When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Jimi Hendrix

f:id:nomoneynohoney:20220124000244j:plain

自覺してゐる惡癖のひとつに、「己の中で結論が出てゐる話を他人に疑問の形でふる」といふのがある。 素直に結論だけ話せばいいのに、話のとっかかりとして、つい「××ってどう思ふ?」みたいに訊いてしまふのだ。 でも、その疑問は形だけで、己の中で既に結論を出してゐることだから、 相手がなんと云ったところで、結局は自分の考へをひけらかしたいだけなのである。 惡癖だとわかってゐるのだが、ついやってしまふ。

ジミヘンこと Jimi Hendrix についてもさうで、 友人と「ジミヘンのすごさについて話さうぜ」と約束してゐるのだが、 これもおれの中では既に結論が出てゐる話で、 この約束がいつ果たされるのかはさっぱりわからないが (なんたって、「飯喰はう」と云って 10 年以上食べずにゐたら、友人はロンドン勤務になってしまった!)、 惡癖とわかってゐることを繰り返すのも莫迦らしいし、 先にここでおれの結論を開陳してしまはう。

まあ、結論そのものは大したことぢゃない。 Jimi Hendrix がすごいのは、彼がエレクトリック・ギターといふ樂器の演奏に、 コペルニクス的轉囘を齎したからである。

そもそも、なぜ Jimi Hendrix のすごさ、なんてのを話題にしようと思ったか。 それは、Jimi Hendrix のすごさってなんなの?と思って調べても、 日本語では碌な情報が出てこないからだ。

特に嘆かはしいのは、Jimi のすごさを、演奏技術の高さと勘違ひしてゐる例があること。 これは、要するに、自身が技術偏重主義であると云ってゐるやうなもので、 正直、めちゃくちゃ見識狭いっすね、としか云へない。

だって、冷静に考へてみてほしい。 ロックギタリストでランク付けすると不動の一位になるやうな人が、 ただギターがうまいだけ? んなことある?  Jimi が亡くなってもう 50 年以上も經ってるのに、それよりうまい人が今まで出てきてないの?  それとも、Jimi よりうまい人はいっぱいゐるのに、不動の一位なの? ありえんでせう。

中には、唄ひながらあんなギター彈けない、と云ふ人もゐて、これには笑ってしまった。 だって、Jimi が唄ひながら彈いてゐるのは、大抵の場合リフか、自分で唄ってゐるメロディそのものである。 自分が彈いてゐるフレーズをその儘唄ふ人は Jimi 以外にもゐる。 ギタリストには詳しくないが、Glenn Gould や Keith Jarrett のやうにピアニストなら珍しくない。 まさかピアノでは簡單だがギターでは難しい、なんてこともあるまい。 Miles Davis が自身のバンドを電化した際、ギタリストに「ジミヘンのやうに彈け」と要求したのは有名だが、 なんですか、Miles Davis がまさか彈きながら唄ふことを望んでたとでも云ふんですか。 電化してすぐ Keith Jarrett をキーボードに迎へたのも、 共演した人物の中で Keith Jarrett を最も高く評價してゐるのも、 彼が唄ひながら彈ける人だったからだってんですか。んな莫迦な。

とまあ、ちょっと腦味噌を働かせることがができれば、Jimi の評價が技術を理由とするのでないことはわかる。 なのになぜ、Jimi のすごさがいまいち理解されてゐないのか。

それは、先にも書いた通り、Jimi の功績がコペルニクス的轉囘だからである。

コペルニクスの偉大さは地動説を唱へたことにあるわけだが、 現代の世の中で地動説を唱へても、偉大だとは看做されない。 地動説はもはや當然のものであり、天動説を唱へるはうがアホ呼ばはりされる世の中だからだ。

Jimi がやったことは、それと同じだ。 現代のエレクトリック・ギターによる演奏は、Jimi によって確立されたと云ってよい。 ただ、エレクトリック・ギターの演奏方法における天動説がどのやうなものだったのかを知る人がほとんどゐないため、 Jimi の功績はわかりにくくなってしまってゐるのだ。

今、エレクトリック・ギターの演奏方法における天動説といふ言葉を使ったが、 實際に天動説に相當するものがあるわけではない。 Jimi がその奏法を確立するまで、 エレクトリック・ギターといふ樂器は、ただ大きな音が出せるギターでしかなかったのだ。 元祖ロックンローラー Chuck Berry の演奏をご覧いただきたい。

これは Jimi Hendrix が歿したあとの演奏だが、 Chuck Berry の演奏も、ソロを彈く Keith Richards の演奏も、だいぶかはいいものだ。 この二人の演奏に、エレクトリック・ギターでなければできないことはほとんどない。

翻って、最初に貼った Jimi の演奏を見てほしい。

わかりやすいのは 1 分 15 秒ぐらゐからの演奏で、 なんと、Jimi は弦を彈いてゐない。 全く彈いてゐないわけではないが、 大部分はトレモロアームと指板を抑える動作だけで、音を變化させてゐるのがわかる。

これは、微細な弦の振動の變化を増幅するピックアップが備へつけられたエレクトリック・ギターでなければ不可能な演奏である。

あるいは、終盤 3 分の演奏。 これはフィードバックと呼ばれる演奏技法だが、 フィードバックといふのは要するにハウリングのことだ。 スピーカーから出た音をマイクが拾ひ、その音がスピーカーに轉送されて再びマイクが拾ふ、 といふ無限ループによって生じるノイズであり、 それと同じ現象がギターのピックアップとスピーカーの間で生じてゐるだけだ。

だから、これは紛れもなくノイズであり、普通なら避けるべき音である。 しかし、Jimi はそれを積極的に自身の音樂の一部とした。 Lou Reed は音樂を「人間によってオーガナイズされた音」と定義してゐたが、 その定義に從へば、Jimi がフィードバックといふノイズを音樂にしたのである。 Lou Reed が Metal Machine Music なんて一大フィードバック繪卷を作れたのも、 Jimi がフィードバックをオーガナイズしてくれたからなのだ。

フィードバックのやうに派手なものだけではなく、 日本ではライトハンド奏法ばかりが有名なタッピング、 日本ではチョーキングと呼ばれることの多いベンディング(あるいは單にベンド)といったお馴染みのテクニックも、 一般的にしたのはやはり Jimi である。

それらの技術は、別に Jimi によって發明されたわけではない。 Jimi が使ふよりずっと前から存在してはゐたのだが、 それらすべてを貪欲に取り込み、 ちょっとした賑やかしではなくエレクトリック・ギターならではの奏法として大胆に使ひまくったのは Jimi が初めてであった。

Jimi の演奏は、謂はゞエレクトリック・ギター演奏の博覽會であった。 エレクトリック・ギターが、單に大きな音が出せるギターではなく、 アクースティック・ギターとは別の、エレクトリック・ギターといふ樂器であることを示した。 それが、Jimi Hendrix といふギタリストの、偉大な點なのだ。

だから、Jimi のすごさは、今 Jimi のアルバムだけを聽いても全くわからない。 Jimi の演奏は、今では當たり前の演奏でしかないからだ。 でも、それは今さら地動説を學ぶことに意味がないのと同じだ。 そして、だからこそ、Jimi の偉大さは今でも全く損なはれず、不動の一位なのである。

とまあ、これがおれの考へる Jimi Hendrix のすごさだ。 英語でググれば、同じやうなことを書いた記事はいくらでも見つかるので、 特に間違った主張でもあるまい。 皆さん、明日から知った風な顏して語りまくっていいですよ。