When the Music's Over

音樂の話とゲームの話

Dr. JB

Jim O'Rrourke をして即興演奏に關しては自分の父のやうな人と云はしめるギタリスト Henry KaiserRequia and Other Improvisations for Guitar Solo といふアルバムを Tzadik から出してゐる。 タイトルはもちろん、John Fahey の恐らく最も有名なアルバム Requia and Other Compositions for Guitar Solo の もじりである。

John Fahey のものと同じく Henry Kaiser のアルバムも 一曲ごとに人名がついてゐて、 大抵は有名人なのですぐわかる。 ちょっとピンとこない名前であっても、 ググればわかる(し、意識せずとも聽いたことがある)程度の名前ばかりだ。

しかし、一つだけわからない名前があった。 2 曲目で言及されてゐる Dr. JB といふ人だ (2 曲目のタイトルは Famadihana Requiem for Dr. JB)。

ググってみたが、ほとんど情報がない。 いや、ないといふわけではないが、 どうやらマダガスカルの人らしく、 引っかかる情報はフランス語が主 (マダガスカルがフランスの植民地だったため)。 日本語の情報は絶無で、英語の情報すらほぼない。 *1

ちなみに、こんな音樂である。

いや、仰天した。 世界の廣さを改めて思ひ知らされた。 こんなリズムがあるのか。

再生回数から判斷するに、マダガスカルでは一定の人気があるやうだ。 salegy といふマダガスカル獨自の音樂らしい。 Eusèbe Jaojoby なる人物がこのジャンルの大家ださうだが、 こちらは Dr. JB ほどの驚きはない。

この salegy といふ音樂、リズムは 6/8 拍子が基本らしく、 テンポの速さも相俟って 2/4 拍子あるいは 4/4 拍子として聽くこともできる。 別に變はったリズムといふわけでもなく、 實際、Eusèbe Jaojoby の曲はどれもそこまで違和感を覺えることなく聽ける。 他にもいくつか salegy とされるアーティストの曲を聽いてはみたが、 やはりどれもそんなに變ではないのだ。

なのに、Dr. JB には氣持ち惡い曲がたくさんある。 アルバムまるまる聽くと(YouTube に何枚かアップされてゐる)、 上に舉げたやうな、まあ普通と看做せる範疇のリズムの曲も多い。 しかし、いくらかの曲は、どこかギクシャクした印象を受ける。

この違和感は、アクセントのずれから來てゐる。 普通、6/8 拍子は強弱弱強弱弱のアクセントで演奏される。 2/4 拍子として聽けるのは、このアクセント配置のためだ。

Dr. JB の曲でも、基本的にこのアクセントは守られてゐる。 その上で、それより細かい 16 分音の位置から上モノを入れたり、 あるいは上モノのみアクセントをずらしたりすることで リズムのズレを生んでゐる。 微分リズムといふほど細かい位置に入ってゐるわけではないから、 慣れれば氣樂に聽けてしまふが、 しっかり聽くとリズムの絡みの巧みさには舌を巻く。

例へば、下に舉げる動画の 1 曲目の Aza Pariaka なんかすごい。 これはどちらかといふと、上モノが正しいアクセント配置を守ってゐて、 ドラムがずれているやうに聞こえる。 どっちがずれてゐるかといふのは、基準をどちらに置くか といふだけの話なので、あまり大した意味はないが (ちなみに、この動画のほかの曲はわかりやすいリズムのものばかりである)。

つまり、Dr. JB はポリリズムなのだ。 全員が 6/8 拍子の枠で演奏してゐるのに、 アクセントや演奏開始位置をずらすことで 複数のリズムを曲に織り込んでいゐる。

普通、ポリリズムと聞いて連想するのは、 異なる拍子が同居した曲だ。 Sun Ra の Space is the Place あたりがわかりやすい。

ドラム、キーボード、ヴォーカルは 4/4 拍子だが、サックスのみ 5/4 拍子である。 繰り返しの單位がずれているわけだ。 このやうに、ポリリズムとされる曲は、たいてい複数の拍子が同じ曲中で演奏されるものである。

Dr. JB の曲はさうではない。 繰り返しの單位は全員 6/8 拍子だが、 繰り返しを開始する位置がずれているので、 複数のリズムが混在してゐるやうに聞こえてしまふ。 なんとなく氣持ち惡いのはその所爲である。

かうして文字に書くだけなら簡單だが、 實際に演奏しようとすると、これは至難である。 リズムは合はせるが、タイミングは合はせないといふ演奏になるからだ。 樂譜に起こしてしまへば、それほど複雑なリズムではないが、 日本で聽けるポピュラー音樂のやうに單純なリズムに馴れた耳を持ってゐると、 これを再現するのは難しいだらう。

そんなわけで、あまり聽けないリズムに意図せず出会へたことに興奮してゐるのだが、 一つ大きな問題がある。 どこにも CD が賣られてゐないのだ。 Amazon はもちろん、discogs にすらない。 といふか、アルバムデータすらない。

仕方ないので YouTube でアルバムまるまる再生してゐるが、さすがにこれは不便だ。 普通のリズムの曲は要らないので、氣になった曲だけ買へればそれでいいのだが、 どうにかならないものだらうか。 bandcamp あたりで販賣してくれると最高なのだが、 肝心の本人は既に鬼籍に入られてゐるし、望み薄だらう。

まさか、大抵のものが容易に聽けるやうになった今の時代に、 これほど入手が絶望的な音源が存在するとは。

*1:madagate.org の記事によると 2011 年に亡くなっているやうだ。