When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Lorenzo Senni: Scacco Matto

Lorenzo Senni の名前を知ったのは 2011 年のことだったと思ふ。 おれの好みのアルバムが何枚か同じレーベルから出てゐて、 それが彼の運營するレーベル Presto!? だったのだ。

おれが Presto!? の存在を知って間もなく、Lorenzo Senni のファースト・アルバム Dunno が Presto!? からリリースされた。 冒頭に貼った、ハリボテのアンプを背に演奏するミュージシャンの寫眞に「しりません」とキャプションのついたポスターは、 このアルバムがリリースされた際の日本ツアーのものだ(dunno は don't know のこと)。

このアルバム自體はそれほど新奇な音樂といふわけでもない。 コンピュータを用ゐた電子音樂でありつつ、 Presto!? からもリリースのある EVOL のやうな、 間拔けなシンセの表現を取り込んだ、 なるほど Presto!? の主宰として相應しい音樂で、 おれはかういふ頭の惡い裝ひをした電子音樂が大好きなので、 それ以來、Lorenzo Senni の動向と Presto!? は氣にするやうになった。

セカンド・アルバムの Quantum Jelly は 2012 年に Editions Mego からリリースされた。 このアルバムは、現在まで續く Lorenzo Senni の音樂性を理解するには缺かせないアルバムだ。 面白い音の入った實驗的電子音樂だったファーストとは全く違ひ、 彼のトランスを分析した、「點描的トランス」と呼ばれる作品が初めて世に出たアルバムだからだ。 トランスを徹底的に煮詰め、最小限の要素のみで表現したやうな曲が目白押しで、 音樂的には Pan Sonic や池田亮司に近いものも感じる。

2014 年に Boomkat から出た Superimpotisions は ストイックですらあった Quantum Jelly に比べ、 一曲で使はれる音の種類が大幅に増え、曲のヴァリエーションも豊かになった。

それでも、前作と同じくリズムはあってもビートはないし、 トランスがトランスと呼ばれる所以であるトリップ感も全くない。 音が増えたとはいへ、アルバム全體の氛圍氣はまだまだ實驗的あるいは研究的で、 一部では高く評價されてゐたが、それだけだった。

Lorenzo Senni のことが廣く知られるやうになったのは、 2016 年以降に Warp から EP やシングルを出すやうになってからだ。 Warp といへば、90 年代から今に至るまでテクノ系のレーベルではトップといへるレーベルである。

待望のアルバムが出たのは 2020 年で、 前作から 6 年もかかったわけだが、 それも納得の凄まじいアルバムになった。

それが、Scacco Matto である。

1 曲目の變拍子からもうたまらないが、 アルバム全體から、これまでのアルバムにはなかった要素が感じられるところが最大のポイントだ。 さう、樂曲のポップさである。

前作までの實驗的要素が消えたのかといへば、そんなことはない。 しかし、アプローチの方法および向きは全く變はったと云へる。 すなはち、これまでがトランスの基礎研究だったのに對し、 このアルバムはその應用、これまでに得たトランスの各要素を用ゐてどんなものが作り出せるか、 といった實驗になっているのだ。

Senni はドラッグをやらない人なので、 トランスをやってゐても、曲はどれも透徹した眼差しによって貫かれてゐて (Senni 本人は「レイヴの覗き見、と稱してゐる)、 トリップ感はなかった。

だが、このアルバムは初めから終はりまでずっと心地よい音が、心地よいタイミングで入ってくる。 かうした電子音中心の音樂は、音の好みや心地よさが聽く上での大きな動機になる。 これまでの Senni のアルバムで、さうした要素はあまり顧みられてゐなかった。 それがより、このアルバムの洗練具合を示してゐる。

アルバム・タイトルの Scacco Matto とは、 イタリア語でチェックメイトの意味らしく、 どこまでポップにできるかといふことの追求がチェスの感覺に近かったから、といふのが Senni の言だが、 アルバムを聽いてゐると、それだけでなく、このアルバムがこれまでの集大成であり、完成形であるからこそのタイトルではないか、 とも思へてくる。

Senni のトランスを巡る旅はこれで一旦終了かもしれない。 しかし、AxCx をもじったロゴや、曲名にもたびたび現れるストレートエッジのシンボル X、 また、Presto!? での目利きのすごさ(Palmistry や Gábor Lázár を 2013 年の時點でリリースしてゐる)を見ると、 Senni の音樂はまだまだこれだけに留まらないだらう。 これから先、どんな音樂を聽かせてくれるのか、實に樂しみである。