When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

I have obliterated La-Mulana !

やうやく La-Mulana の全實績を解除した。いやー、疲れた。 La-Mulana 漬けの一週間だった。

そもそも、6 年前に買って、地獄聖堂がしんどさうでやめて以来、 いつかは實績ちゃんと取りたいなあと思ひつつも放置してた La-Mulana を今さらやったのは、 去年できた友人が大の La-Mulana 好きだったからである。 なんと、その友人ですら、ムーブルクとの會話實績が取れてゐなかったのだ (好きすぎてしゃべりに行きまくってたらあと 1 つになった、といふのもすごいが)。

それまで、La-Mulana はおれの中ではもう終はって、やらないだらうゲームになってゐた。 だって 6 年も前のゲームですよ。 しかもアクションが一番きついところで積んじゃったから、 恐らく崩すことはないだらうなあ、と。

でも、6 年も前のゲームなのに、實績を取るためのチャートが未だにない、 といふのはガイドを書くのが好きなおれとしては、 ちょっと氣にかかることではあったのだ。

もちろん、これまでずっとさういったチャートが作られなかったのは、 そもそも普通の攻略チャートすら誰も書いてゐない、 といふのが原因だらうと思ふ。

La-Mulana は遺跡に隠された謎を追ふゲームだが、 きっちりこの順番で解かなくてはならない、といふやうなものは存在しないし (メトロイドヴァニアだからね)、 フィールドも廣いので、けっこう自由に探索できてしまふ。 さうしたゲームの特性をみんながよく知ってゐるからこそ、 攻略チャートのやうなものはほぼ作られてゐない (RTA チャートは當然あるけど)。

會話實績については、 「ポイントおよび特定の状況がトリガーになること」と 「そのポイントは何をすれば増えるか」といふ 2 つは判明してゐてガイドもあるが、 後者の調整はかなりシビアで、意識せずにやると簡單に逃してしまふ。

だから、自分でこの實績を取るためには、そこそこ綿密なチャートが必要で、 どうせ自分のためにチャート作るなら、ガイドとして公開してしまはう、 と思ったわけだ (まあ冷静に考へれば、一周で取らうとせず、何周かすればいいだけなのだが、 さすがに實績取るためだけに途中で放置されたデータ、 なんてものをいくつも作りたくはなかった)。

いやあ、やってよかった。本當に樂しかった。

自分の實績のためだけなら、まあ適當にプレイしちゃっていいんだけど、 ガイドを書くといふのが目標になってゐたから、 最初から何度も何度もやり直したし、細かい検証もたくさんした。 豫想してゐた通り、地獄聖堂では穴に落とされまくり、初囘クリアには 2 時間以上を要した。 仕掛けは豫め調べて行ったのに、だ。

改めてやって思ったのは、前の記事にも書いたけど、音樂がいいこと。 前に絶贊した Hotline Miami の音樂は、 純粋に音樂だけ聽いてもすばらしい曲が多かったのだが (音樂が本業のアーティストばかり起用してゐるのだから當然)、 La-Mulana はさうではなく、ゲームにぴったり、といふ意味ですばらしい。

別に音樂的にいまいち、といふわけではない。 そもそも、おれはゲーム音樂や映畫音樂といふのは、 純粋な音樂とは全く別物だと思ってゐる。 音樂が音樂だけで世界を構築しているのに對して、 ゲーム音樂や映畫音樂はゲームや映畫と一體で存在してゐるからだ。

例へば、この曲。

これは、單體で聽けば、まあ、なんてことはない曲だ。 でも、La-Mulana プレイヤーにとって、 これは Start を押したあと最初に聽く音樂であり、 冒険の始まりを告げる、わくわく感に溢れた曲なのである (Start を押す前にも 2 曲聽ける)。

實際、おれはこの曲を、曲單體で聽かうとはちっとも思はない。 この曲が流れるときには、やっぱり「ピュイッピー」と ウザかはいい長老からのメールを受信する音がなくては物足りない。 やむなく再生するときはゲームフォルダにあったメール受信音をわざわざ一緒に再生してしまふほどだ。

ゲーム音樂や、映畫音樂といふのは、さういふ、 プレイヤー自身の特定の記憶や體驗と密接に結びついてゐる。 普通の音樂だって、個人的な記憶や體驗と結びついてゐることはある。 でも、ゲーム音樂や映畫音樂は、 皆が似たやうな記憶・經驗とともに心に植え付けられるし、 それを前提として、さうした體驗に適した音樂が用意されてゐる。 つまり、ある情景を成立させる一つの要素なのであって、 獨立した存在ではないし、獨立したものとして語るのは不充分だと思ふ。

巨人墓場といふステージの曲 Giant's Cry を聽くと、おれはすぐ鬱陶しい氷の魔術師のテレポート音と魔法射出音を思ひ出してしまふし、 産声の碑のステージ曲 Song of Curry は迷ひまくって頭がおかしくなりさうだった苦労を追憶させる (音樂がループを多用してるのもあって尚さら)。 逆に、月光聖殿のやうに音樂がスリラーぢゃねえかと思ってたら、 入るたびにポーズを變へる Michael Jackson の壁畫が見つかるステージなんかもある。 記憶を植え付けてくるのではなく、過去に植え付けられたロックマンの記憶を想起させてくる空の水源の Curse of Ocean もアクションゲーム好きにはたまらないだらう。 (オリジナル版は AshGuine といふゲームのテーマ曲のパロディだったらしいが)。

そのやうに、ゲーム音樂といふのは、プレイヤーの感情を増幅させる。 ハラハラする場面、ウキウキする場面、思はず身構へてしまふ場面や、大きな感動を生む場面。 さうしたシーンを彩るのがゲーム音樂や映畫音樂の役割であって、 La-Mulana の音樂は、さういふところがすごくよくできてゐる。

もちろん、音樂以外の要素だって充実してゐる。 ゲームのメインである謎解きは多量かつ齒應へに滿ちたものばかりで欲張りすぎと云っていいレベルだし、 高度なアクションを要求されるステージや、 苦労させられるボスたち、 探索可能な廣大なエリアといった、 メトロイドヴァニアに必要なものは、どれも高レベルでまとまってゐる。

メインでない部分も凝ってゐる。 背景に關しては前にも書いたが、 NPC との會話もユーモラスで、惡意に滿ちたトラップ群でささくれだった心を癒やしてくれるし (「もう 5000 年待て」とか、好き)、 實績にもなってゐる、調べられる背景に盛り込まれた、ゲームにはほぼ無關係な考古學情報も多量だ。

廣すぎてどこに何があったか忘れてしまふマップや、 理不盡とも云はれる一部の謎解き、 獨特すぎるジャンプの擧動など、 文句をつけられさうな部分だってないわけぢゃない。

でも、慣れればそれは些細なことだ。 ヌルいゲームがやりたいなら、ヌルいゲームをやればよろしい。 自分の思ひ通りにキャラが動いてくれないなんて、アクションではよくあることだ。 さういふのを乗り越えられるほど上達できるプレイ時間を費やさせてくれる面白さを、 La-Mulana は持ってゐるから安心し給へ。

ま、謎解きに關してはほぼ完全に忘れてゐたのでカンニングしまくりましたけどね。 最初にやったときにさんざん惱んだからもういいやって。 昔やったときもちょいちょいカンニングしましたけど。 「理不盡だ!」っつって怒るより精神衛生上ずっといいでせう。 パズルゲームぢゃないんだし。

アクション部分だって、他人のを見て効率のいい動きを學んでから練習するはうが無駄にならなくていい。 實際、地獄聖堂 27 番目の部屋(石碑の中にドラキュエツがゐるところ)はめちゃくちゃ苦手だったのだが、 動畫を見てジャンプの仕方を憶えたら餘裕になった。 まあ、さっき書いたやうに、豫習してても油斷すればハマる罠にはハマるけどね。

何にせよ、諦めてゐた全實績解除を達成できたのは非常に嬉しい。 地獄聖堂は Wii では DLC 扱ひだったわけで、 さう考へると投げた時點で一通りゲームはクリアしてゐたのだから、 さういふ状態から、再度プレイして全實績解除まで行く日が來るとは思ってなかった (そもそも、今のパソコンにはインストールすらしてゐなかった)。

それが可能だったのは、La-Mulana の面白さと、 La-Mulana 好きの友人に出逢へたのが大きい。 おれのガイドは、それらへの恩返しだ。 ありがたうありがたう。