When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Björk

Terminator: Dark Fate の新しいトレイラーを見たついでに、 前のトレイラーを何の氣なしに眺めてゐたら、妙に音樂が氣になったのだが、 しばらくして氣づいた。Björk ぢゃん!  Homogenic はあんまり好きぢゃなくて滅多に聽かないから氣づかなかったよ。

なんて云ひわけをしたが、おれが個人的には好みでないと云ったところで、 Homogenic が Björk といふアーティストを理解しようとする上で最も重要な作品であることは論を俟たない。

なぜなら、Homogenic こそ、 Björk が未だに果ての見えない彼女の音樂世界を、 われわれの前に表出させた初めてのアルバムだからである (ちなみに、Homogenic があまり好きぢゃないのは、ビートが強すぎるからだ)。

Homogenic は Björk がソロデビューしてから 3 枚目のアルバムだが、 それまでの 2 枚はポピュラー音樂として出來のいいものではあったものの、 今の耳で聽けば意外性も革新性もない、どうといふことのないアルバムだ。

ま、どってことないったって、その時點(25 年も前!)で Björk は EDM としか云ひやうのない音樂をやってゐるし、 その上それらは凡百の EDM の如く安酒で醉っ拂った大學生のやうにチープなものだったりもしない (全くの餘談だが、おれは EDM が大嫌ひである)。

度肝を拔かれたのは、2001 年に Vespertine が出たときだ。 Homogenic や、 Dancer in the Dark のサントラとして出た SelmaSongs はテクノのイディオムで理解可能なものだった。

が、Vespertine では Björk の音樂は Björk の音樂としか形容できないものだ、と思ひ知らされる。 テクノのイディオムで讀み解けないとまでは云はない。 しかし、それではこの温かい白晝夢のやうなアルバムの本質には迫れないだらう。 それくらゐ、Björk は明確にこのアルバムから大きく表現の枠を廣げた。

續く Medúlla は Meredith Monk のアルバムを思はせるほどヴォイスに重きを置いたものになった。 アカペラだとか、コーラスが美しいとかそんなレヴェルではない。 譬喩としてとはいへ Meredith Monk の名を使ふレヴェルといふのはつまり、 樂器と思しき音の多くも、實際は人間の聲によって演奏されてゐるといふことだ。

アルバムのクレジットを確認するとわかるが、 コーラスだけでなくイヌイットの喉歌、ヒューマンボックス、ヒューマントロンボーンなんてのまである (ちなみに、ただの vocals としてクレジットされてゐる人の中には Robert Wyatt と Mike Patton がゐる。豪華!)。 Meredith Monk のやうな曲もあれば、Homogenic を思はせるビートの強い曲もあるし(でもそのビートは聲だ!)、 最後の曲は完全にヒップホップ(でもこれまたほとんど聲!)。 ああ~、この路線でもう 1 枚アルバム作ってくれえ~(ヴォイスもの大好きなんです)。

個人的にこのアルバムで最も好きなのは Where is the Line。 Mike Patton が參加してるから、 ではなくて Oneohtrix Point Never なんかが作りさうなビートの氣持ち惡さが好きなのだ。 いや、PV も OPN っぽさあるかも。 影響受けてたりするんだらうか。

次の Drawing Restraint 9 はサントラだからなのか Björk が唄ってゐる曲は 11 曲中 6 曲しかない (1 曲だけ、Bonnie 'Prince' Billy の唄ふ曲がある)。

このアルバムを作るために Björk は日本に來て雅樂などの古い日本音樂を學んださうだが、 だからといって雅樂っぽい氛圍氣を持った曲はない(でも能が 1 曲入ってゐる)。 そもそも、雅樂の樂器だって笙しか使はれてゐない (個人的に、雅樂で使はれる樂器の中で最も好きな樂器は笙なのでそれを選んでくれたのは嬉しいけど)。

ただ、Björk のアルバムの中で一番ファンに聽かれてなささうだな、とは思ふ。 ヴォーカル曲が少ないのもさうだが、インスト曲は雅樂ではないにせよ、 現代音樂ぢゃないの?と思ってしまふやうな曲が多いのだ (Hunter Vessel なんか特に顕著)。 1 曲とはいへ能も入ってるし。 ホントにこれ、映畫のサントラなの? 映畫は見てないけど、どんな映畫に合ふんだよ。

2007 年の Volta は Björk のアルバムでは恐らく最も賣れたアルバムだらう。 なんたって、ビルボードの Dance/Electronic Albums チャートで 9 週にも亙って 1 位だったのだ。 だからといふわけではないが、おれはこのアルバムがさして好きではない。

別に賣れたから嫌ひ!などと狹量なことを云ふつもりはない。 さうではなく、Drawing Restraint 9 とは正反對で、 そりゃあ賣れるよな、と思へるわかりやすい曲ばかりだからだ。

おれが Björk を好きなのは、 「うわっ、そう來たか」とか「こんな曲が出てくるなんてどんな腦味噌してんの?」とか、 さういった意外性があるからなのに、 Volta にはさうした瞬間が全然ない。 これまでの Björk を知ってゐれば、どの曲も豫想できるもので、 おれは Björk にそんなものを求めてゐるわけではないのだ。

アルバム外でスマートフォン用のアプリをリリースしたり、 山ほどリミックスが出たり、それらを用ゐたワークショップを開いたりと、 なんだかやたら多方面に展開してゐた Biophilia がリリースされたのは 2011 年。 いやあ、さういふのホント、やめよ?(Omar Souleyman のリミックスだけは買ひました)

まあ、リミックスはいいよ。これまでもシングル B 面だの EP だので出してたわけだし。 でも、アプリとそれを使ったワークショップはだめでせう。 アプリはゲームができたり樂器として遊べたりするらしいけど、 今でもそれ使ってる人ってゐるの?

2011 年といへば 3 月に iPad 2 が出た年だから、まあアプリはまだまだ黎明期だ。 だから、そんな時代のアプリを今でも使ってる人がゐないだらうことはよしとしよう。 でも、さういふ試みをしたいのなら、繼續的にやるべきぢゃないの?  次の Vulnicura では VR に手ぇ出してたけど、 もうただのミーハーぢゃん!

スマートフォンやタブレット、VR は確かに耳目を集める技術だし、 それに飛びついてしまふ氣持ちはわからなくはない。 ないけど、Björk ほどの人に安易に飛びついてほしくはなかった。 手を出すのが惡いと云ひたいんぢゃない。 飛びつくのが早すぎて大したことのないものができることとか、 すぐに使ひ捨ててしまふことが嫌なのだ。

Björk の音樂はすばらしい。藝術と云ってもいい。 でも、それだけの高みに至るまで、どれだけ苦勞したかは本人が最もよく知ってゐるはずだ。 新しい技術を、その高みに至らせるのにだって、同等の苦勞が要るでせうに。 新たなことに挑戰してくれるのは嬉しいけど、すぐ投げ捨てるのやめて。

さて、さういったアルバム外の要素はうっちゃって音樂だけを聽いてみると、 Biophilia は變拍子だらけであることに氣づく。

特に極端なのは Dark Matter で、これには拍子がない。 まあ、ドローンを多用した曲なので當然といへば當然だが。 美しいコーラスワークに加へ、初期 Tangerine Dream のやうな暗い電子音がたまらない。 てかこれ、ダークアンビエントぢゃないの?

不氣味に疊み掛けてくる、ゲームのボス戰で使はれさうな次の Hollow もいい。 しかしこれ、どこかよそで似たやうな曲を聽いた氣がするんだよなあ。どこだっけ。

變拍子が多いとは書いたが、よくあるプログレのやうに聞こえよがしなものではないし、 斬新すぎる要素があるわけでもなく、 これまでに Björk の培ってきたものが洗練された形でまとまってゐる。 これから Björk を聽いてみたいといふ人にはうってつけのアルバムではないか。

Vulnicura はストリングスがふんだんに使はれてゐるといふこと以外に目新しい要素はない (ストリングスにはだいぶ自信があったのか、後に Vulnicura Strings なんてアルバムまで出てゐる)。

まあ、Björk らしい美しさは健在だし、 Volta ほど單純でもないし、 決して惡いわけぢゃないんだけど、 ただ別に Björk でなくてもいいかなあ。 かういふ音樂やってる人、たくさんゐるし。 アルバムがストリングス一色すぎていまいち面白くないんだよなあ。

目下のところ最新作である 2017 年の Utopia は實際ユートピア感あふれるふわふわした音に滿ちてゐる。 昔のおれならそのナイーヴさに間違ひなくオエッとなってゐただらうが、 年をとったからか Björk の音樂がいいからか、さういったことは氣にせず愛聴してゐる。 それどころか、このアルバムは傑作だと思ってゐる。

特にすばらしいのは、1st シングルにもなった The Gate

この明確な拍のない、指揮者なしで他人に合はせるのが困難さうなコーラスやフルートなどの演奏をライヴでもやられてるんですよね?  よくできるなマジで…。

前作がストリングス推しだったのに對してこちらで推されてゐるのはフルートなのだが、 その有り樣は全く異なる。

前作のストリングスは、あくまでも Björk の音樂に追加されたものでしかなかった。 われわれがよく知る Björk の音樂が根底にあり、それがストリングスによって装飾されてゐたのだ。

しかし、本作のフルートは Björk の音樂を装飾してゐるわけではない。 前作のストリングスが修飾語であったとすれば、本作のフルートは主語や述語に近い。 本アルバムにおいて、フルートは音樂の主體の 1 つとして存在してゐる。 Björk 本人のヴォーカルやコーラスワークと同じく、このアルバムでフルートは缺かせない要素の 1 つとしてある。

そんなフルートとともに樂曲を構成する要素として缺かせないものとして、 これまでと同樣に電子音もあるのだが、 フルート、コーラス、電子音の 3 つがあまりにうまく融合してゐて、 このアルバムを聽いてゐると、時折ふと Stockhausen のオペラでも聽いてゐるやうな錯覺に陥る。 例へば、この曲を聽いてみてほしい。

いや、これ、Björk の歌がなかったらもはや現代音樂だろ…。 こんなもんをポップス扱ひで賣っちゃっていいの? マジで?  カラオケとかで絶對に唄へませんけど?

まあ、正直なことを云ふと、このアルバムの世界觀はあまり好きなものではない。 ちょっとお花畑すぎるし、抹香臭さすら感じる。 しかし、その印象があってすら、このアルバムの Björk の音樂は見事なものだ。 この時點でも完成度は非常に高いのに、これからの新しい廣がりをも豫感させてくれる。

さういへば、おれは作品と作家とを峻別して考へる人間なので、 Björk のプライヴェートな部分には全く触れずにこの稿を書いたのだが、 HomogenicVulnicura のやうに、 プライヴェートで苛烈な體驗があったあとのアルバムの次作、 つまり VespertineUtopia は Björk の音樂を新たな地平に進めるものになってゐる。 やはり辛いことを乘り越えると新境地が開けたりするんですかね。 だったらやだなあ。 あんなに才能に溢れた人なのだから、ハッピーに過ごしてほしいものだ。

Utopia

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Vespertine

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Homogenic

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Medulla

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