When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Miles Davis: Nefertiti

BGM として消費されるジャズの姿を見るのが嫌ひだ。 まあ、さういふ風に消費されるためのジャズだってないわけぢゃあない。 しかし、多くのジャズは小洒落た氛圍氣を演出するための道具ではない。 そんなものは、それこそアンビエントに任せておけばよろしい。

ジャズ、殊にモダン・ジャズといふのは、そんな目的で演奏されてゐたのではない。 かつて、Charles Mingus(といふか、Eric Dolphy)について書いたときにも触れたが、 モダン・ジャズは一種のゲームである。

ゲームであるからには、もちろんルールがあるわけだが、 そのルールを大きく更新したのが Miles Davis である。

まあ、細かい説明はいくらでも轉がってゐるから省くが、 極めて大雑把に云ふなら、「アドリブに使っていい音階」を増やすことで、Miles Davis はアドリブの自由度を飛躍的に高めた。

使っていい音が増えるといふのは、單純にいいことのやうに思へるかもしれない。 が、もちろんそんなわけはない。 選擇肢が多ければ多いほど、「なぜその音を選んだのか」が重要になる。 闇雲に選ぶだけではまとまりがなくなり、 といって餘りに限られた音ばかり使ふのも藝がない。

だからこそ、この轉換は非常に困難なもので、 Miles Davis もその實現にあたってメンバーを厳選した。 その最初の結晶が、ジャズ史上に燦然と輝く名盤 Kind of Blue であるわけだが、 Miles はそこで探求をやめたわけではない。

Kind of Blue のあと、しばらく安定しなかった Miles Davis のバンドが次に安定したのは、 1964 年秋、Kind of Blue から 5 年後のことであり、 また、このクインテットは Miles Davis のアコースティック時代最後のクインテットでもある。

Wayne Shorter、Herbie Hancock、Ron Carter、Tony Williams を擁するこのクインテットは、 Miles Davis の、いや、モードによるジャズ史上最高のクインテットだったと云っていい。

殘念ながら、このクインテットで録音された作品は少なく、 スタジオ盤は E.S.P.(1965 年 1 月録音)、 Miles Smiles(1966 年 10 月録音)、 Sorcerer(1967 年 5 月録音)、 Nefertiti(1967 年 6 ~ 7 月録音)のたった 4 枚しかない。

聽きやすいのは前の 2 枚だが、完成度が高いのはもちろん後ろの 2 枚で、その差は歴然である。

といふのも、最初の 2 枚は Tony Williams の壓倒的さは目立つものの、 Wayne Shorter も Herbie Hancock もまだまだ遠慮いっぱいで、 これは!と眼を見張るやうなソロを取ってゐるわけではないからだ。

それが、Sorcerer になると變はってくる。 特に凄まじいのは Nefertiti だ。

Nefertiti は、 管樂器の 2 人が蜿蜒とテーマを奏で、リズム隊 3 人がアドリブを繰り広げまくるタイトルトラックの特異性ばかりが取り沙汰されがちだが、 とんでもないことだ。

確かに、Nefertiti は Miles Davis 自慢の一曲だらう。 しかし、このアルバムの他の曲のはうがもっとヤバい。 例へば、Tony Williams 作の Hand Jive を聽いてほしい。

いやいやいや、いかんでしょ、このソロは。 特に Herbie Hancock。

この曲に限らず、Nefertiti のどの曲でも Herbie Hancock のソロは凄まじい。 いくらルールで許されてるからって、そんな音を拾っていいのか?と思へる危ふい音を次々と繰り出してくる。 聽いてるこっちがヒヤヒヤするレヴェルだ。

Herbie Hancock 作の Madness に至っては、最早チートである。

こらこら! Hancock のソロになった途端、テンポ變はっとるやんけ!  リズム隊しかゐなくなったからって好き勝手やりすぎでせう!  しれっとついていく Ron Carter と Tony Williams も相當なものだけれど。

Nefertiti を聽けば聽くほど、 Herbie Hancock の凄さを思ひ知る。

そりゃあ、Wayne Shorter だって Tony Williams だって凄い。 でも、やっぱりおれが好きなのは Herbie Hancock なのだ。 だってねえ、Weather Report でフュージョンに向かってしまった Wayne Shorter や、 Lifetime でジャズ・ロックに向かってしまった Tony Williams と違って、 Herbie Hancock はファンクへ向かひましたからね。 さういふ嗜好がこの頃から音選びとか間のとり方に出てるんだと思ふ。

さて、ところで、幸運なことに、われわれはこの時期のライヴすら聽くことができる。

いやあ、The Bootleg Series の第 1 彈としてこれが出たときは震へましたよ。 綱渡りみたいな演奏のオンパレード。 録音は 1967 年 10 月~ 11 月だから、まさに Nefertiti の録音を終へた、 最高の時期のクインテットである。

ジャズといふ音樂は、今また盛り上がってきてゐる音樂である。 アドリブだけでなく、曲そのものの在り方までがどんどん變容を遂げてゐて、 新しい方法論が生まれ續けてゐる。

さういふ視點で見れば、この Miles Davis の演奏は、古いものである。 しかし、それがなんだといふのか。

この時代の Miles Davis クインテットは、比肩するもののない高みにゐた。 今でも、同じルールで演奏して、これに勝るものを作るのは至難の業であらう。 それぐらゐ、この音樂は磨き上げられてゐる。

實際、こんなものを作り上げてしまったら、普通は解散である。 それをせずに、この先も新たなジャズを生み出し續けたのだから、 Miles Davis はまこと、帝王である。 その Miles Davis が作り上げた、ひとつの頂點を味はふためには、BGM として消費するなど、以ての外なのだ。

NEFERTITI

NEFERTITI

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