 わかってゐてもさう云ひたくなるぐらゐに生々しい。

ライヴ・エレクトロニクスのいいところは、 それが誰かの用意した音ではない、といふところ。 Tudor の機械からは Tudor の音しか出ないし、 その音をほかの誰かが出すこともない。

近年、電子音樂は巷に溢れてをり、 Phew がインタヴューで「結局、いい音って金なんですよ」と云ってゐるほど (確かにどこかで見たはずなのに、ググっても全くわからない。サンレコの記事だったと思ったけどなあ)、 電子音は誰にでも手が届くものになってゐる(金さへあればいいわけだから)。

が、Tudor の時代は金をかけても解決できなかった問題である。 それを、自らの手で解決しようとした結果がライヴ・エレクトロニクスで、 だから、あの頃の電子音樂は、今よりもっと個性的な音に滿ちてゐた。

まあ、だからといって昔のはうがいいものが多かった、と單純なことにはならず、 現代にだってすばらしい電子音樂はたくさんある。 でも、電子音樂って音の好みにかなり左右される音樂ですからね。 Tudor の音が聽けるとなりゃあ、それが最高なのは當然なんですよ、おれにとっては。

Coil: Love's Secret Domain

再發で嬉しかったのはもう一つ、Coil の Love's Secret Domain 30 周年記念盤。 なのだが、これリリース状況がややこしくて、 もともとリリースしてゐた Wax Trax! が再發した盤と ロシヤの Infinite Fog が再發した盤 の 2 つがある。

大きな差としては、Infinite Fog 盤に多量の未發表曲およびデモが追加されてゐること。 Wax Trax! 盤は收録時間の都合上、オリジナルのアナログには收録されず、 CD にのみ收録されてゐたトラックがアナログにも收録されるやうになっただけで、追加トラックはない (CD にのみの收録曲すら入ってゐない、つまりオリジナル・アナログと同じ曲數のものもある)。

細かい差としては、この 2 つの盤のマスタリングが異なること。 Infinite Fog 盤は Martin Bowes が、Wax Trax! 盤は Josh Bonati によるリマスタリングが施されてゐる。

おれは Wax Trax! 盤のリリースに氣づかなかったため、うっかり Infinite Fog 盤を買ってしまったが、 ボーナス・トラックや沒テイクを嫌ってゐるので、知ってゐれば Wax Trax! 盤のみ買って濟ませたと思ふ。 Wax Trax! 盤は未だに買ふかどうか迷ってゐるが、まあそのうち諦めて買ふだらう。 Wax Trax! のはうがマスタリングの評判もいいし… (bandcamp のものも、24bit/96kHz のハイレゾ音源であるが、bandcamp ではレコードを賣ってくれない!)。

中身自體は、もう何度となく聽いたものなので、 今さら新しい感想もないのだが、 やっぱりインダストリアルな Coil のアルバムをもっと再發してほしい、といふ思ひは強まった。 去年末にリイシューされた Musick to Play in the Dark や 來年再發豫定(もう豫約した)の Musick to Play in the Dark2 みたいなアンビエントものもいいが、 もっと初期の Scatology とか Horse Rotorvator とか Gold is the Metal とかも聽きたいんですよ!!

Greta Lindholm: Rhythm Voice

ヴォイスものでよかったやつ。 ヴォイスものにもいろいろあるが、これは Meredith Monk 系列なので、 ヴォイスものなんてものが存在することすら知らない人でも樂しめると思ふ。

Meredith Monk との違ひは、聲以外の樂器がほぼ入ってゐないこと。 Meredith Monk はピアノをはじめとした樂器の入った曲が多いので、 ヴォイスものであるとともにミニマルピアノものだったりもするが、 こちらはほぼ聲一色。 おれは樂器があってもなくても樂しめるので、これは實によかった。

Charmaine Lee: KNVF

ヴォイスものといへばこちらも。

こっちは Meredith Monk ではなく、 Area の Demetrio Stratos なんかの實驗的な系統で、 聲といふより口や喉を樂器として使ふ音樂、といった感じ。

口や喉を使った音だけでなく、電子音も用ゐられてゐるので、 かつて吉田アミがやってゐたやうな音樂に近い印象を受ける (まあ、吉田アミのやってゐたことは全く別ではあるけれども)。

電子音はかなりノイズ寄りの音選びだが、 ハーシュといふほどではなく、ちょうどいい鹽梅でかっこいい。 最後のはうの曲なんかでは聲自體も加工して電子音と綯交ぜになっていく。 見事な音遣ひですわ。

さて、 出れば大體 1/2 ぐらゐの率で買ってゐる International Anthem のアルバムを 1 枚も舉げずに終はりにするのもなんだが、 まあ今年は別に新しいものがあったってわけでもないのでここらで終はりにしたい。 いつもの面々がいつもの通りよかっただけだ。

これは別に International Anthem に限ったことではない。 ただ、おれは基本的に新しいものを聽きたくて音樂を聽き續けてゐるので、 さういふのをここで擧げる氣にはなれなかった、といふだけで、 いいアルバムはほかにもたくさんあった。 さういふのはまあ、また折に触れて紹介していきます。

では皆樣、よいお年をお迎へください。