When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Lawrence Lessig: Code

めちゃくちゃどうでもいいことだが、おれは文法ファシストである。 といっても、せいぜい友人の誤用を指摘する程度で、 ネットで多々見かける誤用には、そのたびに嫌な氣分を味はひつつも、 いちいち文句をつけに行ったりはしない、穩健派ファシスト(?)だ。

ただ、「言語は變化するものだから」とこちらに誤用を容認するやう云ふやつらには腹が立つ。 言語が變化するものであることは事實だし、それを否定するつもりはない。 「變化するもの(だから諦めて誤用を受け容れろ)」との主張に腹が立つのは、 結局、それが自身の怠惰の言ひ訳でしかないからである。 大體、さう云ふやつらは、 別に變化を受け容れてなんかゐない。

なに? 自分はバンバン誤用して變化してしまったあとの言葉を使ってゐるって?

そんなのは、受容とは云はないのだ。 變化を受容するとは即ち、變化前のものも變化後のものも等しく扱ふことだ。 變化後だけを好むことの、何が受容か。 變化を受け容れると云ふなら、君たちの大好きな言語の變化を如實に示してゐる古文をもっと愛し給へよ。 變化受容派の君たちにとって、古文なんて樂しくて仕方ないものだらう?

さて、だいぶ前の本だが、ローレンス・レッシグの書いた『CODE』といふ本がある。 ネットでの規制について書かれた本なのだが、 規制についての一般的な議論にも流用できる、 非常に示唆に富んだ面白い本だ。

この本の中で最も印象的なのは、さうした規制、 つまり「人間の行動を制限するもの」としてレッシグが舉げてゐる 4 分類、 「法律、道徳、市場、コード(アーキテクチャ)」だ (餘りに印象的すぎて、この本を讀んだ人は大抵 「うーむ、これは 4 つのどれに該当するかな」などと考へる癖ができてしまふほど)。

法律が人間の行動を制限するのは誰もが知る通り。 道徳は、例へば電車の座席を必要以上に占據しないといったものだ。 市場による規制とは、例へば煙草の價格を引き上げることで喫煙を制限するといったこと。 最後のアーキテクチャによる規制とは、そもそもさういった行動ができないやうに場を構築することで、 上の例に合はせるなら、電車の座席に溝や柱をつけることであったり、 喫煙スペースを設け(てそれ以外の場所では吸えないやうにす)ることであったりする。 IQOS のやうに、1 本吸ったあとはしばらく吸へない機械を作るなんて方法もある。

このうち、恐ろしく強力なのは、もちろんアーキテクチャによる規制である。 法律は罰則さへ無視すれば破れるし、道徳だって白い目で見られることを氣にしなければ無視できる。 市場による規制は、餘分に金がかかるだけだ。 しかし、アーキテクチャによる規制は、そもそもさういった行動ができないことが多い。

ちなみに、レッシグがこの本でコードとアーキテクチャを同じやうな意味で使ってゐるのは、 この本がネット上、サイバー空間の問題を論ずるものだからだ。 インターネットといふのは完全に人工的な空間で、コードが基幹になってゐるから、 コード=アーキテクチャと云ってしまっていい (逆に、この議論を一般化する場合、アーキテクチャといふ語を使ふのが適切であらう)。

そして、インターネットは現實よりもずっとアーキテクチャによる規制が容易だ。 なぜなら、ネットはそもそもがコードで構築されたものだからだ。 ちなみに、現實をアーキテクチャでガチガチに規制した世界を描いた小説もある。 伊藤計劃『虐殺器官』だ。 小説を讀むのが好きで、伊藤計劃を讀んだことのない人がゐたら、 だいぶもったいないことをしてゐるから、死ぬ前に讀んだはうがいい。

閑話休題。 さうした時代をどのやうに生きていくのか、といふのがこの本の肝なのだが、 まあそれは實際に自分で讀んでいただきたい。

ところで、「ふんいき(←なぜか変換できない)」ってネットスラングがありますよね。 この「変換できない」はまさにアーキテクチャによる規制である。 變換させないことで、間違った言葉の使用を規制してゐるわけだ。

「誤用だ、誤用だ!」と時代劇よろしく叫ぶ文法ファシスト過激派たちは、 これをもっと推し進めるべきだと思ふ。 誤用を許さない變換ソフトを作って、その普及活動を行ふのだ。

「こそく」と打ち込むたびに「その場しのぎ、の意。卑怯、ずるいといった意味ではない」と表示され、 「かんがみる」と打ち込むたびに「手本や先例と比較對照して考へる、の意。考慮に入れるといった意味ではない」と表示される。 「すべからく」と打てば「當然すべきである、の意。すべてといふ意味ではない」、 「しきいがたかい」と打てば「バツが惡く訪れにくい、の意。ハードルが高いといふ意味ではない」と表示される。 「やくぶそく」は「力量に比べて、役目が不相応に軽いこと。朝飯前。力不足の對義語」と表示し、 「やくしゃぶそく」は變換できないやうにしてこの世から驅逐しろ。 そんな變換ソフトを作るはうが、他人に文句をつけるよりよっぽど効果的ではないか。 どんどん言語を硬直化させていけ。

おっといかん、つい語氣を荒らげてしまった(「あらげる」は變換不可能にしろ)。

でも實際問題、それを不可能だと一笑に付すことはできない時代になってきてゐると思ふ。 歴史上初めて、文法ファシストが勝利できる時代になったのだ。 今ここでがんばらずして、いつがんばるといふのか。 立ち上がれ、世の文法ファシストよ!

CODE VERSION2.0

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