When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Eleh

ドローンといふ言葉が人口に膾炙して久しい。 誰もが知るやうになったドローンとは、宙を飛び囘る小型機械のことだが、 おれにとって、ドローンとはずっと昔から音を長く引き伸ばす音樂のことであった。

ドローンとは、そもそも蜂の羽音のことである。 蜂に由來するのが無人航空機であり、 羽音に由來するのが音樂のはうだ。

とはいへ、實際の蜂の羽音といふのは、それほど大きなものではない。 持續的で忌々しい羽音といへばやはり蚊や蠅である。 少し昆蟲について学べばわかることだが、 蚊や蠅は羽が 2 枚しかなく、後翅は 退化したのだか進化したのだか知らないが、 平均棍と呼ばれるものに變化してしまってゐて、 これを持つ双翅目に屬する昆蟲が不快な音を出す。

翻って、ドローンといふのは、大抵は音の響きの氣持ちよさを探求したものである。 ジャンル名が蚊や蠅の出す羽音といふ意味でないのはたまたまであらうが、 喜ばしいことだ (蚊を意味するモスキート音が、若者を街から追ひ拂ふための 不快な音に當てられてゐるのだから、たまたまといふわけではないのかもしれない)。

さて、しかし、一口にドローンと云ってもいろいろなものがある。 おれはそれを、「軟派なドローン」と「硬派なドローン」とに大別してゐる。

何が軟派で何が硬派なのか、といふことは 少し文脈は異なるが、Jim O'Rourke がわかりやすく語ってゐるので、それを引用しておかう。

ようするに、本当に多くのアンビエントの作品がメジャー・セブンス・コードで、 ハーモニーが重要視されているものばかり ──つまりどうやってそれでハーモニーを生みだすかを考えているものばかりだったわけです。 あとは、メジャー・ナインスもすごく多い。 パーフェクト・フィフス以外では、アンビエント・ミュージックのなかで、 このふたつがハーモニーをかたちづくるもので、 それをつかってどうやってハーモニーを作るかが、アンビエントの問題だというわけです!  私としてはむしろ、倍音に近いものを生みだしたかったので、ハーモニーは欲しくありませんでした。 ドローン風のやり方の場合、本当に問題になるのは倍音で、ハーモニーではないからです ──とはいえ、こういうことは制作を進めながらその場で気づいていったことですけどね。 interview with Jim O’Rourke 私は音楽を楽しみのために作っているわけではありません(笑)

ここで O'Rourke が云ってゐる「どうやってそれでハーモニーを生みだすかを考えているもの」 のことを、おれは「軟派なドローン」と呼んでゐるが、 O'Rourke はそれをドローンと看做してすらゐない。

ハーモニーを重視するドローンは、極めて退屈である。 平均律といふ、どうしたって調和しやうのない調律を疑ひもせず、 既知の安易なコードを響かせることに腐心するのみで、 音への探究心などは微塵もない。

例へば、おれが唾棄すべきユニットだと思ってゐる Stars of the Lid なんかが、その典型である。

The Tired Sounds of Stars of the Lid とはよく云ったもので、 ありふれた、實に退屈なアンビエント・ドローンである。

しかし、おれが「硬派なドローン」と呼ぶやうなドローンが發表されることはどんどん減り、 新譜が出たとしても、昔からドローンをやってゐた人間の出すもの、 といふ状況が長く續いてゐた。

Eleh のデビューは、さうした「硬派なドローン」が 細々と命脈を保つのみになって久しい、2006 年のことだった。

Eleh のデビューアルバムは鮮烈であった。

この色氣のなさ!  ぶっきらぼうで、愛想がなく、 聽きたいやつだけが聽けばよい、 と云ってゐるかのやうな突き放し方。 これがドローンである。

幾何學的な模樣のジャケットも、 音樂の硬質さに合ってゐて趣深い。

そんな Eleh のデビューは、 ドローン業界では大きなインパクトがあった、と思ふ。 事實、デビューからしばらくの間は、 アルバムが發表されるや否や賣り切れる、 といふ状況が續いてゐたし、 一時期はプレミア価格で中古が取引されてゐた。

Eleh は、デビューから一貫して、 電子音によるこのやうな素っ氣ない音樂を發表し續けてきた。 これが硬派でなくて、何が硬派か。

しかし、そんな Eleh も近年はアルバムの發表ペースが落ちたし、 デビューして數年はアナログでのリリースに拘ってゐたが、 今は CD や bandcamp で買ふこともできるやうになった。

古くからの Eleh ファンとして、 さうした在り方は寂しくもあるが、 そもそも、ドローンなどといふのは バリエーションに富んだ音樂ではない。

Eleh はもう、やるべきことをほぼやってしまったのであって、 リリースが少なくなってしまったり、 マスターテープを賣るなどといった奇策に出たりするのは、 やむないことだと思ふ。

それでもなほ、Eleh はドローンの歴史において記憶されるべき存在である。 Eleh を知ったときの歡びは今でも忘れやうがないし、 これまでのリリースが色褪せたわけでもない。

Eleh よりあと、新たなドローン作品を出すやうなユニットは出てきてゐないが、 もしさうしたものが出てきたとしても、おれは Eleh に敬意を拂ひ續けるだらう。