When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Caterina Barbieri: Fantas Variations

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ちょうど 1 年ほど前に出たアルバムを今さら取り上げてすみません。 發賣されてそんなに經たないうちからずっと聽いてはゐたんだけど、 最近とみにこのアルバムいいな、と思ふやうになったので。

無料で聽ける音樂が溢れてゐる所爲で、 ちょっと試聽してだめならすぐ飛ばすといった判斷を下される厳しい世界を戰ひぬく音樂ばかりになってしまったが、 やっぱり何度も何度も聽いてよさが傳はってくるアルバムは長く樂しめていいですよ。 そもそも、何度も何度も同じものを聽く人が減ってるんでせうけど (ちなみに、最近やっとよさがわかるやうになったアルバムは Kanye West の My Beautiful Dark Twisted Fantasy。今さら!)。

さっきアルバムと書いたけど、これはちょっと特殊なアルバムだ。 タイトルにある variations は、大抵は「變奏曲」と譯される語だが、 これは平たく云へば、Caterina Barbieri の Fantas といふ曲のリミックス・アルバムである。 もとの曲は、2019 年に發賣された Ecstatic Computation の 1 曲目に入ってゐる。

おれは普段、リミックス・アルバムを買はない。 そもそも、リミックスといふのが好きではないのである。

なんでって、理由は單純で、 リミックスと云っておきながら、ほとんどのものは元の曲をネタにして、擔當者が音を附け加へまくってゐて、 元の曲は臺無しになるし、擔當者のオリジナルでもないから、そのリミックス擔當者のよさが十全に發揮されるわけでもない。 結果、どっちにとっても得のない、無價値な作品ばかりが量産されることになることが多い。

だといふのに、この Fantas Variations はどれもこれもすばらしい。 元の曲がそれほど主張の強い曲でないからなのか、 それともリミキサーたちの腕前が優れてゐるのか、原因はわからないが、 普段リミックス・アルバムなんて出さない mego から出てゐるのも納得のすばらしさ。 ともかくこのよさを傳へたいので、全曲解説する。 *1

1 曲目を擔當する Evelyn Saylor は、購入できる作品がこのアルバムのこの曲しかないやうな人で、 普段はダンスのための音樂や映畫音樂、インスタレーション作品のやうな、 音樂だけで完結しない作品ばかり作ってゐるやうだ。 この曲は、まるで Meredith Monk のやうな美しいコーラス・ワークを樂しめる作品で、 どうも公式サイトの works を見ても現代音樂っぽい曲が多そう。 買へる形で作品出してください。

2 曲目を擔當する Bendik Giske はサックス奏者だが、 ジャズやクラシックではなく、アンビエントに分類されるやうな曲を一人でやってゐる。 サックスのキーを叩く音を打樂器的に使ふのも特徴のひとつと云へるだらう。 この曲は、サックス奏者かつミニマル・ミュージックの大家である Terry Riley の初期作品 (Dorian Reeds とか Poppy Nogood とか)を思はせるものになってゐるが (Terry Riley、いま日本在住らしいですよね)、 それでゐてきっちり元の Fantas であるのが見事。 最初に聽いたときは、「Terry Riley やんけ!」としか思はなかったが、 聽けば聽くほど Fantas が滲みでてきて唸らされる。

3 曲目のリミキサー Kali Malone は最近のドローン界隈だと Sarah Davachi と竝ぶ期待の新星なので、 知ってゐる人も多いのではなからうか。 Fantas のオリジナルが收録された Ecstatic Computation と同じ年にリリースされた パイプオルガンによるドローンアルバム The Sacrificial Code は いろんなところで絶贊されてゐたし、 その 2 年前の Velocity of Sleep も再發されるたびに賣り切れてる印象。 おれ個人的にとっては、Sarah Davachi はポップすぎるし、 Kali Malone はサイケさが全くなくてどちらも買ふほど好きにはなれないアーティストなのだが、 このリミックスは文句なし。 やってることはいつもの Kali Malone なのにこんなにいいのは Fantas の旋律のよさゆゑか?  使用樂器がオルガンなのも、Kali Malone といふよりなんか Philip Glass っぽくなってるし。 このトラックがアルバム通して一番好き。

Meredith Monk っぽいアレンジ、Terry Riley っぽいアレンジ、Philip Glass っぽいアレンジときてエレキギターがきたら、 そりゃ Steve Reich っぽいアレンジになるよな、といふ豫想を全く裏切らない 4 曲目のリミックスを擔當するのは Walter Zanetti。 Paganini やってたりするので、どうもクラシック・ギターが本業の人らしく、 Caterina Barbieri のギターの先生でもあるとのこと。 ソロ名義のアルバムなんかは皆無で、演奏者の一人として参加したアルバムがいくつか見つかる程度。 そんな人から、なんでこんな Steve Reich っぽいアレンジが生まれたのかはわからないが、 わざわざ聲をかけたぐらゐなんだから、さういふ嗜好の人なのかもしれない。

と、なんだか古いミニマル・ミュージックの回顧展みたいな趣だった流れをぶち壊してくれるのが 5 曲目。 擔當者は Jay Mitta で、彼はこのブログでも何度か名前を出したウガンダの Nyege Nyege からアルバムを 1 枚出してるだけ。 Nyege Nyege なので、もちろんシンゲリで、このトラックのタイトルも Singeli Fantas とわかりやすい。 いきなりのシンゲリに面喰らひはするが、おれはシンゲリ大好きなので素直に嬉しいし、 がっつりシンゲリを載せられても Fantas の根幹が搖いでゐないのもすごい。曲の強度が生半可ぢゃねえぜ。 強烈なインパクトがあるので、このアルバムのことを思ひ浮かべると頭の中で流れ始めるのは大抵これ。

で、そのシンゲリが強すぎて、Fantas Hardcore といふタイトルの割に、 ハードなのはほんの少しだけで全體的に落ち着いた音量になってゐるため、 アルバム中かなり印象が薄い 6 曲目の擔當者は Baseck。 普段はもっとインダストリアル・テクノとでもいふやうな、ハードな曲をやってるくせに、 Fantas に喰はれたのか、これは信じられないほど大人しい。 いつもみたいなバキバキでビキビキな自分を前面に出してくれてよかったのになあ。

7 曲目はもうタイトルからずるくて、Fantas Resynthesized for 808 and 202 といふ。 これはどちらもローランドから出てゐるもので、正確には誰もが知る名機 TR-808 と DJ-202 のことだ。 DJ-202 は 5 年前の製品だから現役なのは當然だが、 DJ-202 にも搭載されてゐる TR-808 は 40 年も前の製品なのに、今でも世界中で愛されてゐるなんて、もはや奇跡のやうなマシンだ。 今の時代でもチープさや古臭さなんかはなく、安定した音を聽かせてくれる。 このトラックを擔當した Carlo Maria は Caterina Barbieri とのデュオ Punctum でも活動してゐる人で、 ソロ作品は主にポーランドの Brutaż からリリースされてゐる。 普段の作品は取り立てて云ふこともないテクノ/ハウス系なので、愛用の樂器を使った素直なアレンジなんでせう。 一番リミックスらしいリミックスではないか。 すごさはないが、安心できるトラック。

最後の 8 曲目を擔當するのは、アンビエント作家 Kara-Lis Coverdale。 アンビエントにもいろいろあるが、Kara-Lis Coverdale はクラシック寄りと云へばいいか。 といっても、ポスト・クラシカルみたいな感じではなく、電子音もしっかり使ふ、 まあ、特には珍しくないやつ。 でも、このアレンジはピアノがうまく元の曲にフィットしてゐる。 元の曲の音はもはや殘ってをらず、リミックスといふよりカヴァー。 終盤の、單にピアノで演奏しただけだったものから廣がりさうなところで終はってしまふのが殘念。

なほ、アルバムを買はないと聽けないが、實際のアルバムには最後に Caterina Barbieri 自身による Perennial Fantas が收められてゐる (Includes hidden bonus track exclusive to Bandcamp. と書かれてゐるが、レコードにもちょっとした仕掛けのあとに入ってゐる)。

これは、オリジナルの Fantas のテンポを落とし、 ミニマルな電子音もなくして靄の中にゐるやうな音になったアレンジ。 テンポは下がってゐるが、曲の長さ自體はオリジナルより少し短く、8 分弱ほどしかない。 オリジナルよりこっちのはうが好きかも。

と、アルバム通して聽くと、すべて同じ曲であるのに、途中で飽きたりすることもない。 それはやはり、元曲である Fantas が各作家の色でうまく後ろに隠される程度の曲であることが大きいのだらう。 卑近な喩へで云へば、 Fantas はあくまで米であって、 その上にいろんなものが乘った丼ものを次から次へと提供されているやうな、そんなアルバムなのだ。

さういった扱ひに耐える曲は、なかなかあるものではない。 そのポテンシャルを見拔いてこのアルバムを企劃したのが mego なのか Barbieri 本人なのかは知らないが、 よくぞやってくれた、と感謝を捧げたい。 世のリミックス・アルバムもこれ見習ってくださいね。

*1:恐らく、この作品についてリミックスといふ言葉が使はれてゐないのは意圖的なものだらうが、どうせ世に出囘ってゐるリミックス作品はこのアルバムのやうにがっつり再構築してゐるものばかりなので、おれは敢へてすべてリミックス扱ひさせてもらふ。