When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Johnny Cash: American Recordings

Johnny Cash が好きである。

アメリカならば誰もが知る偉大な歌手であるが、 カントリーといふ音樂は、日本に住む人間にとっては、 それほど馴染み深いものではない。 日本でいふ演歌のやうなものだからだ。

Johnny Cash は、そのカントリー歌手の中でも 五指に入るほどのアーティストである *1

とはいへ、Johnny Cash の全てがすばらしい、とは云へない。 Motörhead の曲はどれも Ace of Spades變奏曲でしかない、 と云った友人がいたが、 Johnny Cash もほとんどの曲は Ring of Fire變奏曲である。

だが、現在 YouTube で Johnny Cash と検索して一番に出てくるのは、Hurt である。 曲名でわかる人もいるかもしれない。 さう、これは Nine Inch Nails の曲のカバーだ。

この曲に限らず、晩年の Johnny Cash はカバーを多く録音した。 そして、大御所とは思へぬペースで作品をリリースした (本來、大御所といふのは一線を退いた人間に對して使はれる言葉である)。 カントリーの世界で、既に確固たる名聲を築き上げてゐた Cash は、 60 を超えてから、更に新たな境地へと達したのである。

確かに、原作者である Trent Reznor をも涙させたといふ Hurtビデオクリップはすばらしい。 ただでさへ後ろ向きの暗い曲なのに、 Cash の若かりし時代と老いてからの姿が對比される映像も相俟って、 Cash 晩年の最高傑作になってゐることは否定しない。 しかし、どうせならこの時期の他の曲にも耳を傾けてほしいのだ。

この時期のアルバムからどれか 1 枚と云はれれば、 おれはまづ生前最後のアルバムとなった The Man Comes Around を推す。

先ほどの Hurt が収録されてゐることもあるが、 Cash オリジナルの 1 曲目が實にいいし、 最後が明るい We'll Meet Again で締められるのも嬉しい。

これ以前の 3 枚の American シリーズに比べ、 圧倒的に知名度の高いカバー曲も収録されてゐるがSimon & GarfunkelBridge Over Troubled WaterThe BeatlesIn My Life)、 それはいまいち。 特に、Bridge Over Troubled WaterFiona Apple の歌は邪魔ですらある。 變な音程で個性を出すぐらゐなら綺麗なコーラスをつけてほしいものだ。 有名曲、とまで云へるかどうかはわからないが、 The Eagles のカバー Desperado はなかなかよい。 Don Henley 本人がコーラスを添えてゐるのも嬉しい。

カバーですばらしいのは、StingI Hung My HeadDepeche ModePersonal Jesus だらう。 特に後者はギターの John Frusciante もさることながら、 ピアノの Billy Preston(さう、あの Billy Preston だ!) が最高である。 ボリュームとしては控へ目でそれほど目立つわけではないが、 どうすれば曲が引き立つかを完全に理解した燻し銀のプレイが冴え渡ってゐる。 オリジナルや Marilyn Manson のカバーでは リズムを跳ねさせることで獨特の艶っぽさを表現してゐたが、 Johnny Cash のバージョンでは平板なリズムになっており、 Billy Preston のピアノがそれに非常にマッチして、 オリジナルとは違った渋く落ち着いた氛圍氣を出すことに成功してゐる。

Hank WilliamsI'm So Lonesome I Could CryNick Cave や Mike Campbell が参加してゐる割に アレンジも演奏も凝ったものではないが、 Cash にとって偉大な先輩であったことは間違ひない Hank Williams に對する 思ひが込められてゐるやうなヴォーカルが味はひ深い。

American シリーズで他に有名なものといへば、 Call of Duty の Mob of the Dead で使はれた Soundgarden のカバー Rusty Cage あたりだらうか。 おれは Soundgarden を聽かないので知らなかったが、オリジナルとは全然違ふ。 American シリーズの 2 枚目 Unchained に収録されてゐるのだが、 このアルバム、1 曲目は Beck である。 しかも、Stereopathetic Soulmanure といふマイナーなアルバムに収録された Rowboat といふ、マニアしか知らないやうな曲だ (全くどうでもいいのだけれど、 Beck のそのアルバムには、おれの ID の元ネタになった曲も入ってゐる ――金がないならまんこはさせねえ、といふ意味である)。

總じて、Cash のカバーは元と違った氛圍氣に仕上がってゐるものの方がよい。 U2 の OneNick CaveThe Mercy Seat などは 元が餘りにすばらしすぎて、Cash のバージョンはそれほど感銘を受けない (特に Nick CaveLive from KCRWThe Mercy Seat といったら!)。

實は、この時期の Johnny Cash の概觀を知るのに打ってつけな Best of Cash on American といふベスト盤があるのだが、 なんとこれはマニア向けのボックス Unearthed にしか入ってゐない。 一體、Rick Rubin は何を考へてマニア向けボックスにベスト盤をつけるなどといふ 愚行を犯したのか。全くもって謎である。 UnearthedAmerican シリーズのアウトテイクや シングル B 面曲を網羅したボックスで、 American シリーズだけでは足りない!と思ふ筋金入りのマニアしか用のないものだ。 そんな人間は、ベスト盤など求めてゐない。全て持ってゐるに決まってゐるのだから (寧ろ、ベスト盤拔きで値段を下げればいいのに)。

とはいへ、Cash に American シリーズを録音させた Rick Rubin の手腕は見事なものである (まあ、Cash 以外の Rick Rubin の仕事で我が家にあるのはレッチリぐらゐなのだが)。 これがなければ、おれは Johnny Cash を聽き漁ったりしなかっただらう。 ほとんどがカバー曲ではあったが、 逆にそれが Johnny Cash のそれまで知らなかった魅力を際立たせた。

Cash の本質は、その聲であり、歌である。 それは凝り固まったカントリーの枠に収める必要など全くなく、 自作曲に拘る必要もないのだ、 といふ判斷の下、樣々な曲を選び、録音してくれた Rick Rubin の仕事は、 Johnny Cash の名を不滅にする大きな後押しになったと思ふ。

もちろん、死が近づいてくるにつれ、 Cash の聲は細く衰へていく。 にも拘らずアルバムの出來がどんどんと豊かさを増していったのは Rick Rubin がいかに優れたプロデューサーであったかを如實に現してゐる。

Johnny Cash は永遠である。Rick Rubin はそれをよく知ってゐたのだ。

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*1:實際、Rolling Stone 誌による 2015 年版 100 Greatest Country Artists of All Time では その名が 3 位に舉げられている