When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Music is the Best

初記事のタイトルである Music is the Best といふのは Frank ZappaPackard Goose といふ曲中における語りの一フレーズである *1

比較対象に擧げられてゐるのは knowledge だったり truth だったり love だったりするので、 別にあらゆる藝術の中で音樂が一番!と云ってゐるわけではないのだが、 おれは音楽こそが最もすばらしい藝術だ、と思ってゐる。

なぜさう思ふのか。 音樂には、他の藝術と一線を劃す點があるからだ。

他の藝術といふのは、基本的に具體物に依拠して存在してゐる。 平たく云へば、現実の模倣や改變、切除などが大多數を占める。 もちろん、抽象畫のやうなものも存在するが、 それは繪畫の一形態でしかない。

その點、音樂といふのはどこまでも抽象的だ。 いやいや、現実のことを唄ってるでせう、といふ反論もあるかもしれない。 しかし、歌詞といふのは音樂的な観點からすれば、オマケでしかない。 どれだけ文學的に秀でた歌詞があったとしても、 音樂がクソであれば、その曲はクソなのだ。

Igor Stravinsky の有名な言葉を引用しておかう。 「音樂は音樂以外のものを表現しない」と省略されて言及されることの多いあれだ。

音楽には、その本質からして、何かを、つまり或る感情、或る態度、或る心理的な状態、或る自然現象等々を表現する力はないと私は考えている。「表現」がいまだかつて音楽の内在的特性であったことがない。音楽の存在理由は表現によってなんら条件づけられていない。ほとんどの場合がそうなのだが、たとえ音楽が何かを表現しているように思われても、それは錯覚にすぎず、現実ではない。私たちが暗黙かつ年来の慣例によって、音楽にひとつのレッテル、ひとつの慣習、要するにひとつの礼儀のように付与し押しつけてきたのは、単に付加的な要素であり、慣れや無意識から私たちはそれを音楽の本質と混同するに至ったのだ。 イーゴリ・ストラヴィンスキー著『私の人生の年代記』笠羽映子訳、未来社、2013、pp. 65-6

假に宇宙人が存在したとして、 そいつらの書いた小説がわれわれに理解できるだらうか。 言語の問題は措くにせよ、文化も違へば考へ方も違ふ。 そもそも生態すら違ふに決まってゐるから、理解は至難であらう。 繪畫や寫眞のやうに現実を切り取るタイプの作品ですら、 それを藝術として味はふのは難しいのではないか。

その点、音樂は違ふ。 可聽域が一致しないとどうしやうもないといふ問題はあるが、 そこさへクリアすれば、藝術として味はふのはそれほど難しくないだらう。

尤も、これはおれが大多數の人間が音樂だとは思へないやうな 奇天烈な音樂をすら好んで聽いてゐるための見解であって、 繪畫に造詣の深い人間に、 「宇宙人の描いたものも存分に堪能するのは難しくない」 と反論されればぐうの音も出ない。

しかし、少なくとも音樂に関して云ふならば、 さうした宇宙人が作ったと云はれてもおかしくないやうな曲が 一定の市民権を得てゐるのが、音樂の世界なのである。

おれはさうした音樂といふ藝術の懐の深さをこよなく愛してゐるし、 これからも愛し續けるだらう。

さういったものの一端をここで紹介することで、 さうした世界の樂しみ方が少しでも伝はれば幸ひである。

*1:Joe's Garage 收録