When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Frank Zappa: The Hot Rats sessions

おれは全く興味がないので年が明けてから知ったのだが、 昨年の紅白歌合戰には AI による美空ひばりが出場したらしいですね。 唄ってゐる樣子自體は YouTube で見られるのでおれも見たが、 いや立派なもんぢゃないですか。 死者への冒瀆だ、なんて聲もあったやうだが、おれはそんな風には感じなかった。 もっとひどいのを知ってるからだ。

これは、同じく昨年行はれた Frank Zappa のホログラムツアー、 The Bizarre World of Frank Zappa の録畫だ。 この質の低さ!

ホログラムといふぐらゐだから 3D なのだらうと思ってゐたら舞臺中央に設置されたスクリーンに過去の FZ の録畫が映るだけ。 メンバーはそれに合はせて演奏するだけ。 上の映像では FZ 本人が映ってゐるが、クレイアニメによる FZ だった場面もあるらしい。 3D の FZ もあったらしいが、ほんの少しだけだったとのこと *1

これに比べて、美空ひばりはどうです。 きっちり 3D だし、過去の録音ではなく、遺された歌から美空ひばりの歌を學習し、 新曲を唄ってゐる。 これは竝大抵の仕事ではありませんよ。 美空ひばりへの敬意がなければできない仕事だ。 冒瀆だなんてとんでもない。

一方、ホログラム FZ には敬意もなんにもない。 いや、演奏に參加したミュージシャンたちにはあっただらう。 でも、このツアーを主催した FZ の息子 Ahmet Zappa は自分の父親のことを金稼ぎのための道具としか思ってないのではないか?  そう思へるぐらゐ、あのホログラムツアーは杜撰な仕上がりだ。

そんな Ahmet Zappa が骨肉の争いを經て取り仕切るやうになった Zappa Family Trust から昨年リリースされたアルバムの 1 つが、 The Hot Rats sessions である。 1969 年に發表された傑作 Hot Rats 時の録音を集めたもので、 なんと CD 6 枚組、未發表だった寫眞やボードゲームがついてお値段なんと 2 萬圓。 アホかよ。 とてもぢゃないけど買ふ氣しねーから Spotify で聽いたったわ。 いやー、メジャーレーベルだとかういふのがありがたいね。 何度も聽きたいもんでもないし。

昨年はこれ以外にも Zappa in New YorkOrchestral Favorites の 40 周年記念盤、 前に紹介した超名盤 Roxy & Elsewhere の少し前に録音された Halloween 73(マスクとコスチュームつきの 4 枚組)なんかがリリースされてゐるが、 變なおまけをつけて値段を上げる商法やめてほしい。 なんだよ、Halloween 73 のお面は! 要らねーよ!  面子が面子だから買はうかと思ったけどやめたわ!  Orchestral Favorites はおまけなしの良心的價格だったのに。

さて、それらが未發表ライヴ音源を目玉にしてゐるのとは違ひ、 The Hot Rats sessions にそんなものは一切ない。 Hot Rats が完成するまでに録音されたものがずらーっと入ってゐるだけ。 完全にマニア向けである。

これを聽いてゐると、かつての Miles Davis のボックス群を思ひ出す。 特定の時期あるいはアルバムに焦點を當て、その録音をすべてボックスに詰めて賣ってゐたあれだ。 これがねえ、要らないんですよ。

なぜ要らないのかって、理由は單純。おまけとして多量の沒テイクが收録されてゐるからだ。 聽けばわかるのだが、沒テイクといふのは、やっぱり沒になる理由があるのだ。 そんな、切り捨てられたものを聽いて喜ぶのは、不健全ではないか?

Jim O'Rourke のインタヴューを引用しよう (まあこれはこれで、ゲーム用語で云へば効率厨みたいな考へ方なのかもしれないが)。

〈私はポップスが好きなのでそのジャンルをとことん聴きます〉みたいな考え方が本当にわからないです。ロックンロールが好きな人が、〈ダメ〉なロックンロール音楽まで聴こうとするとか。もちろん自分もロックンロールは好きだけど、すべてのロックンロールが素晴らしいわけじゃないですし。私は素晴らしいものと……まあまあのものを聴く(笑)。なぜ〈ダメ〉なものまで聴くのかわからないです

この The Hot Rats sessions もそれと同じだ。

もちろん、面白い瞬間がないわけではない。 後に Burnt Weeny SandwichWeasels Ripped My Flesh に使はれる録音や、 Chunga's Revenge 收録の Twenty Small CigarsHot Rats から約 10 年後にリリースされる Studio Tan 收録の Lemme Take You to the Beach が既に録音されてゐることなどは興味深いし、 基本的にギター、ピアノ、ベース、ドラムとヴァイオリンしか入ってゐないシンプルなトラックを聽いて、 改めて實感できる Ian Underwood の活躍っぷりもすごい。

何より驚くのは、FZ が切り捨てたものの多さだ。 これだけみっちり録音しておきながら、 FZ は不要なものを容赦なくバッサリと切り捨ててゐる。 自分のギター・ソロだらうと、不要であれば削ってゐるのだから、その徹底ぶりはすごい。

例へば、おれの大好きな The Gumbo Variations といふ曲は、 このセッション集には Big Legs といふタイトルで收められてゐるのだが、 これはなんと 32 分 42 秒もある。 一方で、發表された The Gumbo Variations は 12 分 53 秒だ。 つまり、FZ は録音されたもののうちおよそ 20 分をカットしてゐる。 しかも、そのカットされた部分にはたっぷり FZ 自身のギター・ソロが入ってゐるのだ (舊版の CD に收録された 16 分 55 秒のヴァージョンでギター・ソロがそこそこ復活した)。

同樣に、このセッション集には 12 分 45 秒のテイクが收録されてゐる Lil' Clanton Shuffle も、 後に The Lost Episodes で發表された際には 4 分 47 秒まで切り詰められてゐる (この曲のギター・ソロは Johnny Guitar Watson からの影響がよくわかるべんべけギターなので、カットされたのはちょっと惜しい)。

當然、切り詰めるばかりではない。 Hot Rats に收録された曲ではないが、 Burnt Weeny Sandwich のハイライト The Little House I Used to Live in がいかに見事に切り貼りされて作られてゐたのかといふことが、 このセッション集で垣間見える。

問題は、さうしたすごさを感じられるのが一瞬だけで、 あとはその多量の切り捨てられた部分で埋められてゐる、といふことだ。 FZ のすごさを再確認することはできる。 でもそれは再確認でしかないし、 そのために何時間もの時間を使ふ必要は今さらない。 このセッション集を買ふ(あるいは興味を持つ)やうな人間なら尚さらだ。

冒頭に AI の話を書いたが、 FZ を AI で再現するのは、まあ難しいだらう。 なぜなら、彼はギタリストであり、(大したことのない)ヴォーカリストであり、作曲家であったわけだが、 「録音」を最大限に活用した人だったからだ。 FZ のやうな作品を創るには、何よりスタジオでの編集作業が必須である。 そのためには、膨大な録音と、發表された成果から FZ の編集技術を學ばせなくてはならない。

70 年代後期以降の、ほとんど完璧に譜面でコントロールされてゐただらう時期の作品なら、AI にも可能かもしれない。 しかし、おれが最も愛する 70 年代中頃までの、 プレイヤーによるアドリブ部分が多かれ少なかれ作品に影響してゐた頃の FZ の作品は、 FZ 一人によるものではないが、FZ なくしてはできなかったであらうものであり、 さうした複數人の作用を AI が再現するのはまだまだ時間がかかるだらう。

しかし、それは別に不可能だといふことではない。 いずれ、AI はあらゆる人間の創作物を模倣し、 その作風による新しい作品をも生み出せるやうになるのではないか。

おれが生きてゐる間に實現されさうもないのは殘念だが、 されたらされたで、面白いことなのか空恐ろしいことなのか、判らない。

SF ファンなら誰もが知ってゐる「生命、宇宙、そして萬物についての究極の疑問の答へ」は「42」だが、 一體なぜそれが答へなのか、どういった計算を經て辿り着いたのか、さういったことはわからない。

それと同じで、AI が美空ひばりを、あるいは FZ を完全に模倣できたとして、 それは表面上のことであり、なぜそれを美空ひばりだとわれわれが感じるのか、 なぜ FZ はさうした作曲の仕方をするのか、さういったことはわからない。

しかし、われわれが知りたいのはまさにそこなのだ。 だから『銀河ヒッチハイク・ガイド』のハツカネズミたちは、 それを知るために地球といふ名の、大きすぎて惑星に間違へられるコンピュータを作った (しかも計算が完了する 5 分前に間違って工事で破壊されてしまふ)。

とはいへ、そんなさながら哲學的ゾンビのやうな AI の作品であったとしても、 沒になったテイクなんかよりはずっといいものを生み出せるだらうし、 そもそも、普段われわれは音樂がどのやうにしてできあがってきたか、 などといふことはほとんど氣にせず、音樂を享受してゐる。

Ahmet くん。 おまへも FZ の息子なら、 しょぼい技術や工夫もなにもない墓荒らしで金稼ぎに邁進してないで、 それぐらゐのことをしてみなさいよ。 まあ、Dweezil がやってることも五十歩百歩だとは思ふけど。

あ、この記事、貼ってある動畫が最初のひどいやつしかない!  さすがにあんまりなので、Hot Rats から 1 曲。 いやしかし、このアルバムから 1 曲って難しいな。 上にタイトルを出した The Gumbo Variations にしとくけど、 6 曲全部すばらしいからどうせなら全部聽いてね。

Hot Rats

Hot Rats

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