When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

William S. Burroughs: Exterminator!

A Robot Named Fight! にリリース 3 周年を記念した大型アップデートが來た。

アップデート内容は、「Boss Rush」「Exterminator」「Mega Map」の新たな 3 つのモード追加と、 それに伴ふ實績および新アイテムの追加である。 UI もちょっと變はって、所謂 QoL が向上した。

この中で、ぱっと見て内容がわからないのは Exterminator だらう。 これは「絶滅させる人、害蟲驅除業者」といふ意味の單語で、 要するに、部屋の敵を全滅させないと部屋から出られないモードである。 普通のモードと違ひ、一度倒した敵は復活しなくなるため、 雜魚の沸く部屋に戻って囘復したり The Thief に餌を喰はせたりといったことができなくなるため、 序盤の辛さが少し増す、といった感じ。 まあ、終盤まで行けばどうせ無雙してるんで關係ありませんけど。

で、アップデート内容はもうしっかりすべて味はったのだが (久々にやったらやっぱり面白くて睡眠時間が削られた)、 追加されたモードを見て、ふと William Burroughs の短篇集を思ひ出してしまった。 おれがこの Exterminator といふ單語を知ったのは、まさにその短篇集だったからだ。

おれが Burroughs にハマったのは、20 世紀末のことで、 ちょうど Burroughs の本を出してゐたペヨトル工房が解散するほんの少し前のことだった (お蔭で、『ノヴァ急報』を入手するのにえらく苦勞した――タコシェで定價で買へたけど)。

實は、20 世紀末、2000 年には、たまたま Primal Scream が、 彼らのキャリアで五指、いや三指に入るレヴェルのアルバム Xtrmntr をリリースしたりもしてゐるが、 まあそれは措かう。

William Burroughs といふ作家は、まあ、變な作家である。 文學的には、音樂や繪畫でいふところのコラージュを小説に導入した作家なのだが (自分の文章や新聞などを切り拔いて文章を構成する手法で、カットアップと呼ばれる)、 その手法が高く評價されてゐる、なんてことは多分ない。

でも、この William Burroughs といふじいさんは、 Nirvana の Curt Cobain とアルバムを作ったり、ナイキの CM に起用されたりしてゐる。 なぜかって、彼が紛れもないカルトヒーローだからだ。

まづ、ゲイだ。Burroughs は 1914 年生まれであり、 また小説家としてそれなりに評價されるやうになったのは 1960 年代以降である。 その年代の人間として、ゲイであることをおおっぴらにしてゐる人間はなかなかゐない。

しかも、ヤク中である。處女作のタイトルは『ジャンキー』だし、 その後、幻覺植物を探すためにアマゾンまで出かけ、 その時期の Allen Ginsberg との往復書簡も『麻藥書簡』といふタイトルで刊行されてゐる。 筋金入りのジャンキーなのだ(尤も、完全に脱却してゐた時期もあるらしいが)。

でもって、奥さんを射殺してゐる。 奥さんの頭の上にりんごを乘せ、それを銃で撃ち拔くウィリアム・テルごっこをやってゐての誤射だから、 まあ事故ではあるのだが、そんなアホな理由で奥さんを射殺する人はゐませんよね。

擧げ句、ニートである。小説家でもあるが、小説は數へるほどしか書いてをらず、 いいとこのボンボンだった Burroughs は、人生の大部分を親からの仕送りに頼って生活してゐる。 いやはや羨ましい。

そんな人間が、なんとハーバード大卒なのだ。 しかも、大して書いてないくせに、ビート・ジェネレーションといふ文學運動の主流の一人だと思はれてゐる (まあ、あとの 2 人、Jack Kerouac と Allen Ginsberg だってそんなにたくさん作品があるわけぢゃあないけども)。 いやもう、5ちゃんねるに入り浸るアホ餓鬼が考へた設定っすか?ってぐらゐの經歴だ。 そりゃあカルトヒーローにもなりますよ。

そんなわけで、若かりしおれが Burroughs にハマったのも、その有り樣がひたすらかっこよかったからである。 もう若くなくなった今でも、Burroughs の文章はかっこいいなと思ふ (なんたって、Burroughs がカットアップを使った初めての作品『裸のランチ』を書いたのは、 今のおれより齡を重ねてからなのだ)。

Burroughs の長篇小説のうち、代表作である『裸のランチ』およびカットアップ三部作はストーリーがほとんどわからない。 書いた文章がずたずたに切り刻まれ、あるいは面倒だから折り畳まれて配列されてゐるのだから、 明確にストーリーが傳はってくるはずもないのだ。 もちろん、朧げなストーリーはある。 でも、それは Burroughs の小説のメインではない。 Burroughs の小説の感想で、ストーリーに言及する人は、ほとんどゐなからう。

Burroughs の小説が高く評價されてゐるのは、 その猥雜さや、へんてこな手法によってである。 つまり、小説の地平を擴げた、といふ點で評價されてゐるのだ。

でも、おれが Burroughs を好きなのは、さうした理由でもない。 もちろん、その手法なくして Burroughs の魅力はないから、 さうした部分を無視するつもりはない。 ただ、その部分だけ見ても仕方ないでせう、とも思ふわけだ。

では Burroughs の何に惹かれるのか。 先ほどはかっこよさだと述べたが、もっと云へば、小説に漂ふ空氣である。 William S. Burroughs といふ作家は、何かしらのノスタルジア、 エログロ、ハードボイルドなどといった空氣だけをなんとなく漂はせるのが拔群にうまい作家なのだ。 そしてその「なんとなくさ」は、もちろんカットアップが大きく影響してゐる。

實際に、適當に開いた『ソフト・マシーン』から文章を引用してみよう (ペヨトルのやつは取り出すのが困難な位置だったので文庫から引用)。

(とつぜん止まってぞっとする革身体をみせてくれた)――「ぼくもほとんど薬なしで」

そのときはまださよならだった窓をバックに外は一九二〇年代映画、 肉トラックが壞れ――医者の手にとどかない長いテーブルにすわってぼくは言った。 「彼はあんたの声と行き着くところまで持ってて――ベッドの消え入る呼吸は窒息症状のしるし――そいつらはチューニングからはずしたよ―― いくつプロットの先回りをしたらそいつらが鉄ツメに憑かれた少年のなかで具体化するんだ? ――そのあいだテープレコーダーが古新聞をきざむ」 パナマがしがみつくおれたちの身体は天井の扇風機の下ではだか――ウンコが忘れられた街路の向こうのはじで――病院臭は夜明けの風にのって――

(蛍光金属ひざこぞうをむいて、脳が腐肉飢えであぶり焼き)

ウィリアム・バロウズ、『ソフト・マシーン』山形浩生・柳下毅一郎譯、河出文庫、2004、pp. 139-140

どうです? ほとんど何もわからないけど、薄ぼんやりと病院の空氣がほのかに薫ってくる。 これが、Burroughs の小説世界である。

まあ、これで「んほぉ〜、Burroughs たまんねえ~」なんて云ふやつは Burroughs に調教された人間だけで、 普通は「なにこれ意味わからん」で終はりだらう。

人間といふのは先入觀に縛られて生きてゐるから、 これほどまでに「小説」といふ單語から想起されるものと違ったものを見せられると、 「はいクソ」と看做したくなるのもわかる。

そんな人に讀んでもらひたいのが、冒頭に書いた短篇集、Exterminator! なのだ。

Burroughs が長く長篇だと云ひ張ってゐたこの短篇集は、 Burroughs の最良の部分がまとめられた、すばらしい短篇集である。 邦譯タイトルは『おぼえていないときもある』なのだが、 これは、この本に收録されたもののうち、唯一浅倉久志が譯した短篇のタイトルである。

といふのも、この短篇はペヨトルからこの短篇集が出るよりずっと前、 1976 年に創元推理文庫から刊行された『年刊 SF 傑作選 7』に入ってゐた短篇だからだ。

『SF に何ができるか』を著し、ニュー・ウェーヴ SF を支持してゐた Judith Merril 編纂のこの短篇集は、 ほかにも錚々たる面子の短篇が收録されてゐるのだが、 そんな中にあって、この Burroughs の短篇は些かも見劣りしてゐない。

なんたって、この短篇はストーリーがはっきりとわかるのだ。

もちろん、譯者である浅倉久志大先生の盡力もあるだらうが、 それにしたって、この短篇の出來はすごい。

いや、別にストーリーがあるなんて Burroughs にしてはすごい!なんて話をしてゐるわけぢゃあない。 さうではなくて、ストーリーがあるお蔭で、 Burroughs の釀し出す空氣が、非常にわかりやすく傳はってくるのだ。 もっと噛み碎いて云ふなら、Burroughs 入門に最適なのである。

ストーリーはそれほど大したものではない。 でも、そこには Burroughs にしか出せない空氣が濃厚に刻印されてゐる。 かさかさであったり、酸っぱかったり、灰色だったり、懐かしかったりする空氣。 それらを短篇小説にして詰め込んだのが、この『おぼえていないときもある』だ。

殘念ながら、Burroughs の諸作のほとんどは絶版あるいは品切れで、 この『おぼえていないときもある』も望めばすぐ手に入るやうなものではない。 でももし、あなたが少しでも Burroughs の描き出す氛圍氣に興味を持ってゐるなら、 こまめに古書を探してみるといい。 特にプレミアもつかない値段で入手できるはずだ。 アマゾンぢゃあ法外な値段がついてるみたいだけど。